惑星ソラリスのレビュー・感想・評価
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旧国営放送を知り合いの家で見た。僕は傑作だと今は思う。
5回目位の鑑賞。
「2001」と同じで、小説に哲学的な所は無い。全て原作者の科学に基づくフィクション。それをスリリングに描いている。だから、それを映像で表現した時にどうしてもこうなってしまうのだ。
それに加えて、ソラリスの科学的な存在をタルコフスキーのこの作品には、それを描く気持ちは全く無い。あるのは地球の話。だから、
低予算に室内劇の様に撮っているので「2001」と比べてもとても退屈に思えてしまうだろう。でも、難しい所はないのだ。人類がソラリスの様な惑星に出会える事も行ける事もないからだ。
小説を読んだ限りに於いては原作に忠実だと思う。寧ろ、原作よりも奥深さはあると思う。決して、抽象的な内容はない。
やはり、テーマは郷愁で、タルコフスキーの好きな「雨」がこの映画でも登場する。
「僕の村は戦場だった」「アンドレイリブリョフ」「ノスタルジア」「サクリファイス」
全て、実に分かりやすいテーマがはっきり描かれている。
「H2O」と「郷愁」だと思う。
まぁ、日本人には突然首都高速が現れるので「何だこりゃ」なんだろうね。
個人的には今は亡きオジキと一緒に六本木のウェーブへCDを買いに行く時首都高速を走る。通る度にこの映画を思い出す。
まだまだ、オジキのところへは行かんぞ!
ともかく、人類(ソ連は本当に人類にとって、大変な放射線をウクライナに於いて放出してしまったって事だね。
もう一度映画館で観たい不朽の名作
スタニスワフ・レムの小説を名匠アンドレイ・タルコフスキーが映像化したSF映画の金字塔。
学生時代、先に映画を観てから原作小説(当時は飯田規和訳『ソラリスの陽のもとに』)に触れ、今世紀になって完訳版(沼野充義訳『ソラリス』)が出版されてからは4、5回読み比べしているので、合計15回くらいは読んでいると思う。
原作との相違で冒頭の地球での場面やラストシーンが話題になることが多いけれど、個人的にはハリーが蘇生(今回の放送の字幕では復活)する場面に両者の違いを強く感じる。
ハリーが自殺をはかった直後、原作でのクリスは科学者として「どんな酸性溶液よりも腐食性の強い液体酸素なんか飲んだら生物としての蘇生どころか、物体としての復元すら不可能」と分かっていながら、自己弁護か現実逃避なのか、薬品棚をまさぐっている最中に背後でハリーが蘇生する気配を察しておののき、完全復活した彼女から「やっぱり私が怖いんでしょう」とやり込められるが、すべてクリスの個室内での出来事で、ほかに目撃者はいない。
映画でのクリスはハリーが液体酸素を飲んで死のうとしたことに戸惑いながらも、その眼差しは明らかに彼女の蘇生を期待している。
そしてもっと重要な相違は、タルコフスキー監督がこの場面をステーションの回廊に場所を移すことでスナウトにも立ち会わせていること。
その意図は極めて明白で、彼に「不気味だ」というセリフを吐かせるため。
でも、タルコフスキーが描くハリーの蘇生シーンはそんなにいうほど不気味だろうか。
儚くも哀しげではあるが、むしろ美しいと感じた人も多いはず。
スナウトが蘇生のシーンを不気味に感じるのは、生物が蘇生するわけがないという思い込みがあるからにほかならないが、宇宙に目を向けずとも地球には蘇生する生物なんていくらでもいる。
昆虫や爬虫類の仲間は、死んだように冬眠しながら、春には再び活動を開始する。
広葉樹だって冬には葉を落とし枯れ木同然になっても春が訪れれば芽吹いて花も咲かせる。これらの営みは蘇生といってもいいだろう。
SFの世界では地球人と異星人は当たり前に会話しているが、将来そんなテクノロジーが開発されるのなら、同じ地球の生物とのコミュニケーションだって可能なはず。
もしそんな時代がくれば、人類は地球のほかの生き物たちから「人間って蘇生できないんですか」と言われてしまうかも知れない。
タルコフスキーがみずから挿入したスナウトの言葉とは相反する映像を作ったのは、人間の自己欺瞞に満ちたエゴの暗喩なのではという気がする。
原作者レムの三部作(正確にはファースト・コンタクト三部作)にも人類の科学や知識に対する過信や自己欺瞞がテーマとして通底しているように感じる。
一作目の『エデン』では異なる文明化の過程を経た異星人となまじ接触したために訪れる悲劇が描かれ、三作目の『砂漠の惑星』は武装宇宙船に「無敵号」と名付け、自信満々で外宇宙に繰り出した部隊がどんな敵に何の攻撃を受けているかすら分からぬまま全滅寸前にまで追い詰められる話。
両作品の間に書かれた本作の原作小説では知性を持つ海に安易に放射能を照射した結果、ステーションの乗組員の深層心理を曝け出され、地球人はパニックに陥る。
監督も原作者も人類の思いあがりに着目した点は同じなのに、その感性の相違から二人が激しく衝突した逸話はあまりにも有名。
同様のケースはスタンリー・キューブリックの『シャイニング』(1980)でも発生しているが、原作者が一方的に悪口を言い続けた同作とは異なり、レムはタルコフスキーのいるモスクワに乗り込み、堂々議論を闘わせたが、結局はケンカ別れに終わっている。
翻訳者の沼野先生によると、レムは「大馬鹿野郎」と罵声を浴びせて帰国したらしいが、知性の精髄ともいえる彼にそんな下品なセリフを吐かせたタルコフスキーはやっぱりスゴい?!
レムはその後も「タルコフスキーが映画にしたのは自分の小説ではなく、(ドストエフスキーの)『罪と罰』だ」とも発言したそうだが、それって悪口なのだろうか。
高熱でふらつくクリスを突然フレームインしたハリーが脇から支える場面は単純なのに、不思議と胸を打たれる。
それだけに彼女がみずから望んで消滅を択んでる時に、うなされるクリスが彼女ではなく若い頃の母親の夢を見ていることに釈然としない気持ちを引きずったまま、観賞後もやり切れない余韻が募る。
ヒロインのハリーを熱演したたナターリヤ・ボンダルチュクはソ連時代の名優にして大監督のセルゲイ・ボンダルチュクの長女。
当時22歳の彼女の瑞々しい魅力がなければ作品の評価も少し変わっていたのでは。
原作を何回読んでても映画の魅力は別。死ぬまでにもう一度、劇場の大スクリーンで観たい作品。
『午前十時の映画祭』でやらないものでしょうか。
レビューの印象に「美しい」の項目がないのが残念。
NHK-BSにて観賞。
こういう映画こそ4Kで放送して欲しい。
タルコフスキー、またも水の癒し、星の抱擁
記憶と幻想の海が人間に喚起するものは、愛か、科学か、それとも不幸か、、、
草藻たゆたう地球の水、母が血を洗い流してくれる桶の水、底深く轟き渦を巻くソラリスの水、、、そのどれもが、自分を果てしなく包み込む恐ろしいまでも完全な元素の力―それも辿ればどこかで自己に回帰するような、孤独でも絶対的な癒しを感じさせる。
冒頭、 え!?草、池、家、道路!なんだー結構ソラリス住みやすそうじゃん!
と思ったら、さすがに地球でした👏地球万歳
せっかく異星へ飛び立ったのに、そこで形として現れる思考、つまり求める情景は結局、公園の木々や身内や風にそよぐ木の葉の音、なんだものな。
するとタルコフスキーお馴染みの“水”に加え、宇宙ステーションのビニールベッドや凍てつく妻の羽織りなど、嗚呼asmr!と思わず聴き惚れてしまう身近な名脇役の音たちに意識が向く観方も邪道とは言い切れまい。
眠れない夜は、通気孔にビラビラを。
地球に帰りたくなる映画‼️
エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」が映画史的に一番重要なのかもしれませんが、私がロシア映画で一番好きなのは「惑星ソラリス」であり、アンドレイ・タルコフスキー監督‼️私的には「惑星ソラリス」がタルコフスキー監督の最高傑作だと思う‼️海に覆われた惑星ソラリスに、地球から心理学者ケルビンがやって来る。ソラリスの海は生命体であり、人間のイメージを実体化する力を持っていた。そして、ケルビンの前にも10年前に自殺したはずの妻ハリーが現れる・・・‼️実に3時間に及ぶSF大長編です‼️しかし、いわゆるSF的な描写や映像はほとんどありません‼️ソラリスの海もまぁ海だし、あえて言わせてもらえば宇宙船内のセットぐらいでしょうか‼️この作品は宇宙の旅ではなく、主人公ケルビンの意識の中にある故郷・地球への郷愁、亡き妻への変わらぬ愛、そんな「記憶」の数々ですね‼️「鏡」とか「ノスタルジア」でも記憶が重要なテーマになってると思うのですが、今作ではSFと言う枠組みで、そんなテーマを結晶化させている点が素晴らしいと思います‼️ケルビンの裏切りがハリーの自殺の原因になっており、いわばケルビンにとってのトラウマ‼️そんなトラウマであるハリーが眼の前に現れることで、ケルビンは自らの罪の意識と向き合わねばならない‼️ホントに深いです‼️最初ハリーの記憶はない‼️ハリーをカプセルに閉じ込め、宇宙に放出しても、次の日には何事も無かったように新たなハリーが現れる‼️そして徐々に記憶を取り戻していくハリー‼️そんなハリーと対峙するうちに、ケルビンは恐怖と贖罪意識と戦いながら自らの過去を見つめ、改めて幻のハリーを愛して、受け入れる‼️シャンデリアがしゃらしゃらと音を立てる無重力空間で、ケルビンとハリーが浮遊するシーンはホントに美しくて鳥肌が立ってしまいます‼️そしてラスト、ケルビンとハリーはソラリスの海が作り出した、懐かしい故郷・地球へと帰っていく‼️なんという感動的で素晴らしいラスト‼️自らの罪と向き合うという、哲学的な側面もあるのですが、ヒジョーに分かりやすい作品だと思います‼️水草が揺れる水面の美しいイメージ、東京の首都高速道路の映像が採用された未来都市の場面、神秘的な青いプラズマのソラリスの海もホントに美しくて、最近のハリウッドの物々しいCG映像で描かれる派手なだけのSF映画と比べると、ホントに心が洗われるような美しさですね‼️さすがは映像詩人、アンドレイ・タルコフスキー監督‼️彼が紡ぐ「愛の本質」に、いつまでも身を委ねていたい作品です‼️
低予算エスエフ傑作
レムの原作が丁寧に再現されている。中だるみ感があるとよく言われているが、レムが好きなせいなのか、そんなに気にならなかった。
確かに科学者同士の専門的な会話が多いし、他のエスエフみたいに視覚的な派手な演出もない。
しかし、長まわしのシーンはロシアのどんよりとした天気もあいまって鬱々としていながらも美しく、ソラリスの世界観と主人公が精神的に囚われていく描写がうまくマッチしている。
現実に生きるよりも、ソラリスが創るファンタジーに逃避すること…自分の作り出す思考の中へと囚われていくことを敢えて選択したクリス。
ノージックの経験機械に通じる。本当のようなフィクションであれば、それはリアルに勝るのか。
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