「眠くなる、わからないのに、巻き戻してでもまた見たくなる不思議な映画。」惑星ソラリス とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
眠くなる、わからないのに、巻き戻してでもまた見たくなる不思議な映画。
何気ない映像にくぎ付けになる。
水の流れにそよぐ草草。まるで、何かの触手のように、私を誘う。
水の流れの中にそよぐ、緑。
首都高。均等なスピードで進む流れ。道自体が意思を持っていて、ただ、その流れに乗って、私の意思とは関係なくどこかに連れていかれるような。
首都高の光の帯。実際に日本の物流の大動脈ではあるのだが、この映画の世界観の中で脈打つ大動脈に見えてくる。それ自体が、意思を持ってうごめいているようにも。
大写しになる、多少凍った紅葉した葉、葉、葉。
宇宙ステーションの窓の外は光の洪水。
目を凝らせば、ソラリスの海は鳴門の渦のようにうねる。それ自体が何かの意思を持っているかのように。
人でさえ、会話をしているときよりも、黙ったままの眼差しに食い入ってみてしまう。
『ノスタルジア』のレビューでも書いたが、何か意味づけがあるのではないかとフロイトの夢分析やユング心理学を片手に、感性と想像を駆使して読み解きたくなる。目が離せなくなる。
映像の詩人と呼ばれたとか。確かに。
贖罪?
自分の言動がきっかけで、自死した妻が現れる。どんな気持ちなのだろう?
だが、その妻は姿かたちは似ているものの、自分が何者かわからない。ドアの開け方も知らない。なのに、同じことを繰り返す。時間の轍にはまったように。
贖罪が執着に変わっていく。
他の科学者たちにはどんな”お客さん”が来たのだろうか。
眠っている間に頭に浮かんだことが見える化する。意識しての思念や記憶ではなく、前意識、よりむき出しの欲望に近いもの。場合によっては、打ち消したい、心の奥底にしまっておいたもの。確かに、人には見せたくない。そんなものが毎回、こちらの心の準備なく現れたらきつい。「これは単なる物質だ」そう認定しなければ、やっていけないだろう。
そして、人は何をもって、同じ人と認定するのだろうか。『オブリビオン』にも通じるテーマ。
そんな人もどきであっても、容貌が似ているだけで、愛せるのか?愛とは何なのだろうか?
フロイトの転移を持ち出して、解説したくなる。
自分自身に跳ね返ってくる問い。
映画が答えをくれるわけではない。
映画の登場人物との対話で、自分自身が探す答え。
そして、そんなお客さんに耐えられなくなった科学者たちが、ソラリスの海に行った作戦により、大きく舵が変わってくる。
クリスの脳に浮かぶものに反応したソラリスの海、ああいうラストに繋がる。
原作と大幅に変えたというラスト。
監督の意図を逡巡し、意味づけるけれど、これと言った正解はなく…。
SF映画でありながら、科学の暴走への怒りも強い。
「ヒロシマ」当然、原爆の悲劇のことを言っているのだろう。
無知なので、X線と放射能がどう違うのかは知らないが、
X線をソラリスに放射してから、困った現象が現れたと言い、無暗な対策を非難している。
放射能でケリをつけたいサルトリウス博士。放射能を放射するということは、すべてを破壊するという意味か。それを阻止しようとするスナウト博士。
その結果の、個人的意味合いの原点回帰?
役者さんたちはそれぞれに味がある。
クリスの父とクリスの体形が違いすぎで、父子に今一つ違和感はあるが。
クリスの父と、バートン博士の若い頃と老けた様子。クリスの火傷の跡(水ぶくれ)。そのメーキャップが自然。
だが、圧巻はハリーの蘇生。すごすぎる。あまりにも生々しすぎて、美しいのだが、目をそむけたくなる。
幾重にも意味付けされているような気がして、次こそはと挑戦したくなる。
自然の美しさ、日本人なのに田舎の原風景に揺蕩う心地よさと相まって。
(原作未読。リメイク版未鑑賞)