劇場公開日 1946年10月2日

「アメリカ的なヒューマニズムを謳い上げた時代の産物にして良心作の清明さ」我が道を往く Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5アメリカ的なヒューマニズムを謳い上げた時代の産物にして良心作の清明さ

2020年12月11日
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鑑賞方法:TV地上波

太平洋戦争終結の翌年1946年に本邦初公開されたアメリカ映画。戦争の最中に、ヒューマニズムを静かに語り、人間啓発として臆することなく堂々と提示し、そして自由を謳歌するアメリカ映画の時代が生んだ良心作。レオ・マッケリー監督は特に傑出した演出技巧を備えてはいないが、平明な物語を丁寧に構築する職人肌の安定した作風の持主と見る。主演ビング・クロスビーの明るいキャラクターと歌の上手さ、名脇役バリー・フィッツジェラルドの独特な味が憎めない人の良さを漂わす老神父を楽しむ作品。ただ再開した戦後初のキネマ旬報ベストテンでは大差をつけてベスト1に選出されているが、あくまでGHQに占領されていた時代の評価であり、批評家たちの忖度が強く感じられる。または、敗戦からの復興を目指した当時の日本人が励まされ勇気付けられる意味合いで好感度高く捉えられたからかも知れない。どちらにしても、ルノワール監督の「南部の人」、ヒッチコック監督の「疑惑の影」、デュヴィヴィエ監督の「運命の饗宴」より優れた作品ではない。最も厳格な鑑識眼を持つ批評家飯島正氏がベスト1に選んだことが、個人的には腑に落ちない。
1983年 9月16日

Gustav