劇場公開日 1946年10月2日

「善人だけの映画の限界も」我が道を往く KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0善人だけの映画の限界も

2020年7月18日
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アカデミー作品賞他多数部門受賞、
キネマ旬報第一位作品とのことで期待して
鑑賞。
しかも内容は自分好みの
“爽やかなgoing my way作品”のはずだった。

しかし何故か作品に充分に入り込めない。

私は映画の価値基準を、
“リアリティのあるストーリー展開”と
“ヒューマニズムに裏打ちされた社会テーマ性”に置いています。

この映画、教会を舞台にした
幅広い再生の物語は
“ヒューマニズムに裏打ちされた社会テーマ性”についての要素は充分でした。

しかし登場人物の全てを善人にしてしまった
ことによって結果として
“リアリティのあるストーリー展開”
の要素を失っていることが
入り込めなかった原因に思えた。

主人公の己への悩みの無い全てに達観
したような能力と活躍、
主人公の優しさに少し触れただけにしては
何故か急速に結婚まで進む不動産屋の息子
の家出娘との恋愛物語、
幼なじみのオペラ歌手との突然の再会と
教会再建への献身、
そもそも唐突に教会が焼けるのは
神父と教会の再生を導くためなのか。

それらは登場人物が善人ばかりのために
もたらされた結果か、
話の展開が自然さに欠け、
全てが都合よくストーリーを繋いでばかり
いるように感じてしまう。

例えば「素晴らしき哉、人生!」では
悪徳銀行家の存在があり、
その対比として
悩める主人公ジェームス・スチュアート
の善人性と周りの人々に及ぼす善性が
生きてくる訳で、
それが不自然の無いストーリー展開
と相まって、あの感動のラストシーン
に繋がっていると思う。

世間の評価の高い爽やかな映画ながら、
善人だけで構成した結果が
ストーリーの平板さをもたらすと共に、
リアリティを欠いているよう思われ、
私には少し乗れない作品になってしまった。

KENZO一級建築士事務所