ロープのレビュー・感想・評価
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時代を考えると凄いんだろうけどね
実験的映画。ワンカットで撮って、魅せる工夫は流石にヒッチコックだとは思うが。面白いかと言うと・・・うーん。
犯行動機が「はぁ?」とは思うけど、現代日本でも「人を殺してみたかった」と言う理由で殺人を行うシリアルキラーも居るからなぁ。ただ、自分は優秀だと言う割には、全然完全犯罪でもない。
映像を堪能
密室劇ながらハラハラが維持される画面展開がさすが。
動機があまりに観念的というかあまりに歪なんで心理的には距離があるように思いながら見たのだが、これ、実話ベースなのか!『彼女は頭が悪いから』みたいな話である。
実験的でサイコ!綱渡り的な元祖ワンショット
アルフレッド・ヒッチコックが送る元祖全編ワンショット映画!
ニーチェの超人思想を曲解した青年2人が、自らの優秀さを示すために殺人を犯し、あろうことかチェストの中に死体を隠したまま、被害者父を招いてパーティーを催す。
死体が隠れているとはいえ、すぐ横にある居心地の悪さや緊迫感が長回しによって演出される見事な実験作。
昨年の前編ワンショット映画の傑作『ボイリング・ポイント/沸騰』を観た際に、本作のことを知って興味を持っていたんですが、先日観た『ソフト/クワイエット』も特に本作の影響が大きいとのことを聞いたので遂に観賞しました。
厳密には当時のフィルム上限は10分程度のため、編集で繋がっているようにみせる『1917 命をかけた伝令』形式の「全編ワンショット風」ですが。
登場人物の背中を大写しにするカットなど流石に編集点はわかりやすいですし、鶏を絞める話をしている時とかに至っては普通にカデルの顔のアップへインサートさせているので、実は「全編ワンショット風」ってのも語弊があるんですけどね。
OPを除けばワンショット捨ててるのこの一箇所のみなんですけど、なんでわざわざここだけ編集点捨てたのかはよくわかりませんね。探偵役であるカデルが最初に怪しむシーンではあるんで、ミステリ的な演出でしょうか?
結構実験的にワンショット風にしている部分はあるんですけど、使い方自体は小慣れています。必要最小限のキャラクターを集めて動かし、その細かな仕草や言動の変化で縛りを課した以上に雄弁に表現する。編集点作りの一環である背中大写しにしても、カメラがぐるっと回り込む大胆な撮影に繋がっていて面白いです。
他にも死体が入ったチェストの上を家政婦が片付ける描写は敢えてカメラを一切動かさないことで緊迫感を増すことに成功していましたし、犯人のうちビビりな方のフィリップがチラチラチェストを見やっているのも細かい。
ビビりすぎて動揺が目立つフィリップに対して、自らが認める頭脳を持つカデルを招くなど自信満々で挑発的なブランドンも結構ボロを出している部分が多いのもニヤッとさせられます。
彼、カデルに「これはなんだ?」と聴かれて、料理ではなくてそれを置いてあるチェストの方を答えてしまうんですよ。普通なら料理の種類を聞いてるんだなって判断するのに、思わず意識している(そして本来なら聞くべきでもない)チェストの方を答えちゃうという凡ミス。
本作はどちらかというとサスペンス寄りで、ミステリというほどの倒叙的な謎解き要素はないんですが、この辺はコロンボとか古畑とかを思わせましたね。古畑だったらこっから鬼のように質問攻めしてくるぞ。
まあ、ただいくらミステリではないとはいえ、決定的証拠である被害者の帽子が終盤唐突に出てくる部分はちょっと惜しいかな。
それこそ、冒頭の殺害場面の前に被害者が帽子を被っている描写とかをさり気なく提示していれば、より長回しの意義も出てきて完成度が高くなったと思うんだよね。そこまでやるともはやエラリー・クイーンですけど。
殺人者2人が超人思想に被れて罪も恨みもない友人を殺害するサイコ殺人鬼って設定は、ヘイズ・コードとかあった1948年によくお出しできたなって部分で、ある意味撮影技法以上に驚かされます。
息子の死体が入ったチェストの上で父親に料理を振る舞ったり、首を絞めたロープで括った本をプレゼントするとか胸糞悪いにもほどがありますからね。
そんな彼らの殺人を暴く探偵役のカデルもどこか狂っているというところは否めず、終盤に「そういう意図で教えたんじゃないぞ!」と2人を糾弾する場面は、流石に「そういう意図で教えてただろ!」と思ってしまう部分はある。
なんせ食事中に「チケット売り場で並んでたら、その行列を殺してしまうのは自然だよ」みたいな殺人哲学を平然と語る時点でオメーも大概だからな!!真っ先にこの会話に不快感示した被害者の父親の反応が至極真っ当であり、あの人本当に可哀想すぎる……
長回しのほか、殺人者の「優れた人間は劣った人間を殺しても良い」という誤った哲学、ビビった共犯者をなじる描写、室内で行われる蛮行、死体を隠し最終的に湖に沈める予定だったこと……等々、確かに公開中の『ソフト/クワイエット』に通じる部分は多々ありました。
そんな後発の作品にも多大な影響を与えているエポックメイキングな実験作ではあるものの、ヒッチコック自体は「あくまで狂ったアイデアによる実験作であり、カット割りとモンタージュこそ映画の真髄である」と結論を出したそうですが。
実際、ヒッチコックは後年に『ロープ』と同じく一室内で完結する舞台でありながら、カット割り等の技法も駆使して多面的な面白さと緊迫感を演出した傑作『裏窓』を製作していますし、彼にとっては偉大なキャリアの踏み台でしかなかったかもしれないですね。
僕はチェストの上に食べ物を置く事自体がおかしいと思う。景色の良いリビングにテーブルを持って来るべきだ。
『優れた者が劣った者を殺す?!それはただの殺人だ』
ファシズム つまり、
優生保護、民族浄化、人種差別、性的マイノリティーに対する考え方だと感じた。
緊張感のある演出だったと思う。
カットは10ヶ所位あったが、あからさまのカットは3箇所位。外を流れる曇の動きまで気になった。さて、バックは大道具だろうが?
傑作だ。
先生の言葉をこのサイコ男が、間違った解釈をして、安易に殺人を犯してしまう。完全犯罪と言うが、完全でもなんでもない。ただの自己満足で、あり得ない殺人だ。何故なら、動機が明らかでないからだ。それは兎も角、贖罪の考え方を持つ白人の社会では、この先生が一番ショックを受けていると感じた。
『PLAN75』を見た方はこの映画を是非見てもらいたい。殺人は如何なる理由があっても、やってはいけない事だと僕は感じた。そう、この映画もそう語っている。
ヒッチコックはどこでカメオ出演したか?もう一度見るか。 たぶん、
最初の場面で女性と一緒に道を歩く老人!その後に『アルフレッド・ヒッチコック』と画面に出る。
追伸 同性愛に付いての解釈はどうしても心に残る(加害者と被害者の三角関係)。しかし、加害者どうしが愛し合っている気配は全く感じられない。むしろ、ナルシスト的な主犯格の個人的な自己満足でしかない。それが失敗の元なので、同性愛に対する偏見はないものとする。
かなり退屈ながら、ロープ用いた殺人による死体の存在がバレないかハラハラドキドキ
アルフレッド・ヒッチコック監督による1948年製作の米国映画。原題Rope、配給MGM。
原作が舞台劇ということで、映画も部屋から一切外に出ずに、かなり退屈な部分はあった。
こんなに動きのないヒッチコック映画は初めての経験。ただ、観る我々は二人の犯罪がどうなされたのか?今死体が何処にあるのかを知っており、いつバレるか、ハラハラドキドキはさせられた。
そして犯人二人が、ジェームズ・スチュワートの問いかけ等により、だんだん追い詰められていく展開も演劇的な面白さはかなりある。かなり実験的な映画に思えたが、この感じ何処かで見た様な。そう、刑事コロンボの印象に類似で、成程こちらが本家ということか。
最後の方、二人の自白同然な不自然な態度から、ジェームズ・スチュアートにより犯罪が明らかになる展開は、神父を前にした罪の告白的で、かなり宗教的なものを感じた。背景は良くわからないが、神の前で小さき存在のヒトに他人の生き死にを決める権利など無いという怒りの様なものも感じた。
製作シドニー・L・バーンステイン、原作パトリック・ハミルトン(舞台劇『ロープ』)、脚本アーサー・ローレンツ(追憶(1973)等)及びヒューム・クローニン、撮影ジョゼフ・バレンタイン(ジャンヌ・ダーク等)及びウィリアム・V・スコール、美術ペリー・ファーガソン、音楽レオ・F・フォーブステイン。
出演はジェームズ・スチュワート、ジョン・ドール、ファーリー・グレンジャー、ジョアン・チャンドラー。
「ワンカット映画」の金字塔
以前「1917 命をかけた伝令」のレビュー動画を観漁っていた時に、多くのレビュアーさんが「ワンカット映画といえば」と名前を挙げていた本作。ようやく鑑賞することができました。
「ワンカット映画である」ということ以外、事前知識は無い状態で鑑賞いたしました。
結論、非常に面白い!!
ワンカットという斬新な撮影技法もそうですけど、それ以上にそもそもストーリーが面白い。「古畑任三郎シリーズ」「刑事コロンボシリーズ」などでしばしば用いられる倒叙式のミステリ作品で、殺人を犯した犯人が遺体のある部屋でパーティーを執り行うという突飛なストーリー。何度も遺体があるのがバレそうになりながらも、紙一重でバレずに隠し通すところはもはやコメディですね。当時としては斬新であったワンカット撮影も、リアルタイムに進む物語とマッチしていて効果的に働いていました。
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大学を卒業したばかりのフィリップとブランドンは、「優秀な人間は無能な人間を殺しても良い」という思想のもと、同級生であるデイヴィットを殺害。大胆にも、遺体をチェストに隠した部屋に友人らを招待してパーティーを開いた。遺体が見つかってしまうかもしれない恐怖に青ざめるフィリップとは対照的に、遺体が見つかりそうになるスリルに酔いしれるブランドン。そしてそのパーティーの参加者でもある大学教授のルパートは、二人の言動に違和感を覚えてゆき……。
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殺人を犯した二人の青年は全く対照的な性格の持ち主。フィリップは殺人を犯した後に何とかそれがバレないように振舞いますが、気が弱いためどんどんボロが出てくる。ブランドンは非常に冷静に振舞うことができていますが、犯行がバレそうになるスリルを楽しむがあまりどんどんと行動が大胆になっていく。
私は終始フィリップに感情移入して観てしまいましたね。「わー!バレるバレる!」ってビビったり「ブランドン余計なことすんな!」ってキレながら観ていました。
そしてラストシーン、ミステリ作品ではお約束の推理パートです。大学教授のルパートが劇中に登場した小道具を証拠として提示して犯人を追い詰めます。ミステリとしても非常にレベルが高くて見事です。リアルタイムに進行するストーリーはワンカット撮影と相まって非常に臨場感たっぷりに鑑賞することができました。
当時のフィルムは10~15分程度しか録画ができなかったため、途中で登場人物の背中が不自然にアップになったり小物が大写しになったりして「今カット切り替わったな」って分かるシーンがありましたが、正直そんなに気になりませんでしたね。逆に「ワンカット撮影の元祖」である本作を観たことによって、「『1917』のワンカット撮影技術ってすごかったんだな」と再度実感することができました。
本当にレベルの高い作品でした。当時としては斬新なワンカット撮影とストーリーのリアルタイム進行を実験的に用いた作品ですが、この作品が今日までの映画の礎を築いたといっても過言ではありませんね。ヒッチコック監督の熱意や意欲を感じられる素晴らしい作品でした。オススメです!!
完全犯罪のゲームに酔う異常者とその恩師の会話に込めた、哲学解釈の正当性
1924年に現役のシカゴ大学生レオポルドとローブ二人の誘拐殺人鬼が起こした”世紀の犯罪”を元にしたアルフレッド・ヒッチコック監督の、全編ほぼワンシーンで繋げて時間の同時性をサスペンスフルに生かした実験演劇映画。パトリック・ハミルトンの同名舞台劇を原作としている為、犯行の詳細は事実と異なるが、映画の殺人鬼ブランドンとフィリップが裕福な家庭で育ち知能指数も高く犯罪を犯すような青年には見られない点や、ニーチェの超人思想の信奉者だったのが共通する。実際は殺人行為のスリルを味わい完全犯罪の達成感の快楽に酔う為だったと思われるが、映画はこのニーチェの理論に染まる象牙の塔を象徴する恩師ルパード・カデルを主人公にして、哲学的な思考の解釈についての問題提起を施している。当時の社会通念でのモラルハザードの危険性を承知したヒッチコック監督の犯罪心理学上の野心と、主演を務めたジェームズ・スチュアートのどう演じて良いものかの困惑が演技の質にまで表されている。時代に先駆けた主題の内容は、実験的演出の斬新さと共に、60年経た今の社会状況や映画表現においても注目に値すると思う。
物語は、アパートの一室で繰り広げられるハーバード大学を卒業した同級生3人の愛憎劇が主軸になる。恩師カデルの哲学思想に最も共鳴する主犯格のブランドンは、悪戯好きの虚栄心が強い自意識過剰な鼻持ちならない男。彼の虐めに合いながら服従するフィリップは、犯行後動揺を隠せずカデルの観察対象になり、そのカデルの推理の過程が映画展開を進める。最初の訪問者は、被害者デイビッドのライバル ケネスで、デイビットの婚約者ジャネットの元彼になる。ふたりの殺人鬼を特徴付ける為か、最も平均的なアメリカ青年のキャラクターだ。そこへジャネットが現れケネスと鉢合わせとなり、ブランドンの策略と彼女が疑い始める。更に驚くべきは、フィリップの送別会を兼ねた今宵のパーティーにデイビッドの両親まで招待したことである。ジャネットはケネスと付き合う前はブランドンと交際していたとの会話があるので、この男女4人の痴情のもつれが犯行動機であるのかと思わせる含みがある。ハーバード大学の平凡な学生なら誰でも良かったとケネスの名前も挙げていた。しかし、デイビットの両親までとなると、完全犯罪を目論む自らの行為を見せびらかす優越感に浸る歪んだ心理状態が想定される。だが、デイビットの母親は風邪を引いて来れず代わりに伯母のアニータが父ヘンリーと訪れる。これは、いつまで待っても居場所を掴めないデイビットを心配する母親を舞台の外に置くことで、会話劇の中身と変換を多様にするテクニックに繋がっている。そして、家政婦ウィルソンが舞台を自由に動き回ることでカメラワークの単純化を防ぎ、最後に突然と現れるカデルとの会話では、客観的な視点のアドバイスを提供することになる。
小道具の使い方は、相変わらずの巧さを見せる。題名のロープは勿論、チェスト、燭台、本、チキン、帽子、シガレットケース、拳銃、と固定された狭い舞台を飽きさせない。異常殺人ではキャプラの「毒薬と老嬢」がブラック・コメディの傑作だが、このヒッチコック作品にはユーモアが全くない。強いて言えば、占い好きなアニータがフィリップの手を見て大きな名声をもたらすと予言する会話と、アニータとジャネットがカデル演じるジェームズ・スチュアートを真ん中に挟みながら、好きな男優の話でジェームズ・メイソン、エロール・フリン、ケーリー・グラントの名前を挙げるところくらいだ。しかも、グラントがイングリッド・バーグマンと共演したヒッチコック作品「汚名」での両者を褒め称えるオマケつきだ。
最後、ふたりの犯行に愕然とした哲学者ルパード・カルデは、アパートの窓から夕闇の空に向かって拳銃を三発撃ち、通報を促す。崇高な哲学的理論の代弁者を自認する彼の、教え子に裏切られた無念さを表す三発であろう。論理と知力の教えを曲解し、単なる殺人者に堕ちたふたりを自ら制裁する二発と、そんな教育を結果してしまった自責の念の一発なのではないだろうか。
ブラック・ユーモアをひとつ。ヒッチコック夫妻が日本に来日した折、映画が変わるたびに新たな殺害シーンを見せるヒッチコック監督にそのアイデアについて質問したところ、少しも表情を変えず隣にいる夫人を指して、彼女がすべて考えてくれると答えたそうです。嘘と分かっていてもヒッチコック監督らしいユーモアに、納得のエピソードで忘れられない。
楽に見られる
密室だけですべての話が進むのは好きです。
どうやってバレるんだろうと、考えながら
調子良く進んでいくので楽しかったですが、
特に何もなかったのは残念でした。
ラストの静かな終わり方はわたしにはすきでした。
カルトな犯人たちの殺人ゲーム
総合:65点
ストーリー: 65
キャスト: 70
演出: 65
ビジュアル: 60
音楽: 60
ちょっと変わった犯人たちや動機だと思ったら、実話が元になっているらしい。カルト的な彼らの行動とその裏にある幼稚さが出ていて面白い。勝手に優越感を感じる一方でそれが実は実践に裏打ちされていない自分勝手な思い上がりであること。それに気づかず現実離れした妄想の中に生きて好き勝手な行動に走る姿に危険さを感じる。その一方で見るからに危うさが目立つ幼い計画は完全犯罪とは程遠く、すぐに破綻を迎えるであろう犯人たちの結末が見えて、それは社会の安定という立場から見て彼らがすぐに排除されるだろうという安心感もある。
映画と実話はかなり違うようで、共通しているのは犯人たちの性格と背景くらいらしい。映画の中でジェームズ・スチュワートが不用意に一人で彼らのいる部屋に戻るのが物語として気になった。実際犯人らは銃を用意して最悪の場合はジェームズ・スチュワートを口封じのために殺す準備もしていた。一人を優越感のために殺した犯人たちがもう一人を殺すこともあり得たわけで、犯人たちがスチュワートからちょっと圧力を感じて焦っただけで用意した銃を簡単に渡したうえに抵抗もせず降伏とはあっさりしすぎ。先ほどまでの優越感はどこにいった、なぜそんなに簡単に降参するのかと疑問に感じた。でも元々が裏づけのない優越感だから、一度崩れだすと自信が崩壊するのも早いのかな。
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