「後半こそが本作の伝えたいメッセージであったと 思いました」レナードの朝 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
後半こそが本作の伝えたいメッセージであったと 思いました
レナードの朝
1990年公開 米国映画
事実のストーリーと
冒頭にでます
難病の患者を医者が奮闘努力して治療する物語だけなら、感動はしても、ここまで心を揺り動かされ涙を流すことはなかったでしょう
子供の時に通称眠り病にかかり30年も眠り続けたレナードをセイヤー医師が治療法を考え出して病院の仲間の協力も得て効き目があると信じる薬を投薬してレナードが眠り病から目を覚まし、同様の症状の患者15人も回復するのは前半に過ぎません、そこでこの映画が終わりであったなら、感動のストーリーの映画であっても、これほど長く愛される映画にはなっていなかったでしょう
その後半こそが本作の感動の主体であり、本作の伝えたいメッセージであったのだと
思いました
で後半はどうなるかというと
結局、薬の効果は長くは続かず、健康に戻ったのはひと夏だけの間のことでレナードや他の患者も元の眠り病に戻ってしまうのです
一時的にせよ、健康に回復したレナード達の姿
健康の有り難みがひしひしと伝わります
健康だからこそ人間は自由を求めるのです
病気の身体では自由を束縛されていても関係ないのですから
そして薬が効かなくなっていくのを感じて不安におちいるレナードや患者達
そしてレナードとポーラとのつかの間の恋のときめき
意思を伝えられるのももう最後と、彼女にさよならを告げ握手をすると、ポーラはその手をはなさずそのまま病院の食堂でダンスを踊るのです
そのシーンのなんと美しいこと!涙がこぼれてしまいます
夜が来て目を閉じたら翌朝が来るなんて当たり前のことがそうではない不安
どれほど恐ろしいことでしょう
レナードの母はもう高齢ですが彼女にとってはレナードはまだ子供のままなのです
レナードと一緒に彼女の心の中のレナードも眠り続けていたのです
眠るのを怖がるレナードに子守歌を歌う母の姿は涙を誘います
病院の窓は、蔦がらにデザインされていても鉄の格子が嵌まっています
庭にでようとしても力ずくで止められるのです
患者達は石像のように動かなくなった肉体の中に閉じ込められていたのに、回復してもなお、病院の中に二重に閉じ込められているのです
人間とは一体何なんでしょう?
閉じ込められていて、人間扱いされていないと怒ってみても、病気で動かない肉体の中に魂を閉じ込めらたなら、人間扱いされてないと怒ることもできはしません
病院はそうした患者でもしっかりとケアしてくれますが、
魂は閉じ込められたまま、人間の自由なんか夢のまた夢です
「人間の魂はどんな薬よりも強い」と終盤でセイヤー医師は語ります
「仕事、楽しみ、友情、家族、何より大切なもの、それを忘れています
純真な気持ち」
それは、すなわち愛です
つまり愛の力こそが閉じ込められた魂を救い、そして肉体をも救うと
セイヤー医師は、そのことをレナードから逆に教えられたのです
レナードは映像の中で「学べ!学べ!」と何度もいっています
それは彼の病気の症例のことだけではなかったのです
何十年振りに健康に戻った患者達の外出先の行き先をサボテンの植物園に設定してしまうほど、人の心がわからない人間に、自分の殻に閉じこもっていた人間になっていたことに今更ながらセイヤー医師は気づいたのです
これじゃダメだとダンスホールに連れて行ってくれたのはきっとエレノアでしょう
身体は健康でも、レナード達とは逆に自分自身の魂を自ら閉じ込めている病にかかって病状は進行しているとセイヤー医師は気づかされたのです
彼は大急ぎで自分の症状に効く特効薬を処方します
「エレノア!」と
命を与えてまた奪うことになったことをセイヤー医師は結果として親切なことだったのだろうかと、「つらい」と自分を責めます
しかし、エレノアは「それはあなたが親切な人だからよ」と慰めてくれるのです
苦しんでいるセイヤーの魂に共感して、励ましてくれたのです
それがセイヤー自身だけでなくレナード達患者にも効く人間共通の最良最強の薬だったのです
介護施設に行くと、レナード達ほどではなくても本作の患者のような人を見かけます
彼等、彼女達も健康な魂がもう自由にならなくなった肉体の中に閉じ込められて抜け出せなくなっているだけなのかも知れません
たまの面会に来てくれる家族の愛こそ最良の薬なのだと思いました
