レッド・サンのレビュー・感想・評価
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GLAYと晴郎とアラン・ドロン
そういう時期に入ったと言ってしまえばそれまでですが、最近は個人的に親しみを感じていた各分野の著名人の訃報が多くて哀悼も追いつかない状態に少し気が滅入る思いです。
今回逝去されたアラン・ドロンの出演作なら他にもっと代表作に相応しい映画があるのでしょう。ただ、私にとっては本作こそがアラン・ドロンの代表作であり、忘れ得ぬ思い出の映画でもあるのです。今回はその思い出と共に書いていきたいと思います。
時は1999年7月31日、私は田舎から電車を乗り継ぎ千葉県は幕張にきていたのです。
海浜幕張駅を降りてみれば奇抜な髪型や服装の若者が大勢歩いており何やら異様な雰囲気です。(とはいえ私も彼らと年端はそう変わらないのですが)
後に知ったのですがその日は当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったロックバンド「GLAY」による伝説の“20万人ライブ”の日だったのです。もちろん私もGLAYの事は知っていましたが、当時はあまり興味がなかったのでそんな日本音楽界の語り草になるような歴史的日に、場所に、自分が居合わせていようとは思いもしませんでした。
ただ20万人もの同世代の若者がGLAYを見る為に幕張メッセへ集まっているというのに、その日 幕張でGLAYがライブをやる事さえ知らなかった私が何をしに来たのかと言えば、それは水野晴郎のトークイベント付き映画鑑賞会へ参加する為だったのです。
夏休も間近の教室の後ろ側、誰が何時貼ったとも知れない掲示物の中にこのイベントの告知はありました。観覧希望者はハガキで応募して抽選の結果を待てとの事だったので、ハガキを出して数日―。懸賞など1度も当たった事のない私の元に当選の通知が届いたのです。ただただ嬉しかった。同伴者可だったので当時の(今も)映画友達と喜び勇んで水野晴郎へ会いに行ったのです。別にサイン会や握手会があるわけじゃありません。上映前にトークイベントがあるだけです。言ってしまえば金曜ロードショーを生で見るだけなのですが、それでも当時の映画伝道師四天王の一角に生でお目見えできるのですから喜びもひとしおです。
(他の3人は淀川長治、高島忠夫、木村奈保子です。淀川さんは98年に亡くなっておりますがそれでも私にとってはこの4人なのです。)
ただ会場へ着いてみれば私が当選したのも納得です。直ぐ近くでGLAYが20万人も動員しているというのに、こちらはせいぜい20人がいいところなのです。普段なら空いている映画館ほど嬉しいものはないのですが、流石にこれは残念な気持ちになりました。やはり「シベリア超特急」(96年)のせいで求心力が落ちているのか?などと考えているうちに、舞台上に水野晴郎が現れいつもの調子で話し始めるのです。正直もうこの時に水野晴郎が何を語ったかはほとんど覚えていません。ただこれから上映する「レッド・サン」にはアラン・ドロンが出ている。彼は今日そこでイベントをやっているGLAYとはまた毛色の違う二枚目であるという様な事を語り、「会場にこの映画、ご覧になった事ある方いらっしゃいますか?」と問い掛けてきたのです。私は以前にビデオで見たことがあったので手をあげます。すると水野晴郎が私を見て「おぉ~お若いのに…。」と感心した風に呟いてくれたのです。たったこれだけの事なのですが、当時の私としてはそれが妙に誇らしかった。そして会場が淋しい入りであるにも拘らずテレビで見ているいつもの調子で楽しそうに映画について語る水野晴郎の様子が何より嬉しかったのです―。
とはいえ改めて観返してみるとこれをアラン・ドロンの代表作というにはやはり無理があったか?何よりこんなにアラン・ドロンの出演シーンって短かったっけ?と驚くほど出てこないではありませんか!
殆どの時間は三船敏郎とチャールズ・ブロンソンが脂汗で顔をテカらせながら、使命と野望とをそれぞれの胸に荒野を駆けていく映画なのです。しかしそんな男の世界を香り立たせる二人と対をなして現れるアラン・ドロンはどうでしょうか?いやはや登場シーンから既に見る者に衝撃を与えてくれます。やはり役者が違うのです!出演シーンの短さなどものともせずに他の二人と張り合う存在感なのです。
当時ドロンは30代半ば、整った顔に薄っすらシワが刻まれているのですが、それがまた綺麗なだけでなく人生の裏表をソレなりに心得た厚みのある色気を漂わせます。唇の端についた傷、ニカりと不敵な笑みを浮かべれば覗く金歯、それだけでドロンの演じる役が冷酷非道な男であることを印象付けられるのです。
皆が荒野の砂煙をかぶり衣装が白茶けているのに、一人だけ白と黒を基調とした衣装をパリッと着こなし、白いシャツにはシミ一つありません。帽子のツバの奥にあのターコイズのような瞳を携えて荒野の無法者どもを取り仕切っているのです。ただ立っているだけで自然と視線が彼に引き寄せられてしまいます。それでいて作品の世界観からまったく浮いておりません。
この映画は三船敏郎、チャールズ・ブロンソン、アラン・ドロンが身にまとう三者三様の魅力と世界観。それらが均衡を保って実に見事な三角形を形成しています。
役者はそれを嫌がるでしょうが、ある程度キャリアを積んだ役者は立っているだけで観客がそこに物語を勝手に見出してしまうものです。だからこそキャスティングは重要であり、この映画はそんな役者の積み上げたキャリアとキャスティングとがどれ程作品に影響するのかを確認できます。
思えば三船敏郎は1997年にチャールズ・ブロンソンは2003年に逝ってしまいました。水野晴郎は2008年にです。あの1999年の夏からもう四半世紀も経ったのが信じられない思いですが、私があの夏の日にこの映画を見た時にはこの映画の公開から既に28年の時が経っていたのです。そして今回アラン・ドロンの訃報に触れて本作を見返しましたが、この映画は今もなお私にとって魅力的で楽しい記憶と共にある作品なのです。
映画というものはフィルムが回りだせば、たちまちその作品が生まれた当時の時代と、それを観た時の記憶とを甦らせてくれます。時間は不可逆ではありますが思いを馳せることはできます。私はこれからも折に触れ、本作を通して1971年の三船敏郎に、チャールズ・ブロンソンに、アラン・ドロンに思いを馳せ、1999年の水野晴郎に思いを馳せるのだと思います。そしてこれからそこに新たな記憶が加わるのであれば、それはこれまでと同様、楽しいものであって欲しいと願うのです。2024年8月24日 故人を偲んで。
侍が海を渡り異国で自分のやり方を通す心構え
総合:70点 ( ストーリー:70点|キャスト:75点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
世界の三船出演のハリウッド映画としては『グラン・プリ』『太平洋の地獄』に続く第3作目の作品であり、アメリカを舞台にした作品としては初の作品。その意味で三船が本当にアメリカに進出した最初の作品と言える。しかも侍役である。
ポール・ニューマン、スティーブ・マックイーンのような当時のハリウッドで最高に人気だった俳優たちと共演したわけではないものの、チャールズ・ブロンソンとハリウッド俳優ではないけど欧州では一流俳優のアラン・ドロンとの共演は上々の成果だ。早川雪洲という偉大な先達もいたが、その後に続く日本人俳優がなかなかハリウッドに進出することが出来ないなかで、遂に三船が後継者となった。
それでこの作品であるが、西部でちょんまげが銃をもった強盗団と対峙しているのは違和感があるが、三船が出演しているだけあって欧米人からみた日本人を押し付けた茶化した内容になっていないところが立派である。今でこそ侍は世界的に有名になり尊敬の対象にもなってきているが、当時の世界は日本に対する理解もなく、まして侍なんて服装も含めてわけのわからない存在だったろう。
その中でも三船は俳優として立派に侍を貫き通したし、その姿はちょんまげの侍が太平洋を渡り勝手のわからぬ異国で自らの矜持を貫く姿とも重なる。自分も昔ろくに英語も出来ず宿泊先もあるのかわからないのにアメリカに自分1人行くときは多少不安だったが、それがこの当時ならば強い精神力がいる。外国の映画会社の好き勝手に流されることがないその三船の心構えは賞賛出来る。その後のハリウッド映画にも、欧米人が考える日本人像を変な演じるようにしたものがいくらでもあるが、三船は違った。
悪人だが有能で行動力と男気があって、徐々にそんな三船の侍魂に共感するチャールズ・ブロンソンは魅力的だ。美男子ながら平気で仲間を裏切り次々に人を殺していくアラン・ドロンもその残虐さゆえの存在感があった。
演出・脚本もこの当時なりのものではあるが、それなりに健闘しているの思う。
世界の三船
職場の方が面白いよと言って貸してくれた、若かり頃の三船敏郎、アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソンが出演している1971年の映画「レッド・サン」を鑑賞しました。
物語の内容としては、日米修好のための任務を帯びた日本の武士一行は、大統領に会うため特別列車に乗り向かっていた。その列車が、強盗団に襲われ大統領に贈るための宝剣を奪われてしまう。
その宝剣を取り返す使命を言い渡された黒田重兵衛(三船敏郎)は、強盗団の仲間に裏切られたリック(チャールズ・ブロンソン)と共に、宝刀を持ち去った強盗団のボスであるゴーシュ(アラン・ドロン)への復讐を果たすため二人で荒野を行くという物語。
ゴーシュの下へ向っている重兵衛とリックが、徐々に友情を育んでいく姿がとても良かった。またアクションシーンも、思ってた以上に良い感じで仕上がっていました。
ラストでは、まさか黒田重兵衛が亡くなるとは思ってもみませんでしたが、宝剣を黒田がリックに託すシーンは、男同士の熱い友情を感じ胸にジーンときました。
三大スター揃い踏み!
Blu-ray(デジタル・リマスター版)で久しぶりの鑑賞(吹替)。
三大スターが豪華共演を果たした奇跡の作品。正直名作とは言い難いですが、この面子がひとつの画面に収まっているだけで興奮したし、映画遺産的価値があると思いました。
海外の大スターと対等、もしくはそれ以上の存在感を放っていた三船敏郎は紛れも無く日本を代表するスターだな、と…
チャールズ・ブロンソンと友情を育んでいく過程がとても面白かったし、クライマックスのアクションも絶品でした。
まさか死ぬとは思いませんでしたが、ブロンソンに奪還した刀を託すところに男同士の絆を感じてうるっと来ました。
侍が『母犬の息子』とは言わない
金のかかったB級映画。
チャールズ・ブロンソンもアラン・ドロンもアメリカのハリウッドの映画市場では、B級スターである。勿論、テレンス・ヤングも上海生まれの多分ヨーロッパ人。純粋にハリウッドで三船敏郎さんと共演できるのは、チャールトン・ヘストンとかウィリアム・ホールデンとかだろう。少なくとも、ユル・ブリンナーだと思う。つまり、世界の三船の名を借りたB級映画と言う事だ。
アラン・ドロンの出番が少なかったのは、アラン・ドロンが馬に乗れないからだと思う。アラン・ドロンならば、ジャン・ポール・ベルモンドで、ブロンソンなら、スティーブ・マックイーンだったら、少しはましな映画になっていたと思う。脱亜入欧の日本人の変な所だ。この映画で世界の三船と言わないでもらいたい。彼には『羅生門』があるし『蜘蛛巣城』もあるし『七人の侍』もある。
アラン・ドロンもチャールズ・ブロンソンも一発屋若しくは『B級俳優』だと思うが。
侍が『母犬の息子』とは言わないと思うが。
世界の三船だ
2022年10月10日
映画 #レッド・サン (1971年) 鑑賞
日米修好のため将軍から大統領へ贈られる宝剣が列車強盗団によって奪われる。
#チャールズ・ブロンソン #アラン・ドロン #三船敏郎 の米仏日の三大スターが活躍する娯楽西部劇
さすが世界の三船だ
MONONOFU MEETS COWBOY
天皇から大統領への献上品をアラン・ドロンに盗まれた三船敏郎がおかしな成り行きでチャールズ・ブロンソンとバディを組んでアラン・ドロンの行方を追う異色西部劇。
『チート』や『東京暗黒街・竹の家』のようにステレオタイプな日本像を面白おかしく誇張した作品かと思いきや意外にもそんなことはないのがよかった。ただ、その代わりインディアンに対する認識は『駅馬車』で止まっている。インディアンたちは立ち位置の異なる三者の複雑な人間関係を強引に精算するデウス・エクス・マキナとして動員され、そして惨殺される。
とまあ問題は多いのだけれど、ブロンソンが三船の武士道精神を理解していく過程はとても丁寧だったと思う。
はじめは三船に差し出された魚の干物を草むらに捨てていたブロンソンだったが、寝食を共にする中で三船の実直な生き様に少しずつ心を開いていく。ただ、ブロンソンのほうにもカウボーイとしてのプライドがあり、そこだけは彼も絶対に譲らない。理解は示すけれど、相手と自分の間に一線は引く。それはある意味で三船という異文化に対する最大限のリスペクトであるといえる。安易で楽観的な「分かり合い」に甘んじず、理解のソードラインを互いに明示したうえで慎重に手を取り合う。
あとウルスラ・アンドレス演じるクリスティーナの二転三転ぶりがよかった。利害に振り回されているというよりは強靭な生存本能を発揮して主体的に動いてさえいる感じがカッコいい。
侍と西部劇
1971年公開のフランス、イタリア、スペイン、アメリカ共作映画。
チャールズ・ブロンソン、三船敏郎、アラン・ドロンという当時の世界的映画スター共演の異色西部劇。
作品の企画そのものを、三船敏郎が設立、所属の三船プロダクションがアメリカのパラマウントに1965年に持ちかけていたが、当時トレンド的には007を中心としたスパイ映画ブームが起こっていたため、侍の西部劇という企画になかなか賛同が得られなかったが、製作総指揮のテッド・リッチモンドの尽力で実現したという経緯がある。
それにしても、男気の代表格的大スター、チャールズ・ブロンソンと「世界のミフネ」こと三船敏郎のバディ物、なかなか貴重な作品だと思う。
ブロンソン✖️ミフネ➗ドロン
イケメンさわやかなドロンが悪役で頑張っても、日米大スターのかけ算からは、むせるほどの“男気”が舞い立つ。
一方1971年製作のこの作品には、戦後西部劇の偏見や先入観はあってもポリコレもLGBTQIA+もホワイトウォッシュ批判もない。「世界のミフネ」の存在感と発言力かテレンス・ヤング監督のセンスか、本作では今どきの欧米ドラマでさえありがち(映画はだいぶ違ってきた、ありがとうイーストウッド監督他)な、“奇妙な東洋”が強調されていない。
なお作中で一番難しい役どころは、もちろん何をやっても珍奇の目で見られる“ザ・サムライ”三船敏郎だけど、実は冷酷な悪役を演じて所々物語をシメながらも“イケメンダンディなワル役”をクールにこなして世界中のファンを悲しませないアラン・ドロンも素晴らしい。
そして、なにを演じても同じ“漢・ブロンソン”にしか見えないチャールズ・武論尊、いやブロンソンが最後の最後まで美味しいところを引っ掴んで持ってゆく、ああ美しく男くさい予定調和。観てて案外、気持ちよくて楽しい活劇映画。「マカロニ?チャンバラウェスタン」。
もしもっと後にこの映画が作られたなら、単発ではなく「ラッシュアワー」ばりにシリーズ化したかもしれない。後半の二人の掛け合いと連携を見ながらそう考えるのも、なんか楽しい。
あ、因みに本作の初見は大昔の「日曜洋画劇場」ですが、その時より楽しめましたハイ、サヨナラ、サヨナラ、さよなら。
ワクワクの70年代スターたち
中学生だったと思う。世界の三船とアラン・ドロン、ブロンソンという3か国のスターが西部劇に出る。監督はテレンス・ヤング。それだけでワクワクし、本屋で「ロードショー」を立ち読みした記憶。
こういうお話だったのか。断片的な記憶は三船敏郎の渋さと存在感、乗馬したアクションシーンはブロンソンに負けていない、ウルスラ・アンドレスの美しい裸身、ということで見返してようやく筋道が蘇る。
話的には突っこみどころも多いけど、そんなの抜きにスターの見せ所を単純に楽しめばいい映画だね。そういったことが、きちんと監督やスタッフが分かっていて製作したとうかがえる気がする。
小学生のときに映画館で
三大スターが激突!ということで小学校の映画館で父親と一緒に観に行った映画。何しろ映画に裸の女性が出てきたためにエラく興奮してしまい、学校の図工の時間にそのまま映画をイメージした絵を描いてしまった。浅野川沿いにあった北国シネラマという映画館の名前まで書いて怒られてしまった記憶がある。
宝刀を奪い返す目的と仲間の復讐のためにゴーシュ(ドロン)を追い求める黒田。リンクは金の隠し場所を聞き出すためにゴーシュをすぐに殺すなと黒田に誓わせようとするのだが、彼は即答しない。武士道を守り抜く意固地なまでの男と西部の荒くれ者との道中も面白いが細かなコミカル演出も見ものだ。ちょっとブラックだが・・・
終盤の展開をなかなか思い出せなかったのだが、共通の敵コマンチ族が現れて3人ともに戦うといった流れだった。ブロンソンは黒田の死に対して、日本刀で十字を模り墓を作る。独り残されたブロンソンは宝刀を直接返すのではなく、電線にぶらさげておいたラストシーンも面白い。
「片目ずつ寝ている」という台詞もいまだに記憶に残ってる・・・
日本俳優三船敏郎
1860年、最初の日米親善使節がワシントンに到着した。その10年後は西から大陸横断鉄道を使った。チャールズブロンソン扮するリンクとアランドロン扮するゴーシュらは、三船敏郎扮する黒田重兵衛ら日本使節と列車を乗り合わせていた。リンクらは仲間と示し合わせて列車を強奪し金を奪った。日本使節一行は金を渡したが、ゴーシュが大統領への宝剣に目を付けた。ゴーシュはリンクを裏切り、宝剣を持って立ち去った。リンクは、重兵衛らによって助けられ、重兵衛とふたりでゴーシュを追った。果たしてふたりはゴーシュからお宝を取り返せるのか? 3大スターの共演は見ごたえあったね。凛々しい三船敏郎も良かったし、三船敏郎とからんだチャールズブロンソン、アランドロンもエネルギッシュで良かったよ。
すばらしかった
三船敏郎とブロンソンの関係が気持ちいい。アラン・ドロンの悪者ぶりも最高で、すっごく面白い。特に日本人や侍をかっこよく描いてくれていて感激する。売春宿で三船がためらわずに女を抱いているのがかっこいい。
侍・ウェスタン?
マカロニ・ウェスタンがあるなら「うどん」でも?、いや侍・ウェスタンがあってもと頭で言い聞かせるも無理がある、いかに剣の達人でも飛び道具相手では勝負にならない・・。
そこで考えたのが敵をインディアンにして槍との殺陣で本領発揮、加えて弓、手裏剣なども駆使、乗馬はおてのもの、巧みに荒れ地を下って見せるときましたか。
数々の黒澤作品で既に海外にも名の知れた俳優だった三船敏郎だがハリウッドデビュー作「グランプリ」で破格のギャラ(東宝では600万円だったがなんと1億円)に味を占め三船プロの方から企画を持ちかけたという海外進出2作目の作品。
奇抜なストーリーもさることながらアラン・ドロン、チャールズ・ブロンソンと言う豪華スター競演というだけでも話題性は十分、外国人の描く日本人のイメージは噴飯ものが多い中、切腹でもしたらどうしようとハラハラしながら観ていましたが流石に三船さん、毅然と武士道を全うしてくれました。余計な気を使うので餅は餅屋に任せた純西部劇でいいでしょう。
Bushidou
このタイトル通り『レッド・サン』とは日本のことであろう
太陽を赤く書くのは日本人だけのようなのでね
ブロンソンと敏郎が語る場面でこんな会話がある
「人は信念に従い生きる」
「金にならんさ」
「いずれ武士の時代は終わる、証も誇りも残らない」
無宗教者の多い日本が、何故今の香港のような大々的なデモをしないのか
一説によると「武士道」が関わっていると言えるらしい
他国では己の行いは全て神が見ている、神の教えに背くことをしてはならぬ
神の教えの解釈は人それぞれなのではあるけどね
武士道は己の行いは全て己の責任、嘘をつく時も己が一番知っているし悪事を働く時も己の心しだい
自分を誤魔化し信念や誇りを捨てた人間はもう武士道のカケラも残ってないのでしょうね
今の日本人ですらよく理解できない武士道を広い海外にストレートに語りかけたのがこの『レッド・サン』ではなかろうか
そしてこの精神は今の世ではジェダイの騎士に受け継がれているように思えるのは私だけだろうか。
まだチャールズ・ブロンソンもアラン・ドロンも現在のようで何よりです
でわでわ
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