劇場公開日 1987年6月13日

「トリガーハッピー映画の一里塚・聖銃M92 10/20改定」リーサル・ウェポン kokobatさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 トリガーハッピー映画の一里塚・聖銃M92 10/20改定

2025年10月18日
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鑑賞方法:TV地上波

楽しい

単純

興奮

数十年前一度観たきりのあやふやな記憶をもとに批評ともいえないコラム的話し。

しかしこの娯楽映画にはあなたの想像以上の奇天烈な構造と隠喩と映画史的役目が潜んでいるかもしれない。

話しはこの映画から大きく離れてまた戻って来る。

心的外傷により最終兵器になってしまった者が通常兵器に回帰するまでをハッピーエンドとして描いた構造。

病んだレッドネック的ホワイトが健全な中産階級的ブラックに教化されるメタファ。

80年代の経済的狂騒と政治的冷戦と社会心理的保守のメインストリートの裏で蝕まれて行ったWASPの崩壊に、何の解決ももたらさない阿片的カタルシスを完全な形で社会に提供した功績がこの映画にはある。

一方で技術的な流行りのマイルストーンの方がこの映画は重要だ。
リッグスの愛銃=Beretta M92 ファイアアームズプロップ(映画用の改造実銃小道具)がスクリーンで本格活躍し、
「映画を観ている間役者のドラマ芝居より銃の操作の正確さと発射弾数を数えている界隈」
に拍手喝采を受けた映画。

この時、まだM92は米軍正式拳銃の採用前で、米軍で他候補銃とトライアル試験中だった筈。まだトリガーガード前の補助手用滑り止めが無かったモデルの筈。
しかし採用はほぼ確定ではという噂は業界では立っていたようだ。

米国でどのアクション映画が人気であるかは、銃の描写を抜きにしては語れない事実。その重要性を日本人に諭すのは一般英国人に出汁の塩梅を会得させるより難儀(偏見)。
以下に、その難儀である日本人の皆様にこの映画におけるM92プロップのこの上無い重要性をいい加減な記憶を元にして書いていこうと思う。

***

本作のM92プロップによる名場面 、16連射の安定した動作の証明をもって、マシンガンに頼らないで済む拳銃による「トリガーハッピー」(銃器愛好家界隈で蘊蓄や競技的に難しい事を言わずに射撃そのものを単純に娯楽的に楽しむライト層またはその行為)映画の爆発的隆盛が技術的にも決定的になったと言えるだろう。

単純ブローバックマシンピストルと違い、ショートリコイルなど凝った構造のブランクアモ・セミオートピストル(映画小道具用に空砲弾でキチンと作動するように改造した実銃ベースの映画プロップ ハリウッドには専門の銃鍛冶職人がいる銃器小道具会社が存在する)を詰まらせずフルマガジン回転させるのは案外至難だという。

当時米国の拳銃人気は現実でもスクリーンでも、70年以上現役の米国陸軍正式拳銃M1911-A1=Colt Government=Colt45autoが圧倒的だった。
しかし45オートは45口径弾7発弾倉で、ヨーロッパ大型オートピストル群の9㎜パラベラム弾8連弾倉に装弾数でやや劣り、英国軍やカナダ軍で使われたブローニングハイパワーに至っては13連弾倉と大きく劣っていた。
あくまでも映画でめった撃ちした派手さの話。
実際の銃器には、経済性や弾丸汎用性や操作性や安全性や堅牢性や冗長性や整備性や命中精度や初速や飛距離や貫通力や一発あたりのストッピングパワーなどのパラメータが複雑に構成されて銃器の評価になる。

フィクションでは発射した弾数が真面目にカウントされて作られる事がない場合も多いが、好事家の作り手や観客にとってそれは我慢ならない怠慢なのだ。
しかしこのベレッタ15連装ピストルが、すわ米国軍正式拳銃となれば、バッドガイに持たされがちな外国風味拳銃に頼らず、自然に映画内でグッドガイが使える星条旗の守人の多弾装ピストルになる。

80年代前後に多くの国軍・警察で拳銃のタ弾装化が進み保守的な米国もそれによってM92の改良モデルBERETTA M92Fを米軍コードネームM9拳銃として正式採用した。
本作から数年後に主人公がM92Fを使った『ダイハード』によってM92F(M9)の人気は決定的となり現実からも映像からもColt45autoの退場は加速した。

これが映画製作において何を意味するか。
70年代までにトリガーハッピー的な映画は西部劇と世界大戦ものによっていた訳だが、ベトナム戦争以降はその影響下にあるアメリカン・ニューシネマを観て解るように戦争を能天気に描けなくなってしまった。西部劇も先住民問題が知れ渡り人種問題、公民権運動の影響下から能天気ではいられなくなった。

最早主人公が善玉で無邪気に悪党を決め付けて撃ち殺しまくる映画は手詰まりとなってしまった。
しかし大衆は社会倫理の急変に馴染む事は出来ない。それを心の底では未だ望んでいたし、製作スタジオ側もそれは判っていた。それ故に勿論儲かる術を手放す筈はない。

そこで引っ張り出して来たのが半ば過去の遺物となっていたフィルムノワールとディテクティブというジャンルだろう。要するに多くは警官と犯罪者の話しだ。
どちらも1920年代〜1950年代頃隆盛期のジャンル映画だ。
一流もあるが多くはプログラムピクチャーと言われる、製作費用も上映劇場も小さな規模の安物映画である。
しかし製作数字規模があれば優れた若い才能が集まるのは世の常で、優れた映画も多く生まれた。
私も大好物の時代とジャンルだ。

そのジャンルは小規模映画が多かったニューシネマ製作者にももってこいだったのでその中で70年代前後にエポックメイキングな作品も多く生まれた。『俺たちに明日はない』『ブリット』『フレンチコネクション』『ダーティーハリー』等々。
時代劇も作られたが、利点はなんと言っても現代劇が作りやすいところだろう。
凝った大規模セットを作らずに屋外、屋内ロケで済ます。衣装も既製服。プレプロダクションもそれ程いらない。車両も銃器も現用で手に入り易い。時事問題を入れてバリエーションや観客の興味を作れる。等々。

その警官と犯罪者のアクションムービーの系譜はそれでも能天気とは言い難く、やや陰鬱なニューシネマの時代を経て、80年代になるとポストニューシネマの反動的能天気が戻って来た。
時代はレーガン政権以降、冷戦は高まるが経済はニクソン以降ペトロダラー等の新しい効果で世界的に狂騒状態を迎えて日本でも空前絶後の無責任能天気時代となった。

その双極性障害の極みのような時代を象徴する様に現れたのが本作『リーサル・ウェポン』だ。

労働者階級白人男性主人公リッグスは戦争や家族の死というまさに上記の70年代的スティグマを生きる。
犯罪者の前では躁状態の大暴れから命知らずを発揮し、『リーサル・ウェポン』と化し危険な捜査現場で生きている限りは無双する。
しかし一度家に帰れば中産階級黒人相棒マータフの前では人格崩壊した鬱状態を晒しそれを癒やされる。
時代を象徴する憐れな双極性障害の権化の主人公。

そんなリッグスのショービズ的には時代遅れな70年代的スティグマをマータフと共に癒やす。
彼ら「ミニマルクルセイダーズのメタファ」達によって、アフター80年代からビフォア90年代に向けて「能天気エンターテイメント」という名の「聖杯」を復活させる為、社会倫理変革鬱と自己規制と映画表現上限界をぶっ飛ばす為に絶対必要な新時代のエクスカリバーが本作主人公の愛銃「ベレッタM92」なのである!

合衆国大統領や議会や法廷は聖書に手を添えて宣誓するピューリタン国家だ。少なくとも体制は。
神の御加護下の星条旗によって保証された、大衆のエクスカリバーとしての正式拳銃をアーサー王の代理人として執行する権利を主人公は獲得する。
銃とバッジによって神の付託を得た主人公は、心置きなく悪漢どもを連発メクラ撃ち、成敗しまくるトリガーハッピー映画の大量生産可能となるわけだ。

そして80年代から続く阿片娯楽映画としてのジャンル・ガンアクションムービーは一つの頂点を極めて、徐々に娯楽映画の座をCG中心の2010年代以降のコミックヒーロームービーなどに明け渡していく。

自分の予想以上に長い話しになってしまったが、40年近く観なおしていない現在、この映画にこれ以上の構造的分析と意味付けは今の私には出来ないし、おそらくそれは徒労。

好事家とよく効く阿片が欲しい人は観るべきである。
私もその二つにおいて過去十分楽しんだ。

kokobat
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