モーリスのレビュー・感想・評価
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美し過ぎる名作
ヒューグラントの美しさに最初は釘付けになりましたが、話が進む程モーリスの真っ直ぐな愛情、無垢で情熱的なキャラクターの虜になりました。
最初はクレイブ(ヒューグラント)のアプローチからはじまった関係ですが、同じ大学のゲイの先輩が捕まったことから、社会的制裁を恐れて、モーリスに対して距離をおくように…。
その気持ちはわからなくもないのですが、その後連絡も無く突然結婚し、報告の電話も友人の中で8番目だったり、まだクレイブに未練のあるモーリスに好きな女性が出来たと勘違いし、おめでとうと言ったり、クレイブのあまりのデリカシーの無さに途中ドン引きしてしまいました。
ただ、最後、モーリスが別の方を愛していると告白をした後のクレイブの喪失感あふれる表情…
最後のシーンでクレイブが窓を閉めようとした時に浮かぶモーリスの姿。
本当はクレイブもモーリスを愛し続けていたのに、あの時代に愛を貫き通すことを諦めて、自分自身さえも欺いていたのかなと切なくなりました。
歳を取るごとに、自分自身の本当の気持ちを押さえて、世の中に迎合する事ってあると思います。
この映画の前半は、そんな事考えもしなかった無垢な時代を思い出させてくれたし、後半は世の中に迎合しつつも、どこか自分を欺いていく生き方(クレイブ)と、自分を貫いて傷つき迷い苦しみながら進む生き方(モーリス)を魅せてくれます。
自分自身が実際モーリスのように生きていけるか、難しいと思います。
だからこそ、モーリスの存在自体が最後まで魅力的にうつりました。
とってもとっても尊い映画でした。
引きずり込まれた、モーリス
1895年にオスカー・ワイルドが破滅し、フォスターが原作を執筆したのが、1913年なので 死後の出版(1971年)になったのが、わかる
生涯独身で ゲイが足枷になっている
20世紀初頭の英国(フォスター執筆と同時期)
先輩のリズリーが「風俗壊乱罪」なる罪で、世間から抹殺されるのだから、クライブ(ヒュー・グラント)の恐怖も理解できる
リズリーは ワイルドで、クライブ はフォスターというところか
リズリーやクライブには、やや 先天的な資質を感じるが、モーリスは環境によって 同性愛に引きずり込まれた様な気がして、気の毒にも思う
(今後の苦労を思うと… )
リズリーやクライブの 知性や教養、その華やかな存在に眩惑されてしまう モーリス
魅力的な友人を 後追いしているうちに、(後天的)ゲイになってしまった
そして ジャガイモの様に素朴なモーリスに、リズリーもクライブも 惹かれてしまうのだから… (アレックまで… ) 無垢って、怖い
そして、変なオジサンに 迫られたりもする!
リズリーとクライブは 苦しみながらも 自己分析ができ、趣旨替えをしようが しまいが その選択に納得は出来るだろう(たとえ、破滅しても)
置かれた状況を イマイチ理解できていないモーリスに 一抹の不安を感じる
クライブが窓の外を 見つめて ふける想いは
モーリスへの愛か、喪失への悲しみか、
それとも、彼を引きずり込んだ 自責の念だろうか?
無垢で 純粋なだけに 怖さも感じるだろう
(召使たちの観察眼も 怖い!)
無垢で純粋は 美しいが、実社会では「愚かさ」の同義語にもなり得る
自己分析の 出来ないモーリスが 怖い
リズリーの弁護を 引き受けられなかった、クライブの自己保身を 責めることは出来ないが、無垢なモーリスを引きずり込んだ責任(罪)は 本人も忘れられないだろう
いまや、モーリスはクライブの後追いもせず、激情にかられ クライブの 手の届かない所へと、行ってしまった…
運命といえば 運命なのだが
脚本も撮影も、男達も美しい、完成された映画になった
リズリー、クライブ、モーリス、アレックス、皆 ぴったりの俳優を配している
特に クライブ役のグラントは 光と影を持った美しい青年で、モーリスでなくとも 魅了される
ちょっと タレ目の優しい瞳に 知恵(狡さ、保身、とも)が感じられ、クライブの成功を予感させる
ジェームス・アイボリー監督の 人を見る眼と美意識が、存分に感じられる映画となった
駆け出しの、ヘレナ・ボナム=カーターも ちょこっと 顔を見せている
今になってわかりました。
高校生の時に初めて観て、美しさとその切なさに感動し、映画館に通い20回観た作品です。家でビデオでも観ていて母と弟にバレて怪訝な顔された想い出もあります。
プラトニックの純粋さと、でも成就しない切なさに、今で言う胸がキュンとしました。
30年ぶりに観てあらたにわかったことがあります。最後のクライブが窓の外を遠く見つめるシーンです。
昔は、モーリスにサヨナラを想っているのだと考えてましたが、久しぶりに観て違うと思いました。
クライブはきっと、偽りのアンとの結婚をしながらも、モーリスとプラトニックを続けられる、モーリスは永遠に自分のものだと思っていたのだと思います。それが、モーリスは別の愛を見つけて去って行ってしまったので、それが信じられず混乱したのだと思います。最後の大学でのモーリスの回想は、もう一度呼びかけてくれ、なんだと思います。
私にとってのその後は、やっぱりモーリスとクライブは結ばれる、です。今になってわかりました。
というように、この映画は私を構成している一部です。
君がいれば
終盤にモーリスが言ったセリフが全てのような気がしました。
たとえ、罪になろうと、地位や名誉を失おうと、
愛する人が隣にいることが何よりも幸せなことなのでは?
モーリスとアレックは全てをかなぐり捨て、それを貫いたところが素晴らしかった。
あの後に、同性愛が罪にならなかったフランスやイタリアにでも行ったのかもしれませんね。
一方で、クライヴはラストに見せるあの複雑な表情が全てを物語っていた。
窓の向こうに愛するモーリスを思い浮かべながら、
罪を恐れ、家柄を守り、自らを保身し、好きでもない女性と結婚して果たして幸せだったのか、
と自分自身に問いかけているかのようでした。
モーリスとアレックは自分の心に正直になった。しかし、クライヴは社会や自分に勝てなかった。
どちらが幸せな生き方だったのかは、一目瞭然ではないでしょうか。
美しい青年たち、美しい映像、美しい言葉は今も色褪せない。
時代に翻弄された英国美青年たちの
美しくも切ない恋愛模様を描いたLGBT映画の名作だと思いました。
若ヒューグラントたまらん
デジタルリマスターということで。
日の名残りとおんなじ感想ですが、若ヒューグラントかんわいい…
たれ目の美青年が同性愛って、内なる腐り成分を否定できない女の身には、たまらんものがあります。
えー、モーリス(金髪の主人公)は大学でクライヴ(若ヒュー)と出会いひかれあいます。
まあ、かわいらしいいちゃいちゃぶりですが、時は1900年初頭のイギリス。同性愛は犯罪の時代です。隠すしかありません。
そんな折、二人の共通の友人が、同性愛行為を摘発され、逮捕されます。
そのことに恐れをなしたクライヴは、モーリスとの関係を清算し、女性と結婚します。
当然モーリスはショックを受け、結構取り乱します。
クライヴは結婚後もモーリスと友人関係を保ちますが、モーリスとしては自分の性的志向にあらがえないので、クライヴんちの使用人男子と関係を持ちます。
んで、結局モーリスは使用人男子と一緒になったと思います(出国するんだったかなどうかな?)
ついにクライヴはモーリスを失ったというわけです。
話の筋、展開は、正直さよでっかという気持ちです。
ただ、若い人が恋と人生に翻弄されるというのはこういうものだよなっていう普遍を見出し、
1900年初頭(第一次世界大戦前)の同性愛の社会的扱いを思えばの、同情とが沸き上がりました。
また、この映画は1987年の作品ですから、2018年とその時代との差異にも思いが巡りました。
ダウントンアビーの使用人トーマスバローもゲイとして登場し、1910年代から20年代のイギリスにおいて、苦しみながら生きているのですが、
2010年代に作成された物語らしく、ゲイであることを知られながらも生きていけていることと比べても、見ました。
モーリス役の人が、その後のフィルモグラフィーが全然出てこない方で、
いまどうしてはんにゃろかとも思いました。
とりあえず、若ヒューの美貌を堪能したということです。
ラストの
窓の外を眺めるクライブが切ない。人を愛する愛することに汚いも罪もないのなと思いながらも全体的に切なくなるお話でした。
最初は上映時間が長いので観ようかどうか迷ったのですがあっという間という感じで面白かったです。
永遠に残るもの
ポスターはヒューグラント推しだけど、モーリス役のジェームズウィルビーの瑞々しさが心に残った。素朴で控えめな学生時代、友人に感化されて少し悪ぶってみる純粋さ、愛を確信した時の無邪気さ、自らの性に苦悩し影を帯びてゆく青年時代。
窓がとても効果的に使われていて、窓から忍び込んできたモーリスは愛を打ち明け、一方でクライヴは最後に窓を閉める。窓の向こうに見えるのは、真っ直ぐに自分を呼ぶ過去のモーリスの姿。おいでよという声に応えられなかった彼のこれからの人生はあまりにも長い。でも確かにあのとき彼らの心が繋がっていたことと、その記憶は永遠だ。
同性愛が描かれてはいるが、誰かと心を通わせたことがあり、それを失ったことがある人ならば、胸に迫るものがある映画だと思う。
クライヴがモーリスにそっと抱きつく姿は、友情と愛情のあいまいな境界のゆらぎがよく現れていて胸を締め付けられるし、モーリスとアレックのお互いを警戒しながらも惹き合っていく流れも緊張感と高揚が伝わってくる。
また、ケンブリッジ大学の当時の学生生活が美しく描かれているのも魅力だ。知的な会話、ふざけ合い、歴史ある校舎、授業での論争…。日本の明治の大学風景もぜひいつかこんな美しさで再現してもらいたい。
上流階級の暮らしぶりもリアルに描かれ、永遠にこの暮らしが続くと思っている彼らの背後で、南米へ移民するなど労働者階級が力をつけつつあり、時代のうねりを予感させている。
上流階級の彼らは使用人を対等な人とは思っておらず、ロボットかなにか、自分のために働いてくれる感情のない存在としていつも接している。
そんな人生を受け入れているわけではないことが、アレックの愚痴によって示唆されている。執事の彼はクレイヴに警告するためにあの話を持ち出したのだろうし、カーペットの泥でモーリスに昨晩何があったのかにも気がついたのだろう。
オープニングの先生の話と、後半の再会の意味がよくわからなかった。モーリスは先生に名前を聞かれ、とっさに「スカダー」と名乗るんだけど。。
「君の名前で僕を呼んで」に呼応するストーリーで、同時期に観られたことがとても幸福に感じた。
わかれ道のその先は
80年代の英国美男子ブームのきっかけを作った作品としても名高い「モーリス」(もう1作は「アナザー・カントリー」と言われている)。今回のリバイバル上映まで鑑賞したことはなく、てっきり美しく麗しい青年の睦み合いを拝むものかと思いきや、ストーリーは寧ろ、モーリスとクライヴという青年二人が離別した後の道のりに重きを置いていた。
同性愛が犯罪であった時代。良く知る人物が同性愛の罪で逮捕され重罰に処されたのを目の当たりにし、二人はお互いの関係からほんの少し腰が引けてしまう。そしてクライヴは女性と結婚をする道を選択し、モーリスはそれでも愛したクライヴの面影を追いかけながら自分の性的な嗜好に正直に(もちろん表向きには見せないが)生きる道を選ぶ。順風満帆に見えるのはクライヴの方だ。何不自由ない結婚をし、幸せな家庭を築いている。モーリスはと言えば、自分の性的嗜好に悩み苦しみ傷だらけになりながらその後の人生を生きている。ほんのひと時、同じ時間を共有したはずの二人は、以降正反対の人生を送ることになる。確か、先に想いを告げたのはクライヴの方だった。モーリスは寧ろ最初は怖気づいた方だった。しかし後になればクライヴは過去に蓋をして前を向き、モーリスの方が過去にとらわれ続けている。
そんな対極的な人生のその先に、モーリスはついにクライヴ邸の若い猟場番アレックに安らぎを見出す。人には決して言えない関係だけれども、モーリスはようやくひとつの愛にたどり着く。そしてそれはクライヴが遥か昔に手放し諦めた愛だった。自分には決して手に入れることはできないだろうと早々に捨てた愛を、まさに目の前で手に入れたモーリスの姿に、クライヴは呆然と立ち尽くしてしまう。それがラストシーンの窓越しのクライヴの表情に表われる。
私自身、クライヴの選択が正しいように感じながら物語を見ていたし、モーリスの傷つきながらしか生きてゆけない生き方をある種憐れんで見ていた部分もあった。しかし、最後にモーリスが手に入れた愛を見せつけられ、クライヴが思わず呆然としたのと同じ気持ちになった。回り道をし、傷だらけになったけれど、望んでいた愛にたどり着いた者。早くに愛を諦め、表向きの幸せを掴む道を選んだ者。どちらが正しいか、どちらが幸せかを考える時、映画の中腹でそれを問われるのと、ラストシーンの後に問われるとのできっと答えは変わるだろう。そしてクライヴもそのことを思い知らされたのだろう。大学時代に選択したわかれ道のその先。どちらも不幸でどちらも幸福だとしても、自分を偽って手に入れた幸せより、傷だらけでも自分に正直な姿で手に入れた幸せの方が美しく見えるもの。そんな問いかけを感じる一作だった。
モーリス4K
30年前も見ましたが、4Kのキレイな映像で見ると改めて伝説の名作でした。
すごく懐かしかった~
でも映画の画像がヒュー.グラントが主役みたいな扱いで、知らない人はモーリスがヒュー.グラントだと思ってしまうと思います。
それだけがモヤモヤ
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