劇場公開日 1950年11月7日

「占領下のレジスタンスを冷徹に描いたネオレアリズモ映画の衝撃作」無防備都市 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5占領下のレジスタンスを冷徹に描いたネオレアリズモ映画の衝撃作

2022年5月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

第二次世界大戦末期にイタリアは混乱と苦難の特殊な事情に置かれて、それは占領したナチス・ドイツ軍の残虐性を如実に表していると思う。敗戦国イタリアに対してナチス・ドイツが補強した政治は、主人としての地位を思う存分悪用するものだったという。それに対するレジスタンスの記録として制作されたのが、この映画史に画期的な変革をもたらしたネオレアリズモを象徴する『無防備都市ローマ』である。ゲシュタポと戦う反ファシスト地下運動の記録を基に、小説家セルジョ・アミディがまとめた脚本には、まだ無名のフェデリコ・フェリーニも参加している。デ・シーカやヴィスコンティとはひと味違うロッセリー二の演出には、敗戦後の社会不安の悪条件の中、現実を直視した映画制作を敢行する意欲と情熱が直に伝わる。題材は違うが、同じ戦時下に作られたフランス映画の大作「天井桟敷の人々」に感じた映画に賭ける力強いエネルギーに圧倒されてしまった。

それは俳優たちの真剣な表情を観れば明らかであろう。レジスタンスの緊張した心理状態は刻々と変化を見せて、インサートされる残虐非道なナチスのベルクマン少佐のシーンと対比されて緊迫感を深めていく。地下運動の指導者ジョルジオがゲシュタポに追われ同志フランチェスコのアパートに逃げ込む発端から、彼らの良き協力者でもあるドン・ピエトロ神父が反逆者の宣告を受けて無残に銃殺刑にされるラストまでの男も女も、そして子供たちまでも、それは演技の枠を超えて迫真の表情を見せる。ロッセリーニの演出力と、この状況下にいたイタリア人が本来持っている表現力の豊かさの賜物であろう。特にフランチェスコがナチスに連れ去られ、追い掛ける婚約者ピーナが殺されてしまうシーンのアンナ・マニヤーニの演技と、それを捉えた臨場感のある鋭敏なカメラワークは、残虐そのもので衝撃的だった。劇映画(フィクション)のドラマティックな演出とは違う、このリアリズムの迫真性に公開当時はもっと衝撃を受けたのではないだろうか。そこに至るまでのピーナの行動力や生活感が確りと描かれているからこそ、そのシーンが更に訴える力を持っている。そしてピーナの息子マルチェロが泣き叫ぶ悲劇の場面は、イタリア映画のひとつの特性を表していると思った。オペラの国イタリアの正しくドラマの感情表出。
恋人マリーナの裏切りによってゲシュタポから凄惨な拷問にあうジョルジオ、対してピーナの孤児との別れを惜しんで逮捕を逃れたフランチェスコと、緊迫した攻防の中のそれぞれの命運がリアリズムの真実味とドラマの両面を構築している。ロッセリーニ監督の演出は、室内シーンを安定したカメラワークで撮り、屋外ではカメラの揺れを意識したドキュメンタリー技法で張り詰めた臨場感を印象付ける効果を狙って、独特なドラマを創作することに成功を収めたと言えるだろう。

冷徹な視点によるリアリズムの映画ではあるが、その根底には敗戦から占領の混乱を経験した母国イタリアの人々に対する、作家としての熱い想いがある。そこに私は、ロッセリーニ監督の良心を見た。イタリアが最悪の状態から、このような感動と衝撃のネオリアリズモを世界に知らしめた時代の証明は、とても意味があると思う。レジスタンス運動で命を落とした人々への鎮魂歌も含めて。役者では、名女優アンナ・マニャーニを筆頭に、ドン・ピエトロ神父のアルド・ファブリーツィ、ジョルジオのマルチェロ・パリエーリが特に素晴らしく、称賛したい。

  1978年 6月5日  フィルムセンター

Gustav