民衆の敵(1931)のレビュー・感想・評価
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ギャング映画の古典として、今なお輝きを放つ傑作だ。
倫理的な価値観が今よりも遥かに高いハードルだった公開当時(1931年)に、低俗な題材とみなされたギャングを、リアルなタッチで描き切り、描くに値するテーマとして押し上げた名作だ。
裏切りへの復讐を果たし、理不尽な仕打ちには、手段を問わず戦う一方、家族を愛し、友を愛するアウトローという描き方を、いち早く取り入れたことは、後世の犯罪映画に極めて多大な影響を与えている。
本作の価値に大いに寄与した、ジェームズ・キャグニーの突出した存在感と熱演は、触れないわけにはいかない。ジーン・ハーロウも、後の成功を予感させるに足りる、とても良い印象を残している。
若いギャングの荒々しく生々しい生き様を、巧みな語り口で最後まで一気に見せてくれる。数多くの実録ドラマの作り方にも、大きな影響を残していると思う。ギャング映画の古典として、今なお輝きを放つ傑作だ。
ジェームズ・キャグニー‼️
恐るべき早口で、それこそマシンガンのように台詞を繰り出すキャグニーの滑舌と仕草、表情は、当時の誰も観たことのないリアリティだったと思います
邦題は、原題のパブリック・エナミーをそのまま訳しただけのもの
同名のヒップホップグループがいるので、そちらを思い出す向きもあるでしょうが、本作とは関係はありません
「犯罪王リコ」は同年1月公開
「民衆の敵」本作は1931年11月公開
「暗黒街の顔役」は1932年3月公開
どれもワーナーブラザーズの作品
この三作がギャング映画の始祖と言えるでしょう
本作では「犯罪王リコ」のエドワード・G・ロビンソンにも負けないジェームズ・キャグニーの強烈なキャラクターが炸裂しています
サイレント映画の残滓はどこにもありません
現代の映画はこの作品群から始まったと言っても過言ではないと思います
映画のイノベーションだったのです
ヘイズ・コードという米国映画の自主規制は正式には1934年からのことですが、1930年には規制条項が業界紙に掲載されています
つまり検閲を受けることを、作り手側はすでに意識し始めている時期だったと言うことです
だから直接的な剥き出しの暴力をそのまま観せることがないのは「犯罪王リコ」と同じです
しかし本作ではさらに進んで、わざと見せないということで逆に怖さの効果を増すというテクニックに進化させています
直接的な剥き出しの暴力は画面には見えなくとも、展開されているのです
その結果を観て観客はそれぞれがその過程を想像してしまうのです
北野武監督作品のギャング映画が、本作の直系の子孫であることが、本作を観ればすぐに感じ取れると思います
恐るべき早口で、それこそマシンガンのように台詞を繰り出すキャグニーの滑舌と仕草、表情は、当時の誰も観たことのないリアリティだったと思います
土砂降りの雨の中のクライマックスは、「ブレードランナー」の絵作りを思い出しました
絶対に観なければならない映画のひとつです
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