「超管理社会の小役人は電気ケトルの夢を見るか」未来世紀ブラジル レントさんの映画レビュー(感想・評価)
超管理社会の小役人は電気ケトルの夢を見るか
20世紀のどこかの国を舞台にした本作。今や過去の時代となった20世紀。現実は未来を追い越してしまった。
今、本作を見てみると描かれたこの国がどこの国なのかがわかってなんとも監督の先見の明には驚かされる。監督はディストピアを描きたかったようで実は現在の世界そのものを描いていた。
本作初見時はSF好きの十代の少年でブレードランナー同様その描かれたディストピアに魅了された記憶がある。今見直すとさらに本作のメッセージが深く理解できて面白い。
親のコネで中央政府の記録省に勤めるサムの日常は書類に埋もれた退屈な仕事の繰り返し。常にスモッグで覆われた薄暗いこの世界にうんざりしていた。
彼はそんな現実から逃避するかのように毎晩夢を見続けた。その夢では彼はいつも真っ青な大空を鳥のように自由に飛び回る鎧をつけた騎士の姿をしていた。
彼は夢の中ではなにものにもしばられない自由を謳歌できた。そしてその夢で必ず会う美しい女性、彼は彼女に恋をしていた。
目覚まし時計の故障で寝坊した彼は上司の怒鳴り声でたたき起こされる。中央政府(センチュリーサービス)により完全管理された監視社会。完璧と言われるセンチュリーに管理されて生活は便利で安全安心なはずだが、なぜだか全自動朝食メーカーの調子はおかしい。
政府の情報剝奪省のオフィスではたたき潰した虫の死骸がタイプライターのキーの隙間に落ちてタイプミスの誤作動。テロの容疑者タトルがバトルと誤って伝えられ、普通の市民が秘密警察に逮捕されてしまう。上の階の住人の女性が誤認逮捕だと訴えても政府に間違いはないの一点張り。
完全な管理社会ながらどこか間の抜けた社会。杜撰な管理でミスも多いがけしてミスを認めようとはしない。
20世紀のどこかの国、社会は常に爆弾テロに恐れおののいていた。今日もどこかで爆弾騒ぎが起きている。その容疑者とされるテロ犯のタトルを情報省は追っていた。
情報管理の重要性を訴えて情報省につぎ込まれる予算はもはやGNPの7%にまで膨れ上がっていた。経費節減のために容疑者とされた人間の留置費用や拷問にかかる費用が本人または家族に請求される。
そもそも爆弾テロと言いながらいまだ犯人は一人も逮捕されていない。市民の安全を守るために情報省は重要だとうそぶく情報省次官のヘルプマン、しかしテロ撲滅運動はすでに13年目に突入、そんなに経つのかととぼけるヘルプマン。
テロ犯として指名手配されているタトルはただのフリーの配管工だった。センチュリーが独占するメンテナンスを無断で請け負っていただけの。
終盤囚われのサムを救いに秘密警察と大立ち回りを見せるがそれもサムの夢の中の話。最初からテロ犯なんていなかったのだ。
爆発騒ぎは老朽化したインフラの配管がいたるところでガス漏れを起こして引火し爆発を起こしていたにすぎなかった。
テロを理由にすれば情報省は潤沢な予算を得られる。テロとの戦いを口実に市民への監視も許される。どこかで聞いた話だ。9.11以降のアメリカの姿そのものじゃないか。
当時監督のテリー・ギリアムへのインタビューによると彼は元々アメリカ生まれ。彼が育った50年代から60年代のアメリカは激動の時代。50年代はマッカーシズムが吹き荒れ、皆が共産主義者を密告し合うような魔女狩りを彷彿とさせる時代、またベトナム戦争を大きく進めたジョンソン政権下ではギリアムは反戦デモに対する武力弾圧に巻き込まれて警官から暴行を受けたという。
そんなアメリカに愛想が尽きて渡英したギリアムはモンティパイソンに入り映画監督になつたという。
本作は当時のソ連の様な全体主義国がモデルと思われたが実は彼が愛想をつかしたアメリカがモデルだという。
確かに自由民主主義ながらまるでソ連のように密告が繰り返された赤狩りや反戦運動に対して武力弾圧するその姿。それはなんら全体主義国家と変わらなかった。
イデオロギーを理由に独裁国家か否かなんて判断できない。ドイツもナチス政権になる直前まで優れた民主主義国家だったし、アメリカも自由民主主義と言いながらいまや独裁国家に変貌する勢いだ。問題はイデオロギーではなくそれを理由に独裁を強いる人間にある。本作が描いたディストピアはまさにアメリカの姿そのものだった。
誤認逮捕の容疑者バトル氏が拷問に耐えきれず途中で死んでしまったために家族に請求した拷問費用が余ってしまい、その費用を返還するためにサムは彼の家族の下を訪ねる。するとその上の階の住人こそ夢の中の彼女だった。
彼の中の夢が現実となった。夢の中では騎士の彼は囚われの彼女を救い出そうとする。現実世界でも誤認逮捕を訴えた罪で容疑者とされていた彼女を剝奪省から救おうとするサム。彼の中で夢と現実が次第にリンクしてゆく。
彼女との逃亡に成功したと安心したのもつかの間、彼は囚われの身となってしまう。拷問される直前タトルが現れ救出されたサムは彼女と共に美しい自然に囲まれた農場でいつまでも幸せに暮らした。
サムの夢の中の願いが現実になった瞬間だった。夢が現実に、いや正確には夢を無理やり現実にしたというべきか。本当の彼はまだ拷問の椅子に縛られたままで、すでに洗脳手術が施され廃人のように無表情のままだった。心ここにあらず。彼の心は遠く夢の世界に旅立ってしまった。悪夢のような現実から逃れて心の奥深くにある夢の世界へと。
映画マトリックスのように意識だけが夢のような住みよい世界にいられるようなそんな技術がもし開発されたら、今の時代においてもみんな利用したいと殺到するんだろうなあ。どんなに現実がディストピアでも心はずっとユートピアにいられるんだから。
悪夢のような世界で運命に翻弄される一人の男を通して監視社会の恐ろしさを描いたディストピア映画の金字塔。
サムが隣の部屋の同僚とデスクの引っ張り合いをしたりするシーンなど細かいギャグも笑えて、暗いお話だけどサンバミュージックが気分の落ち込みを防いでくれるファンタジーなディストピアものでもある。