「巨大ドームでのテロリスト襲撃以降を夢・幻とした設定に納得出来なく…」未来世紀ブラジル KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
巨大ドームでのテロリスト襲撃以降を夢・幻とした設定に納得出来なく…
難解な記憶の作品だったが、
ポストモダン建築としても話題になり、
この映画の舞台となった
リカルド・ボフィル設計の、
神殿のようで未来建築のようでもある
マルヌ・ラ・ヴァレ「アブラクサス」を
かつて訪れたこともあったので、
その懐かしさからも再鑑賞した。
しかし、約40年前にこの映画を観た時は、
もう少し長く画面に登場していた記憶が
あったのだが、今回観直してみたら、
たったのワンショットの描写だったことに
気付かされ、自分の記憶の不確かさには
愕然としてしまった。
更には、映画の内容についても、
ブラックなファンタジーとの印象くらいで、
ロバート・デ・ニーロが出演していたなんて
ことも覚えていないくらい、そのほとんどを
忘れていたことにも気付かされた。
それにしても、映像的には
しっかりと資金投入したと思われる
シュールな描写の連続には大変驚かされた。
しかし、私にはとっては
大変困った再鑑賞ともなった。
何が不満かと言うと、
ラストシーンまでは、
管理社会への批判的作風として
陶酔しながら観ていたのだが、
一つの設定から夢から覚めてしまった。
それは、終盤の巨大ドームでの
テロリスト襲撃以降の話が、
主人公の幻想(嘘)であることが示された
設定だ。
この作品、一方では、大空を飛ぶ主人公が
天使のような娘の夢を見るシーンが
事前に何度も挿入されていた。
そうすると、これまでの全ての物語も
実は、夢や幻であって、
全体のストーリー自体が
信頼に足りないものと思わせてしまうのは、
管理社会批判作品の一貫性としては
どうなのだろうか。
エンディングの一部として
希望的要素を織り込みたかったのだとは
思うのだが、
ここはテロリスト襲撃から娘との逃避シーン
をバッサリとカットして、
希望的要素の織り込みは
別に考えるべきではなかったろうか。
どうせ不条理な世界に浸るのであれば、
「ユージュアル・サスペクツ」のように、
全てが嘘でした、と“美しく”
私は欺されたいのだが。