劇場公開日 1986年10月10日

「【炸裂するテリー・ギリアム・ワールド】」未来世紀ブラジル ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0【炸裂するテリー・ギリアム・ワールド】

2021年10月31日
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この作品が劇場公開されてから、もう30年以上だ。

実は、”今”の方が、この作品の意図みたいなものが、もっと大きな意味を持って”炸裂”するように感じるのは僕だけじゃない気がする。

当時は、ジョージ・オーウェルの「1984」的だと言われたりしていて、テリー・ギリアムも、そこからインスパイアされたことは否定していなかった。

しかし、当時、現代的だなと思ったのは、こうしたシステム化された社会に対抗する手段として、テロを取り上げたところだった。

日本でテロに注目が集まったのは、もっと後の1995年のオウム真理教地下鉄テロ事件だと思うし、テロへの恐怖が最大化したのは、911同時多発テロだった。

だが、既にIRAなどのテロへの警戒感は欧州では広がっており、国際政治学の世界では、1980年代半ばに、国際社会はテロには無力だと警鐘を鳴らす人は少なくなかった。

テリー・ギリアムは、この作品のテーマは、過度に統制化された人間社会の狂気と、これに対する、なりふり構わない逃避欲求だと述べていて、当時は、ソ連を意識していたとする見方が大勢だった。

だが、その後、テロどころか、経済の行き詰まりで、ソ連は自ら瓦解してしまう。

そして今。

「未来世紀ブラジル」のテーマとされた”過度に統制された社会”は、中国や一部の国を指し示すと笑ってはいられない状況だろう。

教育勅語の暗唱を道徳教育の柱としようとする極右政治家。それに「未来世紀ブラジル」で取り上げられる改ざんは、安倍晋三政権下の公文書の改ざんを想起されるではないか。

アルゴリズムによって嗜好をチェックし購買意欲を最大化させることを止めようとしないネット企業。SNSの誹謗中傷を、どうせだったら嫌気して、愚民は買い物でストレスを解消してくれればいいのだと考えているに違いないのだ。

民族至上主義を煽り多様性を拒否するポピュリズム政治家。女性の社会進出にも警戒心が強く、多様性を理解する脳みそなど、もとからないのだ。

まるで、バカが、”思考”という人間に高度に付与された能力を拒否しして、他の人にもバカになるように促しているような気がする。

テリー・ギリアムは、こうした統制された社会の狂気がテーマとしているが、”狂気”はちょっと聞こえが良くて、本当はバカなだけだろうと強く思う。

さっそうと現れるロバート・デニーロ演じるタトルは、見た目とは異なるかっこよさがあるが、「未来世紀ブラジル」のように統制社会の狂気を打ち砕く手段がテロだけだったとしたら悲しい。

「未来世紀ブラジル」で描かれるコネは、どこか日本の代々政治家チックのようにも見える。

若返りの手術を繰り返す母親は、高額な化粧品でお肌の手入れを欠かさない女性のメタファーだ。

身体を動かしたり、社会とかかわりを持ったり、興味を幅広く持ったり、勉強したり、どうすれば世の中が良くなるのか考えたりするのは、何も若者だけの特権ではあるまい。

象徴的に取り上げられる天使や大魔神との戦いとのシーンは、ちょっと陳腐に見えなくはないが、今見てもかなり面白い作品だと思う。

これを大画面で観る機会が来るとは思わなかったので、これも含めて加点!

ちょっと大盤振る舞いかな。

ワンコ