「バカバカしい覇権争い」水の中のナイフ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
バカバカしい覇権争い
若者がブルジョア夫婦と共に一泊二日のヨットの旅に出る。些細なものごとが原因で若者が海に落ちる。ブルジョア夫婦の夫は若者が死んだものと思い狼狽するが、妻は若者が生きていることを知っている。この至極単純な映画に求心力を与えているのはイニシアチブのめまぐるしい変転だ。
冒頭、夫のアンジェイは妻のクリスティナの下手な運転ぶりを見咎め、彼女を助手席に追いやる。このときアンジェイがクリスティナを見下していることは容易に読み取れる。しかし間もなく車の前に一人の若者が飛び出してくる。「アンジェイ>クリスティナ」という不等式に突如として闖入してきた若者に対し、アンジェイははじめ罵声を浴びせかけるが、ふと落ち着きを取り戻したように彼を車に乗せてやる。それどころか一緒に自家用ヨットで旅をしないかとさえ持ち掛ける。相手が貧乏な学生であることを悟ったアンジェイは、彼に自らのブルジョアぶりを顕示することで先の自分の狼狽ぶりを清算し、「アンジェイ>若者、クリスティナ」という構図を作り上げようと画策するわけだ。
一方で若者はなかなか自身の手の内を明かそうとしない。無論アンジェイに跪拝することもない。関係のイニシアチブは徐々に若者のほうへ傾斜していく。若者が大事そうに持っているナイフという小道具もどこか危うげだ。かと思いきや若者がカナヅチで泳げないことが発覚する。それを知ったアンジェイは彼を海に突き落とすフリをして再び優位に立つ。その後もアンジェイと若者の駆け引きは続き、そこにクリスティナという女性表象=聖杯をめぐるホモソーシャル的闘争のニュアンスも加味されていく。
翌日、上述の通りアンジェイはふとした小競り合いが原因で若者を川の中に突き落としてしまう。しかし若者はいっこうに浮上してくる気配を見せない。アンジェイは泳いで彼を探しに出る。しばらくすると船上で待機していたクリスティナのもとに若者が現れる。彼は実は泳ぐことができたのだ。クリスティナとやっと二人きりになれた若者はいよいよ彼女を手籠めにする。しかしクリスティナは彼に従属するどころか、行為が終わるや否や若者を船から追い出してしまう。毅然とした態度で岸辺に戻っていく彼女を木場から茫然と見送る若者。クリスティナは岸辺に戻ってきたアンジェイとともに湖を後にする。当然アンジェイは若者が生きていることを知らない。クリスティナが「怖がってるんでしょ?」と尋ねる。アンジェイは言い淀んだのちに「怖がってるさ」と白旗を振る。すったもんだの駆け引きの果てに当初の関係性の不等式は完全に逆転してしまったというオチだ。冒頭と同じ車中のショットで冒頭とは真逆の情けなさを露呈させるアンジェイに思わず笑ってしまう。