「19世紀半ば、南北戦争前の米国ルイジアナ州。 広大な農園ファルコン...」マンディンゴ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
19世紀半ば、南北戦争前の米国ルイジアナ州。 広大な農園ファルコン...
19世紀半ば、南北戦争前の米国ルイジアナ州。
広大な農園ファルコンハーストの主であるマクスウェル(ジェームズ・メイスン)の生業は「黒人奴隷繁殖牧場」。
黒人女性に赤ん坊を産ませて、育てた後に奴隷商人に売る。
用済みとなった男性奴隷も女性奴隷も、また奴隷商人に売る。
そして、新たな奴隷を買い入れる、というもの。
ひとり息子のハモンド(ペリー・キング)は、6歳の時、母の死にショックを受けて落馬事故を起こし、右脚に障がいを得ており、そのためか少々気弱な部分がある。
そんなある日、遠縁の大地主・ウッドフォード少佐から5000ドルの借金の申入れがあり、申し出を受ける代わりに、少佐の娘ブランチ(スーザン・ジョージ)をハモンドの嫁に迎える入れることにする。
しかし、新婚初夜にブランチが処女でなかったことが判明し・・・
といったところからはじまる物語で、19世紀米国南部の奴隷制度を糾弾するような舞台設定であるが、真摯な社会派映画ではなく、本質的には扇情的なメロドラマである。
ブランチに失望したマクスウェルは、以前、他家の主人から夜のお伴に供された黒人奴隷エレン(ブレンダ・サイクス)を買い受け、情事を続けるうち、ブランチに対して失った愛情をエレンに向けるようになる。
一方、愛情を喪ったブランチは、酒に溺れ、欲求不満だけが高ぶっていく。
そんなある日、ハモンドが奴隷売買のために不在となったときに、ブランチは嫉妬心から、「マンディンゴ(純潔で屈強な黒人奴隷種、の意)」として買い取られ、ハモンドの誇るべき勇猛な男性奴隷・ミード(ケン・ノートン)と関係を持ち妊娠してしまう・・・
映画は、この後、悲劇的結末を迎えてカタストロフィ的に幕を閉じる。
白人と黒人の人種間対立、男性と女性の性差対立があるようにみえるが、映画の根底に流れているのは、強烈なマチズモ(男性性至上主義)で、それもホワイトマチズモともいうべき、白人社会におけるマッチョ思想であろう。
右脚に障がいを抱えたハモンドは、いくら美形といえども、ミードの輝くような肉体美には敵わない。
輝く肌で優美な仕草のエレン(特に終盤、ルビーのイヤリングをつけた彼女の美しさ!)と比べると、酒に溺れて病的に萎んでいくブランチの姿の何たる不健康さ。
白人は黒人より上、なかんずく、男性は女性より上である、上であるべき、上でなければならない、上であることは当然である・・・
それは、疑念を挟むべきものではない。
そういう観念に支配されたおぞましき世界・・・
それを、リチャード・フライシャー監督は、ぬめり気のある画面を通して、強烈に描いていきます。
ハモンドとミード、ブランチとエレンの対比。
かてて加えて、ハモンドとブランチが持つ同一性を、コインの表裏であるかのように、描くのに用いられるのが、寝室の鏡。
そこでは、一度たりとも夫婦の営みは持たれなかったが、ハモンドとブランチが罵り合うシーンは、一方を鏡の中の鏡像として捉えることで、根っこの部分(ルーツ)は同じことを表わしている。
(物語上、ハモンドとブランチは遠縁という設定なので、まさしくルーツは同じである)
米国暗黒史を描いた三大映画の1本として数えることができるが、45年の時を経て、「いま観るべき映画」になったかもしれません。