マリア・ブラウンの結婚のレビュー・感想・評価
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とにかくハンナ・シグラを見つめ続ける
ファスビンダー作品は、かつてドイツ映画回顧展でまとめて観たことがあるが、この人気作は見逃していて、今回初見。「ブリキの太鼓」や本作で、ニュージャーマンシネマが一気にクローズアップされていたことが懐かしい。
空襲下、ヒトラーのポスターが爆発し、轟音の中で結婚式が行われるオープニングが強烈。駅でプラカードを下げ、夫の消息を探していた主人公マリアが、アメリカ人将校の愛人となり、生還した夫と愛人との事件の後、実業家のパートナーとなり、成り上がっていく。
再軍備のラジオニュースや、ワールドカップの実況放送がドラマシーンに強烈にかぶり、戦後西ドイツの復興の歩みと主人公の生き様をアイロニカルにダブらせようとする意図がわかる。
それにしても、ところどころ繋がりや意味がよくわからないシーンが出てきて、一筋縄にはいかない。音楽や効果音の使い方も、相当クセが強い。演劇のような、テレビドラマのような演出も、ファスビンダーらしいところ。
とにかくハンナ・シグラを見つめ続ける作品。ほとんどのシーンに出ているのではないだろうか。彼女の姿態、ベール着き帽子姿、下着姿、バスローブ姿、裸の背中など見つめ続けて、マリアの生涯を見届けるという感じ。
先日観た「哀れなるものたち」で、彼女の健在ぶりが確認できたことは嬉しかった。
切なさダブルパンチ。
ドイツ戦後の10年間における、とある女性の波乱万丈の物語。
先日ローマ教皇が「パラグアイの女性は世界で最も強い」とパラグアイ戦争後の国難について触れたと聞いた。ドイツは日本と同じ敗戦国として、多くの働き盛りの男性が戦地で死傷したことで、残された女性たちが今の国の礎を作ったと言っても過言ではないだろう。
戦後をたくましく生き抜いたマリアは、国が再び軍備を整えることを決断し、ワールドカップ優勝で機運が高まると、まるでお払い箱とでも言わんばかりの悲劇が待ち受ける。更に、そこには愛していたからこその失望も重なる。全くもって切な過ぎるよ😢
悲劇のようで喜劇、喜劇のようで悲劇
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選、にて劇場で観賞。
巨匠みたいですが、この監督は初めて知りました。
ポスターがカッコ良くてオシャレで面白そうで、期待して観ましたが、
なるほど、すごくセンスがイイ、色々と。
まず、ど頭オープニング1発で持ってかれます(笑)
最後のオチもイイ(笑)
どっちかっていうと喜劇寄りなんだろうけど、明るすぎず暗すぎずバランスよく観やすかった。
最初は、そのセンスに感嘆して観てましたが、途中から少しダレてきて、上映時間の2時間が長く感じた。
あと10分~15分ぐらい短くても、よかったかも?
それで残念ながら減点…
評価は、3.5と4の間で、4寄り3.5です。
映画好きを自認する方に、ぜひ観てほしい作品です。
出来る女は罰せられる?
まずポスターのコピー「女ありて」に突っ込み。「女の一生」かい!「滝の白糸」かい!
あらすじからは未帰還兵の妻の物語、例えば「ひまわり」のような映画を予想していた。
でもマリアはソフィア・ローレンと違い早々に夫を待つこと、探すことをやめ自分なりの道をみつけようとし始める。米軍相手のバーに勤めビルと知り合い子どもを宿すところはよくある戦争未亡人もののパターンだけど。この映画は実はそこからの出発で以降、実業家のオズワルドと知り合ったマリアが身体と頭脳をフル活用してのし上がっていく姿が描かれる。このあたりドイツの復興とリンクさせており痛快である。でもマリアのユニークなところは結婚は維持するところ(日本流にいえば籍は何があっても抜かない)これは夫ヘルマンを愛しているからと劇中で説明されているが恐らくはマリアなりの生き方のルールなんだと思う。
映画としては今では分かりづらい部分もあるが全般的にテンポがよくユーモラスなシーンも多い。音の使い方が実にユニーク(ラジオやレコードの音声と会話がかぶるところなど)なのも見どころ、聞きどころである。
ただ、最後にマリアが事故を起こし恐らく死ぬところはどうもいただけない。
マリアの相手としてはヘルマン、ビル、オズワルドと3人の男性が出てくるが、彼らにとってはマリアは終生愛する存在、いわばファム・ファタールである。田嶋陽子さんによると映画でも文学でもファム・ファタールは必ず死ぬ運命にあるそうです。これは男を手玉に取ることで男性社会に身分不相応な挑戦をした女性に対して無意識に罰を加えているから。ファスビンダーも社会的黙約から逃れ得なかったということになりますかね。マリアの成功で映画を締めくくって何が悪いのかと思います。
人の心中は謎
「ニューシネマ」と言われるものは、年月を経て観ると公開当時の画期的なところがわからなくなって平凡な映画に見えがち。この映画もそうかもしれない。
今や、持てるものは何でも使ってのし上がるたくましい女性を描いた映画は珍しくないし、もっと過激なものもあるのでさほどインパクトは感じないが、当時としたら画期的だったのかも。
マリアの遣り手っぷりが気持ち良い。
頭脳明晰で美貌と賢明さ、行動力を兼ね備えて権威ある人々にも物怖じしない。
雇い主で愛人のオズワルトにすら媚びないところが痺れる。
夫よりもオズワルトのほうがずっと良い人と思うけれど、愛はまた別なのでしょう、ヘルマンとは未だ新婚のままですし。
ヘルマンのあれは、裏切りなのかマリアの行動への合意または許容なのか、本人でないとわからないしマリアがどう思ったのかもわからない。
ヘルマンがマリアの殺人の罪を被って自ら犯人と名乗り出るところ、マリアが普通にそれを受け入れて平静でいる、それぞれの心中がわからない。
人の心の機微は人それぞれで他人には謎、そして唐突に終わって永遠に謎のまま、という描き方も、もしかすると斬新だったかも。
BGMが唐突で音が大きくうるさい。これも時代性だろうか。
マリアの母も笑えるくらいしたたかでたくましく、さすが母子、と思いました。
マリア・ブラウンは謎のまま。
久しぶりに見たが、結局今回もマリア・ブラウンは謎のままだった。衝撃的なラストも謎のままだ。だけどマリアが経営にも携わる会社の社長(名前忘れた)が言うように、自己を確立した女であることは分かった。今で言う自立した女性だろうか。そこがとても魅力的だと思った。
なぜなら僕は(体も心も)ヒョロヒョロしてるので、自分が立ってるので精一杯。日本の演歌に出てくる女性みたいに「あなたがいないとワタシはダメなの」なんて言って頼られたら共倒れである。だから取りあえずでもいいから自己を確立している女性に魅力わ感じる。
大昔の昭和の頃は、こういうのは、男のくせに弱っちいとか、最近の男は弱くなった、頼りないとか、男はヤッパシ強くなくちゃとか散々言われたし、僕もそう思ってたから肩身が狭かった。だけど最近はフェミニズが以前よりも浸透してきたお陰だと思うのだが、男が弱くてもちっとも構わないって風潮なのでホント生きやすくなって助かってる。ヤレヤレだぜい。
ところで、公開時19か20才ぐらいで初めて見た時のラストの衝撃は今でも忘れない。アタマの中まっ白だ。それまでのマリア・ブラウンの行動も含めて「女ってわからねえ」ってのが感想だった。そのあと背伸びして「キネマ旬報」の記事を読んだりしたがチンプンカンプン。女性が書いたある記事の 「幸せっだったのよねと言って空を見上げたい」とかいう最後の一文にナゼか感銘を受けて、「ああ、女ってやつには全くかなわねえ」と思ったのを覚えてる。
結局、今回もマリア・ブラウンが謎のままで、はからずも自分が何十年も進歩してないことが分かってしまって、そっちの事実もかなり衝撃的だった。
ガーターベルトを着けた竜巻姐さん
戦中戦後の混乱期からドイツがめざましい復興を遂げた時代に、さらにそれよりも早く激しく時代を駆け抜けたひとりの女性がいた。その名はマリア。
たった1日半の結婚生活で戦地に赴いた夫の帰りを待って駅に日参するマリア。占領軍が進駐し、黒人兵専門のダンスホールやバーが展開。ヒロポン中毒の医者もいる。「肉体の門」みたいな話しで終わっちゃうのかと思ったけど、そうはならない。さすがファスビンダーです。
マリアは美人だけれども、その美貌を武器にして男を騙してやろうといった鼻にかけたところは微塵もないと言ったらウソになるかも知れないが、とにかく大胆な行動や竹を割ったような性格と賢明さは男まさり。男を踏み台にして、さしずめキャリアウーマンを地でゆく展開。彼女は医者や弁護士にも物怖じしないばかりか、積極的に利用しようとする。男性は皆マリアに巻き込まれてしまう。ときには極妻のセリフのような切れのいい啖呵を飛ばし、じつに気持ちがいい。
黒のドレスやガーターベルトがよく似合う。
映画史に残る女性像を作ったニュージャーマンシネマの傑作といわれるファスビンダーの代表作。
1979年制作。丁寧かつテンポもいい。ちょっとびっくり。
これはコメディですね。
マリアの母親もなかなかやり手。
血は争えませんね。
2010年にデジタルリニューアルされた劇場版を鑑賞する幸運に恵まれました。ノーカット、ノーぼかしでした。
彼女が一代で建てた家にへルマンが毎日一本づつ贈る真っ赤な薔薇の花のシーンでひときわリストア感が際立っていたように思いました。
最後、オスワルド氏の遺言書を届けにきた二人。会計士のおじさんに少しも分けてあげんのかい!って思いましたね。
レンジの火でタバコに火をつけるシーンが何度もあって、ライターが切れたときよくやるんだけど、そこが最期のアレになるとはねぇ。そこらへんはニュー○○○○○シネマって感じでした。
占領下でのドイツ製のキャメルってどうゆう意味なんですかねぇ?単に高級品っていうこと?
何年越しかの二日目が始まりの終焉
ラジオの音が被さりながらドイツの歴史を踏まえた上で効果的な演出が無知なほどに理解されない自分の愚かさ、冒頭からコントのような場面に拍子抜け、ラストのオチは予想通りで呆気にとられる、健気にもマリアが想う夫に対する一筋の愛情さえ疑ってしまう女性としての強さが太々しくも可憐で自由奔放な行動に可愛さも含めて魅了される、そんなファスビンダーのファム・ファタールを演じたハンナ・シグラの存在感が際立つ。
物語は単純にも明るい訳ではないにして暗く重い印象から比べると嫌悪感を抱くような展開すら無く一人の女性が成り上がる話を楽しく観れてしまう、ファスビンダーに抱く何本か観ている作品の中で全てはギャグなのでワ?と思えてしまう和やかな描写からコミカルな展開に知的な小難しさより物語を描く面白さがクセになる。
爆撃で始まり爆破で終わる、二人の先に続く物語に興味を持ちながら、不幸な顛末が幸福にも離れる事は無くなって、不謹慎ながらも微かな笑みが込み上げてしまう驚愕なロマンチックが炸裂!!?
主人公も魅力的だけど、 ストーリーが最、後まで気を抜けない 最後ま...
主人公も魅力的だけど、
ストーリーが最、後まで気を抜けない
最後まで全集中で見続けた
ふと、
寺山修司って、
この監督の作品を見たことあったかな、
ひとつでも見られてたらいいな、
って思った
だいすき
小気味よく盛り込まれた
素晴らしい演出たちに脱帽
もう堪らなく好きな映画になった。
マリア・ブラウンの心の奥深くに降りていって
どこか分かりつつも迎えてしまうラストが
厭に気持ちいいのである
(ストーリー展開として抜群という意味で)
あの家族たちも魅力的で、
彼女の葬式では皆んなどんな事を思うんだろうな、
と想像する
婚姻についての男女のディスタンス
気になっているのに、なかなか観る機会がないまま未見になっている映画ってあるけど、この作品もその一つでした。戦時中から戦後にかけて、敗戦国ドイツで生き抜く女性の強さとたくましさ、いじらしさを丁寧に描いたドラマで感服しました。たった1日の結婚生活の後、戦地で行方不明の旦那を待ちながら、生き抜くためにリアルでドライな選択をしキャリアウーマンとして地位を獲得する姿に、女性独特の現実を直視した強さが感じられます。一方で、婚姻と言う昔ながらの因習のもと、旦那への愛情を決して失わない主人公の姿にジーンときます。男女間の婚姻と恋愛に対する意識の違いは、ある意味普遍的で、日本でも同じようなドラマがありそうだけど、こうは行かないでしょうね。役者では、圧倒的にハンナ・シグラの大熱演が光っていました。おかげで他の男優陣が霞んでしまうようでした。
戦後の西ドイツを逞しく生き抜いた一人の女性マリアの、歴史の過去に葬った女性映画
西ドイツ映画が新しい世代の台頭で戦前のような活力を呼び起こそうとしている。ドイツ映画が大好きな自分にとっても、とても楽しみなこと。”ニュー・ジャーマン・シネマ”と称されるだけの質の高さを期待してやまない。そしていつかナチス以外の主題の現代劇や、ヘッセやマンの時代のドイツ文学の壮大で格調高い映画化が誕生することになればと夢も膨らむ。
ファスビンダー監督作品は、昨年の(西ドイツ新作映画祭)で72年の「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」を鑑賞したが、この哲学的演劇の実験映画手法に個性の発露を感じながらも、レズビアンを含んだ愛憎劇の内容に感心するまではいかなかった。ただ演出タッチは、ベルイマンとゴダールを合わせた感じで興味深く、何処となくブニュエルを思わせるもので面白かった。しかし、今度の新作「マリア・ブラウンの結婚」は、対照的にオーソドックスな作劇で商業映画に沿った作りになっている。戦後ドイツの無残さと、そこから這い上がり経済大国へ進展する中で生き抜いた一人の女性の最期を象徴的に描く。ドイツ社会の変遷に詳しければ、もっと理解できたかも知れない。
唯一救いは、ハンナ・シグラ演じるマリア・ブラウンの生き方が、現代女性のひとつの姿をたくましく反映させた女性映画になっていること。79年に制作された価値がある。例えば、実業家オスワルトの秘書になる切っ掛けの夜汽車のシーンでは、英語が話せることからアメリカの黒人兵に汚い言葉をまくし立てるところなど圧巻である。秘書兼愛人となってオスワルトと対等に仕事をし、また愛も掴もうとするところも積極的だ。ファスビンダー監督は、それら負けない女性像を的確に積み重ね、時代を生き抜くマリア・ブラウンの真摯な姿勢を浮き彫りにする。しかし、ラストのガス爆発によって、マリア・ブラウンの本音は分からない。夫ヘルマンの裏切りに近い行動に対する本心も明かされない。観る者に委ねた表現であり、丁度それはドイツがサッカーのワールドカップで世界一になった日という歴史の過去に葬った感傷のエンディングであった。
戦後西ドイツの復興の社会背景を背負い生き抜く女性主人公の信念の生き様を描いたファスビンダー監督の佳作。一つだけ気になったのは、モーツァルトのBGMの使い方。ピアノ協奏曲が室内シーンのBGM音楽として流れるところで、登場人物がピアノソロをそれに合わせるように弾くのだ。ファスビンダー監督、面白いけど、やはり変わっている。
1980年 2月12日 ニュー東宝シネマ2
43年振りに見直して再評価します。ファスビンダー監督の演劇的な密度と映画的なカメラワークの演出力、主演ハンナ・シグラの熱演に感服しました。音楽と音の演出も斬新かつユニークでとても興味深く観ることが出来ました。
最高の映画
やっと映画館で見ることができた。嬉しい。こんなに面白くていい映画だったんだあ!と何度も見たはずなのに改めて感動した。忘れていた箇所も多くこんなに大袈裟な効果音だったっけ?と驚いたりもした。
戦中、戦後のドイツと女を平行して進行させる構成の巧みさ、ハンナ・シグラの素晴らしさとシグラの魅力を引き出した演出に改めて感動した。マリアは化粧も衣装も髪型も表情もどんどん垢抜け美しさが煌めいていく。ますます賢く自立した女になっていく。そして割り切りドライになる、奇跡の経済復興を成し遂げた西ドイツ同様に。それでも夫・ヘルマンへの愛は変わらない。信じられないほど変わらない。その愛は、これ以上ないほど強くて正直で純粋でロマンティックでまっすぐで無欲。こういう愛をファスビンダーは信じていたのか?それとも信じたかった?憧れていた?
そしてラジオの効果。戦後すぐは、再軍備なんて軍隊なんてとんでもない、これ以上若い人達を死なせたくないとラジオで言っていたアデナウアー、数年したらそのアデナウアー、同じ口で再軍備しますとラジオでしゃあしゃあと言っていた。昔も今も政府とか国家なんてころころ変わるんだ。いろんな人が指摘していることだが、映画の中に挟み込まれるその時々のラジオ放送の内容とドラマの交差がとても生きていた。
(2023.07.28.)
ハンナ・シグラの美しさと凛々しさと逞しさに惹かれる。夫のヘルマンが刑務所に居てマリアが訪ねてガラス越しに話す場面がいい。いつの間にか大声になって、その話の内容に廻りの人達が一瞬静かになってみんなで笑ってしまうシーン。いつでもどんな時でも笑いの力は大きい。ラジオのサッカー中継でやっとドイツが自信を取り戻した、ドイツ国民皆がおそらく熱狂して喜ぶ瞬間、まさにそのときにキッチンのコンロで煙草に火をつけてしまう最期は辛い。
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