「戦後の西ドイツを逞しく生き抜いた一人の女性マリアの、歴史の過去に葬った女性映画」マリア・ブラウンの結婚 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
戦後の西ドイツを逞しく生き抜いた一人の女性マリアの、歴史の過去に葬った女性映画
西ドイツ映画が新しい世代の台頭で戦前のような活力を呼び起こそうとしている。ドイツ映画が大好きな自分にとっても、とても楽しみなこと。”ニュー・ジャーマン・シネマ”と称されるだけの質の高さを期待してやまない。そしていつかナチス以外の主題の現代劇や、ヘッセやマンの時代のドイツ文学の壮大で格調高い映画化が誕生することになればと夢も膨らむ。
ファスビンダー監督作品は、昨年の(西ドイツ新作映画祭)で72年の「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」を鑑賞したが、この哲学的演劇の実験映画手法に個性の発露を感じながらも、レズビアンを含んだ愛憎劇の内容に感心するまではいかなかった。ただ演出タッチは、ベルイマンとゴダールを合わせた感じで興味深く、何処となくブニュエルを思わせるもので面白かった。しかし、今度の新作「マリア・ブラウンの結婚」は、対照的にオーソドックスな作劇で商業映画に沿った作りになっている。戦後ドイツの無残さと、そこから這い上がり経済大国へ進展する中で生き抜いた一人の女性の最期を象徴的に描く。ドイツ社会の変遷に詳しければ、もっと理解できたかも知れない。
唯一救いは、ハンナ・シグラ演じるマリア・ブラウンの生き方が、現代女性のひとつの姿をたくましく反映させた女性映画になっていること。79年に制作された価値がある。例えば、実業家オスワルトの秘書になる切っ掛けの夜汽車のシーンでは、英語が話せることからアメリカの黒人兵に汚い言葉をまくし立てるところなど圧巻である。秘書兼愛人となってオスワルトと対等に仕事をし、また愛も掴もうとするところも積極的だ。ファスビンダー監督は、それら負けない女性像を的確に積み重ね、時代を生き抜くマリア・ブラウンの真摯な姿勢を浮き彫りにする。しかし、ラストのガス爆発によって、マリア・ブラウンの本音は分からない。夫ヘルマンの裏切りに近い行動に対する本心も明かされない。観る者に委ねた表現であり、丁度それはドイツがサッカーのワールドカップで世界一になった日という歴史の過去に葬った感傷のエンディングであった。
戦後西ドイツの復興の社会背景を背負い生き抜く女性主人公の信念の生き様を描いたファスビンダー監督の佳作。一つだけ気になったのは、モーツァルトのBGMの使い方。ピアノ協奏曲が室内シーンのBGM音楽として流れるところで、登場人物がピアノソロをそれに合わせるように弾くのだ。ファスビンダー監督、面白いけど、やはり変わっている。
1980年 2月12日 ニュー東宝シネマ2
43年振りに見直して再評価します。ファスビンダー監督の演劇的な密度と映画的なカメラワークの演出力、主演ハンナ・シグラの熱演に感服しました。音楽と音の演出も斬新かつユニークでとても興味深く観ることが出来ました。
Gustavさん、コメントありがとうございます。例のシーン、細部までよくご覧になってますね!私はぼーっと見てました。考えてみればファスビンダーの映画は全部と言っていいのかわかりませんが、室内劇で空間も演劇的に使っているように思いました
オゾン監督の「苦い涙」はまさに室内劇でした。オゾンは演劇人ファスビンダーをうまく掬ったんだなあ、と思いました。Gustavさんのコメントに納得!
Gustavさん、コメントありがとうございます。ファスビンダーのミューズ(?)のハンナ・シグラはオゾン監督にとってもミューズでした。オゾン監督の「ペーター・フォン・カント」でのシグラ、よかったです。ヨーロッパの女優はそのまんま素直に年を経て観客の前に出てくれるので好きです。
コメントありがとうございます。
悪人ファスビンダーもハンナ・シグラだけは大事にしていたと聞きました。ヒッチコックにとってのグレース・ケリー、誰にでもそういうミューズみたいの居るんですかね?
ピアノのシーン、深く考えずに見ましたが、BGMはあくまでも、映画のBGMなので、シーンの中で鳴っている訳ではないんですよね。とすると、確かに変わった演出ですね。
コメントありがとうございます。
今作の時代、ドイツと日本は同様の状況に有ったので、何か抵抗感無く見られますね。向こうはジャガイモですし、映画界の状況も大分違うんでしょうが。