真夜中のカーボーイのレビュー・感想・評価
全6件を表示
感情移入
主人公の境遇が自分にかぶさって感情移入してしまう映画ってありませんか?私にとってこの映画はまさにそれなんです。自分の境遇にかぶさるって言っても、私が都会に出てきてジゴロを気取ったつもりが逆に娼婦からお金とられたって体験をしたってわけではありません。私が社会人になりたての頃、理想と現実の壁にぶちあたりもがき苦しんでいるときに観たのがこの映画。相当ショッキングでした。
自信と期待に満ち溢れてNYにのりこんだジョン・ボイト演じるジョー、そこに待ち受けていた辛辣な現実。それを体現するダスティー・ホフマン演じる文無しで脚の不自由なラッツォ。全く状況は違えど、ジョーに起こるひとつひとつの出来事が私にも辛ーく感じられました。
ジョーが夢破れて孤独に打ちひしがれているときに、街中で偶然見つけたラッツォに思わず見せた一瞬の安堵の笑顔、とっても印象的です。
憧れのフロリダに向かうバスの中で死んでいくラッツォ。失望で始まり失望で終わる結末。私は人にも観て欲しい映画を選んでレビュー書いてますが、この映画は誰にもお勧めしません。心がすさみます。でも私にとってはとっても、とっても大切な一本です。
(とは言ってもアカデミーの作品賞受賞作品です、これ。すごい時代だったんですね)
『Everybody's Talkin』はずっとジョン・デンバーの曲と思っていた。
アメリカンニューシネマ、ワンパターンなストーリー。
つまり、『俺たちに明日はない』『イージー・ライダー』と全く同じ流れ。
この後の『スケアクロウ』なんて、この映画と話の流れが全く同じ。
リコとジョーがニューヨークで出会う確率は大変に低い。
リコはジョーと出会う前に死んでいるだろうし、ジョーはベトナム戦争へ徴兵されているはずだ。その架空の出会いを一期一会的に描いているならば、多少は評価できるが、アメリカの古い価値観がまだまだ、色濃く残った映画なので、評価は最小限に留めておく。アメリカン・ニューシネマに良い映画は無いと僕は思う。音楽だけが耳に残った。『ウィズアウト・ユー』の作曲者なんだ。ずっとジョン・デンバーの曲と思っていた。『うわさの男』で思い出した。
つまり、今日が初見。恥ずかしながら。
友情
田舎者のカーボーイが都会に出てきて仕事をなんとかして探しても上手くいかず相棒となんとか生活が回りだしたと思った矢先こんなことになるのは世の中の不条理さ虚しさがありまさにアメリカンニューシネマ。
若さと思い上がり
夢を持った若者たちの上京物語。苦しい思いの後に大切なものを見つける。苦しい思いが人が人を愛する力をくれるのかもしれない。大切なものを守るために人間は見栄や思い上がりを捨てることができる。真っ当に生きようとすることができる。
自分の家へジョーを招きいくらでも泊めてあげたリコ。
汗まみれで汚いリコを自分のシャツで顔を拭ってあげたジョー。
自分の血を売ってリコにアスピリンを買ってくるジョー。
リコのために病院ではなくてフロリダ行きの切符を買ったジョー。
バスの中で失禁したリコを冗談で笑い包むジョーはかっこいい。
当時の流行・安っぽさ漂う浅はかな映画でも、心に響くのはそんな理由からかなと思った。
アメリカンニューシネマの王道
田舎から出てきた時に着てきたカーボーイの衣装をジョーがゴミ箱行きにしたり、金持ち熟女に体を売ったり、ラッツオは足が悪かったり、アメリカ白人男性のアイデンティティーやマッチョイズムに対抗している様に感じられました。「真夜中のカーボーイ」とは、男娼のことか。
アメリカンドリームが、つかむことのできない幻想として描かれている所も、退廃的な香りのする王道のアメリカンニューシネマ。ほとんどの人にはアメリカ合衆国は虚構だったという現実が、今だからこそ実感を持ってスクリーンから読みとれると思います。だって、今こういう人溢れかえっているもの。
イギリス人監督が撮ったアメリカの現実
公開当時、カーボーイではなくカウボーイではないかと突っ込まれていたタイトルである。
納得の1970年のアカデミー賞作品賞受賞作品である。ただ、ラストは切なすぎる。
社会のどん底から這い上がろうとするふたり。ふたりには夢があった。それは寒いニューヨークを離れ、フロリダに行くことであった。
でも・・・・・
ニルソンの「うわさの男」もいいが、エレファントメモリーのサイケ調の曲がいい。映画鑑賞後すぐに、サントラ盤を買ってしまった記憶がある。
アメリカン・ニューシネマの傑作の一つであると思う。同じくアメリカン・ニューシネマの傑作に「卒業」があるが、奇しくも両方とも最後はバスのシーンだった。
全6件を表示