真昼の決闘のレビュー・感想・評価
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信頼していた人は助けてくれず、友達も居留守を使う。一人戦力になる人...
信頼していた人は助けてくれず、友達も居留守を使う。一人戦力になる人がいたのだけれど土壇場で他に協力者いないなら勝ち目ない、無理ぽいからやめると逃亡。
主人公に対してお前さんさえ町からいなくなれば安全だろう的な見解の住人たち。正義は何処へいった...。
教会でのやりとりもゲンナリ、やっぱりお前もか。
今迄じぶんたちの為に尽くしてくれた恩人なのだから、というのもあるが所詮は他人事。
決闘はあるけど自分さえ良ければという人間の本性、ヒトという生き物を描き出したドラマ部分が中心の映画。これは西部劇だけど他の話にだって当てはまる。
最後は隠れていた人々がゾロゾロと出てくる。正義の心を持つ少年に終わったことを伝え、自分のことを見捨てた人々を睨みつけて去ってゆく。保安官バッジを捨てる。恩知らずのクソムシどもが、みたいな。
生き残りたいメキシコの女、戦わない宗教の嫁という二人の女優もストーリーを盛り上げていたし凄く良かった。
HIGH NOON
Amazon Prime Videoで2回目の鑑賞(字幕)。
本作が当時斬新だったわけは、従来の西部劇ではヒーローとして描かれていた保安官が、暴力に恐怖しながら勇気を振り絞り悪党に立ち向かう、人間臭い描写になっている点だろう。
そんな保安官をゲイリー・クーパーが熱演。リアルタイム劇のハラハラもさることながら、逃れられない「その時」が来るのを待つしかない男の苦悩が、胸に迫って来た。
きっと街のみんなが助けてくれる。そうタカを括っていた節はあるが、それが裏切られた時のショックや如何ばかりか。
みんな当然の如く、暴力は怖い。しかも相手は、人を殺すことをなんとも思っちゃいない、札つきのワルたちなのだ。
そんな相手と知っていて、しかも目的がお礼参りとあっては「自分でカタつけろよ」と言いたくなるのも理解出来た。
私が住民の立場だったら、保安官に協力出来るか全く自信が無い。勇気が出ず、きっと保安官を責め立てていただろう。
保安官職に就いているがために、否が応にも悪と対峙しなければならない。新婚の妻(グレース・ケリー、お美しい!)にも愛想を尽かされそうになる。なれど逃げてしまえば楽なところをグッとこらえて戦いへ挑む姿に心打たれた。
孤立無援の中、たったひとりで悪党たちと銃撃戦を繰り広げるクライマックスに手に汗握る。死闘を制し、保安官バッジを投げ捨て、愛妻と共に旅立った姿が印象的てあった。
※修正(2024/07/01)
シンクロ
時間をシンクロさせた作品と紹介されていたが、舞台劇のような雰囲気を作り出すだけで、それほど効果は感じられなかった。これは多分、結婚式を挙げたばかりという設定が良くないのだろう。それよりも町の人々が保安官とミラーとの戦いに関わりたくないということが新鮮に思えた。ラストの保安官のバッジを投げ捨てるところが素晴らしい。
ゲーリー・クーパーの渋い名演の異質西部劇
物語と上映時間の同時進行の手法に拘ったジンネマン監督らしい堅実強固な演出が勝る映画。通常の西部劇にあるロマンは無く、ひとりの孤独な英雄を称えるヒロイズムが印象に残る。ゲイリー・クーパーとグレイス・ケリーの最高のキャスティング。唯一ティオムキンの音楽が合っていない。ジンネマンタッチを邪魔している。
西部劇の中に人間のリアルが
普通の西部劇とは違う。単純な勧善懲悪ではなく、主人公が徹底して拒まれるところと、みんなが主人公を非難する理由がわりと筋が通ったものであるところに、ある種のリアルさがあった。弱肉強食というか、無法地帯というところがどんな風なのか、そこでのルールはどんなものかをよく表していると思う。
単なる娯楽作品の枠を超えた画期的な西部劇
物語は言ってしまえば勧善懲悪で、そこは従来の西部劇と同じで変わらない
しかしジョンウエイン主演の西部劇とは大きく異なる
かといって、大いなる西部のようにオールドウェスタンの終末を描くものではない
荒野のならず者が幅をきかせている真っ只中の物語だ
ヒーローもいる
ゲイリークーパー演じる保安官だ
彼は劇中で実際強いのだからヒーローそのものだ
では何が違うのか?
それは町の人間だ
誰一人、窮地に立つ彼を助けないのだ
ジョンウエイン映画ならこぞって腕の立つ助太刀があつまる、それが本作では無いのだ
皆、傍観するのだ、それどころか悪者と戦う決意を固めた彼を批判するのだ、さらには実力で彼を町から追い出して悪者との戦いを回避させようとするのだ
悪者との戦いで死ぬのが怖いだけでなく、戦いが起こる事が今後の商売に障る為に、さらには彼に戦われると自分の卑怯さが決定的になるのを阻止する為だ
彼の新婚の花嫁すら平和を愛する為に戦おうとする彼を見捨てようとするのだ
つまり皆が利己的であるのだ、そこが従来の西部劇と決定的に違い、理想の姿ではなく現実の姿を反映させているところなのだ
そこが本作の持つ普遍的なテーマなのだ
これを根底において映画は構成されており、あの有名な本作の主題歌もそれに応じて従来の威勢の良いものではない
そして正午に着く汽車に乗って悪者がやってくる設定
映画の中の時間と実際の上映時間がほぼ一致されリアルタイムで物語が進行する
シーンが変わる毎に時計が映る
そうあのTVシリーズの24の原形なのだ
12時に敵が現れ戦いが始まるまで1時間半しかない、時計が写る毎に緊迫感が高まる見事な演出
12時というデッドラインがある為に元祖たる本作の方が,24以上の緊迫感をもたらしている
そして地平まで伸びる真っ直ぐなレールが度々写る
あの彼方から敵が現れるのだという圧迫感
その地平線の彼方に煙が上がり小さく機関車が見えだす
そして12時のチャイムを時計が告げた時、町に汽笛が届くのだ
なんという見事な演出だろう !
主役も脇役も皆配役演技とも申し分ない
特にゲイリークーパーの苦悩ぶりは素晴らしい演技だ
悪者の手下役にリー・ヴァン・クリーフが出演している
後に夕陽のガンマン初めマカロニウェスタンで大活躍する彼だが本作が映画初出演だそうだ
町の人々の行動は利己的で現実的だ
しかしそれは米国人自身が最も在りたくない姿だ
認めたくない姿
だからこそ、それでも戦うヒーローは 真のヒーローであり、保安官バッチを最後に捨てるところに共感が生まれ、カタルシスがあるのだ
町の人々の姿は当時ハリウッドを苦しめた赤狩りで仲間を見捨てる風潮を揶揄しているという
そのように見えても仕方ないだろう
しかし21世紀に本作を観る日本人にはまた違うメッセージにも見える
これはアメリカの国家行動パターンそのものだと
出演の保安官は米国だ、町の集会は国連だ
副保安官は同盟国、親兄弟を銃で殺されたから平和が一番、夫を助けて戦うなんて宗教的にも無理
そのようにいう妻は正に平和憲法の日本だ
このメタファの中で、アメリカは戦後戦ってきたのだ
アメリカ人の心象風景はこの映画を通して見ていたのだろうと
特にイラク戦争の時の有り様とは似ている
米中の新冷戦が始まった今日
本作は重要性を増しているのではないだろうか
実年齢51歳になったゲイリー・クーパー、若く美しいグレース・ケリー...
実年齢51歳になったゲイリー・クーパー、若く美しいグレース・ケリーとの結婚式シーンからのスタートからちょっと厳違和感が、あったがストーリーが進むにつれて そんな事はすっかり忘れさせてくれる逞しい保安官だった。ラストに街を去るところなどさすが「アメリカの理想の男」、貫禄のあるカッコよさだった。
リアリズム西部劇が誕生した瞬間
正午、復讐の為に町に舞い戻って来る4人の無法者。保安官は町人に協力を要請するが、拒まれる。孤立する中、遂にその時がやって来る…!
スタンリー・クレイマー製作、フレッド・ジンネマン監督、ゲーリー・クーパー主演による1952年の西部劇の名作。
ストーリーはシンプルだが、いわゆる王道西部劇ではない。
この映画で描かれる保安官は助けを求め、保安官バッジを置く。強く頼れるアメリカの男の象徴だった保安官像は脆くも崩れ去った。
町人もこれまで保安官の世話になったろうに平気でそっぽ向く。人間の薄情さを浮き彫りに。
爽快さや娯楽作としての醍醐味には欠ける。
が、劇中の時間と上映時間がリアルタイムで進行。刻一刻と迫るタイムリミット、主人公の焦燥と孤独、1対4の戦いなど一貫した緊迫感が見事。
ジョン・フォード、ハワード・ホークス、ジョン・ウェインら“西部劇の男たち”はこぞって本作を批判したと言う。
製作されたのは赤狩り真っ只中。
どんな政治的意味が込められているか分からないし、当時の背景についても詳しく説明出来ない。
確かなのは、勧善懲悪の西部劇はあくまで映画の中だけと言う事。ひょっとしたら西部の時代、名も無い町で名も無い保安官が映画と同じ道を辿ったかもしれない。
リアリズム西部劇が誕生した瞬間。
無情な町
西部劇の傑作ということで、熱い思いを予想していたのですが、いやはやなんとも、描かれていたのは無情につぐ無情の町でした。このあたり、ただ単に保安官というヒーローを描いたわけではなく、それにともなう爽快感とはまったく違った味わいを残しています。
でもやっぱり、ゲーリー・クーパーは絵になるなぁ。厩舎の2階から外をうかがう表情、そこに影が差している時の色にドキッとしましたですね。
しっかし、トーマス・ミッチェル!! あなたが出てるだけで、人情を期待してたんすけど、まっさかその判断とは! いやはや驚かされましたよ。
孤立無援、初老保安官の死闘
わたしは余り西部劇を観ないし、数多く知らない。
しかしその例外としてこの作品がある。多くの方々が既に周知の作品である。この西部劇は少し変わっている。インディアンも牛も幌馬車も登場しない。だがこれはその範疇を越えた作品であり、いわばヒューマン・ドラマとさえいえるのではないか。そこには人間の弱さとその裏返しの強さがある。また自己中心と勇気が絡み合っているように思う。さらに腕っ節の良いガンマンも強いヒーローも登場しない。ただあるのは長身で飄々とした初老の保安官だけである。
北部から釈放され、ウィル・ケイン(ゲーリー・クーパー)に復讐心を燃やす無頼漢が正午の汽車で5年ぶりに帰ってくる。時は暑い日ざしがじりじりと照りつけるある日曜日、結婚したばかりのウィルとアミイ(グレース・ケリー)にこの報が届く。ウィルはこのままでは町の平和が乱され取り返しのつかないことになると馬車を町にひき帰えす。彼は初々しい新妻アミイの説得に応じず援護隊を募るが身の危機を感じて一人二人と抜けてゆく。ウィルに多大な恩があるのに4人の無頼漢どもにおじけづいて援護を拒む。時計の針は正午へと非情に時を刻んでゆく。ウィルとて人間、恐怖心がよぎる。馬小屋に赴いて逃亡をふと考えるが踏みとどまる。
ついに正午となり彼は人気の全くない町を駅に向って歩き出す。その後ろ姿をカメラがとらえ引いて、引いて通り全体に孤立無援のウィルの孤独な姿を映し出す。寂寥感さえ漂う。
それからのガン・ファイトの詳述は割愛するが、血わき肉踊るスカッとした映像になっている。まさに秀逸である。
身の安全を優先する町民の身勝手さ、孤立無援で敵を倒したウィル・ケインの勇気と行動力にはフィクションながら賛嘆せざるおう得ない。
傑作
ならず者がお昼の汽車でやってくるまでの数時間と、その後のわずかな時間をすごい緊張感で描く。
ならずもの4人に対して保安官が立ち向かうのだが、誰一人協力者が現れず、せっかく現れた人も他に誰もいないと知ったら逃げてしまうところが悲しすぎる。
村人たちが、教会で威勢のいいことを言っていた人すらまったく味方してくれないところが残念だった。
ならず者がどんな凶暴な男が現れるのかと思ったらもったいつけた割に特にキャラのない、しれっとした男ですごく意外だった。
新妻も一人で逃げようとして、当然なんだけどクソだなと思っていたら最後に加勢してくれて見直した。いい奥さんだった。
一人ずつ敵を倒していくアクションが地味でリアルですごくよかった。
保安官を嫌っている人がいたり、ならず者を支持している人もいたり、過去にどんな因縁があったのかとても気になった。そんな含みのあるところもセンスがいい。
久々の何度目かの再鑑賞♪
フレッド・ジンネマンは、オーストリア出身のユダヤ人で、ヒトラー率いるナチのオーストリア併合を体験し、アメリカへ避難亡命をした監督です。
この映画の、悪役ミラーは ナチであり、掌を返したように長いものに巻かれた住民達は、ナチに迎合した、当時のオーストリア市民なのかもしれません。この映画に居心地悪さを感じながら鑑賞した人も少なくない??。あなたならどうしますか?
孤軍奮闘
総合:70点
ストーリー: 75
キャスト: 70
演出: 65
ビジュアル: 65
音楽: 70
たった一人で今まで命懸けで平和のために尽くしてきた町に戻っても、協力者がいない。誰一人として一緒に戦おうとしない。クーパーはもう正式な保安官ではないから、自分を次の保安官に推さないから、クーパーと彼らとの問題だから町は関係ないから、クーパーのせいで利益が減って恨みがあるから、勝ち目がないから、怖いから、これから赴任する新しい保安官とならいいけど町を去る人とは戦えないから、と次々に断りの理由が出てくる。
確かに彼らの言い分は理解できるものもある。町の人々にもそれぞれ守らなければならないものがある。立場が変わればお互いの利益や目的も異なるし、やはり自分が一番可愛いというのが人間の本質だろうか。クーパーが一人出て行けば、ひょっとするとやつらもクーパーを追いかけてそのまま町を出て行くのかもしれない。だがもしやつらが町に留まってまた治安が悪化したらどうするつもりだったんだろう。
とにかくこれは辛い。クーパーも一緒に戦ってくれる仲間を当てにしていたはずだ。これほどの逆風は予想外だろう。古いアメリカ映画はたいがい正義の味方を命懸けで応援する支持者が最後の最後に出てきたりするものだ。結局一体誰が協力して戦うのだろうと思っていたが、その意味で視聴者まで裏切られる。最終的に戻ってきたとはいえ、一時はこの日結婚したばかりの嫁にすら逃げられた。本人も逃げ出したくなるのもわかる。それでも勝ち目の薄い戦いを決意するまでの辛い孤軍奮闘になる過程がよかった。
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