「【“生け花店で働きてえんだ!”今作はコックニー訛の労働者階級の花売り娘が、傲慢な言語学教授の下で上流階級の喋りを身に着ける中で、女性としての自立と恋に目覚める様を描いたミュージカル映画の逸品である。】」マイ・フェア・レディ NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【“生け花店で働きてえんだ!”今作はコックニー訛の労働者階級の花売り娘が、傲慢な言語学教授の下で上流階級の喋りを身に着ける中で、女性としての自立と恋に目覚める様を描いたミュージカル映画の逸品である。】
ー 最初に恥を忍んで記すが、私はこの映画を”観た”と思い込んでいた。思い返せば、ドキュメンタリー映画「オードリー・ヘプバーン」を映画館で鑑賞したせいだと思われる。
何しろ、あの映画ではオードリー・ヘプバーン演じるイライザが、ヒギンズ教授(レックス・ハリソン)の書棚に本が埋め尽くされた印象的な作りの部屋で、”スペインの雨は、主に平野に降る。”と言う台詞を何度も言わされて、母音をキチンと話すシーンを主に、淑女の言葉遣いを叩き込まれるシーンが盛り込まれていたからである。
だが、観たと思っていた今作のレビューが無い。
マア、そういう作品は可なりあるので、この作品もそうだろうと思いつつ、序盤を観て観たら・・、観ていなかったあああああ!(オバカ)
で、仕事が予想より早く終わった本日、鑑賞した訳である。
すると、この作品は私が考えていた
”コックニー訛の労働者階級の花売り娘のイライザが、傲慢な言語学教授の下で上流階級の喋りを身に着ける”
物語だけではなく、”一人の夢持つ女性がその夢を叶える為に、ヒギンズ教順の下でコックニー訛を矯正するだけではなく、その過程で女性としての自立心を持って行く姿や、恋をする初めての経験に戸惑いつつも、それを不器用ながらに受け入れ、恋の相手である傲慢なヒギンズ教授にその思いをぶつける物語だったのである。
更に言えば、ヒギンズ教授も最初はイライザを友人のピカリング大佐(ウィルフリッド・ハイド=ホワイト)との、賭けの対象としてしか観ていなかったのが、イライザと長い間、同じ家で暮らし言葉を教える中で、教授自身も気付かないうちに彼女に恋をしていた姿をコミカルに描いているのである。
イライザが、ヒギンズ教授が自分を賭けの対象にしていた事を知り、涙を溢し彼の家から飛び出し、花売り娘だった頃の仲間の所に行っても誰も気づかずに、ヒギンズのせいで中流階級になっていた父アルフレッド(スタンリー・ホロウェイ)が”自由が無くなった・・。”と嘆く姿などを描くシーンも、実にアイロニーが溢れているのである。
そして、イライザは行き場が矢張りなく、ヒギンズ教授の家に戻ると、彼は彼女が居なくなった事で、しょぼくれているのであるが、彼女が戻った途端に元の姿に戻りつつも、彼女に恋している事を彼らしい態度で告げるシーンなども良いのである。ー
<今作はコックニー訛の労働者階級の花売り娘が、傲慢な言語学教授の下で上流階級の喋りを身に着ける中で、女性としての自立と恋に目覚める様を描いたミュージカル映画の逸品なのである。>
■可なりビックリしつつ、嬉しかった事
・イライザに恋した青年フレディを、ムッチャ若いジェレミー・ブレットが演じていた事である。チビッ子の時に、大好きだった「シャーロック・ホームズの冒険」でホームズを演じていたジェレミー・ブレットである。(もちろん、声は露口茂さんである。)
ビックリしたなあ!
