マーフィの戦いのレビュー・感想・評価
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劇場公開時のポスターの「戦争巨編」につられて観たものの、私念の私闘に何だかなぁに
小学生当時、連続的に洋画鑑賞していた頃にロードショー劇場の大型スクリーンで鑑賞した作品。
そのように、当時の大型戦争物の公開も比較的多く、その醍醐味を毎回楽しみにしていた中での事だったのと、ポスターの宣伝文句に釣られて「他作品と同様に期待値高めて行った」事で、正直、当時としてはガッカリさせられた一本に記憶された。
作品内容は明らかに、「戦時下に於ける互いの行為に対しての、私念からくる私闘(逆恨み的)」に過ぎず、しかも「国際条約違反=降伏済みの戦意のない相手への殺戮行為。」でしか無いのである。
心情は理解できたとしても、賛成(支持)しかねる行為である事には変わりないからであり、非常に後味が悪い。
故に、“反戦映画”として優れているのだ、という声が聞こえそうだが、両者自滅のような結末には誰も救われず、そこには何らの満足もカタルシスも存在していない。
たった一人の“狂気に取り憑かれ”自分の中だけは戦争を終わらせられなかった男の顛末を見せつけられる事となった。
こうした作品内容により、現在も何処かに所有してある公開時のポスターのビジュアルを見たらわかるが、内容的に配給側も明らかに“ウリもの”に困り、取り扱いを考えあぐねた結果、「戦争アクション」路線としてその“キャッチコピー”や“ポスターデザイン”に決定してしまった事にまた問題がある。
アクション系の監督、007シリーズの音楽家など、アクション路線の一流スタッフが結集のように、明らかに煽っている。
この同じ手口がそれから10年ほど経ってから、奇遇にも全く同じロードショー公開劇場にて再現される。
初公開時の『ブレードランナー』のポスターのキャッチコピーには「レプリカント軍団 人類に宣戦布告」となっていた事。
それ、違うだろう….、って。
こちらも、その当時あの内容で、宣伝する際の取り扱い方(カテゴリーというか)に苦慮した結果だということは理解できるが、罪深い。
初動で客は呼べるだろうが、適正な評価を得る(鑑賞後)のには、「騙された感」から、ムシロ逆効果という結果になってしまう。
スタッフ情報にも誤認(作為的?)があり、音楽はジョン・バリーでは無い。
同氏はテーマ曲のみの提供であって、全編の音楽担当はケン・ソーン氏である。
後年入手した氏の作品集で、同じく氏の担当した『四人はアイドル HELP!』とカップリングのサントラCDで聴く事ができる。
ピーター・オトゥール氏の鬼気迫る熱演や、共演の後年『ニュー・シネマ・パラダイス』で我が国でも知名度上昇したフィリップ・ノワレ氏、同時期の戦争物『マッケンジー脱出作戦』にも出演していたUボート艦長役ホルスト・ヤンセン氏等、少数の出演者ながら個性的な俳優陣と、職人監督の手腕により、限定空間舞台の低予算作品には終わらせない、後年に成る程印象深く存在感を示している事が、ハリウッド映画とは一味違う“イギリス映画”の真骨頂といったとことだろう。
だが当然といえば当然だが、上記のような”気が滅入る”ような内容なので、我が国でヒットもせず、知名度も全くと言って無かったのと同様に、海外でも一律に評価も低く(厳しく)、興業的にも失敗作と言って良い作品であった。
そもそも、本来の原作小説の結末とは「全く異なって」おり、原作ではUボート乗組員の殆どは生き残ることが出来て、最後はマーフィとドイツ潜水艦艦長が流れ着いた海岸で互いに疲れ果てて倒れ込むまで殴り合って終わる、というオチになっていて、映画版のように極端に悲惨さを強調した内容ではなく、寧ろ純粋に”戦争の虚しさを描いた反戦作品”的であるように感じられる。
我が国では、宮崎監督作品の“元ネタ”的に取り上げられた事などが契機となった辺りから、知名度が急速に上昇した事によって巷に知られるようになったという事は否めないだろう。
それ以前にには殆ど忘れられて、と言うか元々知られてさえもいない、映画好きの一部にだけで記憶されていた作品に過ぎず、初TV放映時に特に話題になった訳でもなかったし、レンタル・ビデオ時代にも人気作品には程遠かったろう。
正直、DVD発売された時には驚いた位で。
脚本が、結構好きな作品が多いスターリング・シリファント氏であるということもありアジの有る、そして色々な意味で、個人的には思い出深い作品である事には違いないと思う。
(ただ、氏の脚本作品には結構、時々外れみたいな感じするのも....)
反戦映画として評価されていたと記憶する。
テレビで見た。今回は二回目。なんとなく、宮●駿さんの匂いがする。『紅●豚』と『未来●●コナン』に似た場面がある。
当時から反戦映画として評価されていたと記憶する。
正に戦争に狂わされる一人のイギリス人って事だ。
彼のためにベネズエラの人達が亡くなる。だから、焼かれる村もソンミ村の様に見える。ドイツ軍が村に入って、住人に『奴は何処にいる』と探すが、この場合、白人を探しているので、彼がいないことはすぐに分かる。
しかし、昔から見分けが着かない捜索というものが、虐殺を生んできた。例えば、ソンミ村の虐殺は住民とベトナム解放戦線の区別がつかない。だから、全部殺してしまうのだ。日本の場合の南京でおきたと言われる出来事も同じだと想う。
洋画を好きになった作品
この映画は、感受性に芽生えた最初の作品でした。
小学生当時、TBSの月曜日ロードショーを
おやじと観ていて初めて洋画のこのマーフィの戦いを観た。マーフィが最後にドイツの潜水艦に向けてレッカー船で吊り上げた魚雷を投下し
爆破に成功するが、その衝撃でレッカー船のクレーンが倒れマーフィが下敷きになって船と一緒に沈没するシーンを見て子供ながら、初めて虚しさを覚えた作品でした。
それ以来、多くの映画を観て
悲しさ、苦しさ、喜び、感動など擬似体験して
感受性が強い人間になったと思います🤔
映画を好きになったきっかけの作品です♪
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