「こんな人も居たのだと心に深く思わされる事と、 そしてエンドロールへの絶句について。」炎のランナー きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
こんな人も居たのだと心に深く思わされる事と、 そしてエンドロールへの絶句について。
【1】
八百万の神を縦横自在に信じて、かつ神を利用することに無自覚に長けた我が大和民族にとっては、驚きの一作だ。
信仰(信心)はファッションだと思っていたからだ。
よく言われるのは
他宗教を批判し毛嫌いはしているものの、ところが七五三は神社へ、結婚式はキリスト教、葬儀はお寺、という流れだから。
寛容だし、意地悪な言い方をすれば節操がないという事かもしれない。
神仏を人間の好みに合わせてコーディネートするから、信仰はよりどりみどりのバイキング料理であるし、不要になれは生ゴミのゴミ箱行きも平気の平左である。
仏像を尊び重んじるが、かたや、目を瞑らなければいけないのは、そこに魂を注入するのも人間。仏像の修復作業のために仏から魂を抜く力を有するのも支配者の人間の側だという不思議な違和感。
だから、こんな風土では「バンデラスのテーマ曲」は受け容れられたが、日本ではこの映画自体は理解されず、興行はまったくの不発に終わったのだと思っている。
レビュー数も極端に少ない。
類似するコンセプトの作品としては「ハクソー・リッジ」があるかも知れない。
アメリカは、あれだけの横暴な国であるが、戦事の有無を言わさない徴兵検査においてでさえ、旧約聖書の「十戒」の第六戒=「あなたは殺してはならない」を理由とする個人の信仰ゆえの徴兵忌避を認めている。
大変興味深いことだ。
【2】
そこに加えて
「主人公は、中国で、日本軍によって殺害された」とエンドロールに書かれてしまっているのだから
この映画はボツである。
呆気に取られる主人公の生き様が、テーマ曲の「音の反響効果」によって、何か、こだまのように響いてくる。
「中谷訴訟」のことも思い出した。
最高裁まで行った「信教の自由」をズバリ扱った裁判だった。
「殉職なさったご主人を神様として祀って差し上げましたよ」と言う親切な護国神社側と、
「いいえ、それには及びません。夫の名前を外しておいて下さいね」と頼んだ妻の20年にも渡った裁判。