「こんな えいか゛に まし゛に なっちゃって と゛うするの 完」ホーリー・マウンテン たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
こんな えいか゛に まし゛に なっちゃって と゛うするの 完
不死を求める錬金術師と彼の元に集った9人の男女が、聖なる山を目指すというサイケデリック・ムービー。
監督/脚本/音楽は『エル・トポ』のアレハンドロ・ホドロフスキー。
また、皆を導く役目を果たす錬金術師の役を自ら演じている。
ホドロフスキー映画、初体験!!❤️
本作を観て、何故未だにホドロフスキーがカルト的な人気を誇っているのか、なんとなく分かった。
こんなに狂っている映画、初めて観たよっ💦
1973年といえばベトナム戦争の真っ只中であり、それに反発するかの様にヒッピー・ムーブメントが隆盛を極めていた。
本作もそうしたムーブの影響をビンビンに受けた一作。むしろ、ホドロフスキーがこうしたブームを盛り上げていた、という側面もあるのだと思う。
とはいえ、本作はヒッピーを全肯定!という感じの作品ではなく、彼らの行為を退廃的であると諭している感じが見受けられる。
本作の前半の舞台である退廃した街。ここではベトナム戦争に代表される、愛国精神を隠れ蓑に行われる暴力行為への批判が描かれているが、同時にフリー・セックスなどのヒッピー文化を茶化している。この姿勢は後半に彼らがたどり着くパンテオン・バーという酒場でより顕著に描かれる。
さらにこの映画で目に付くのはキリスト教への猜疑心。主人公である盗賊は明らかにキリストをモチーフにした人物。
彼がソドムとゴモラをモデルにしていると思われる、退廃した街にたどり着くところから映画はスタートする。
キリストですら欲に打ち勝つことは出来ない。であれば、人間は言わずもがなである。
貧しい人たちのためにその身をパンに変えても、人々はそれを奪い合う。
従来のキリスト教の教義では、世界から争いは無くならず、人々が救われることはない、ということをかなり直接的な表現で描いている。
救いは教義に従うのではなく、禅やヨガによる瞑想により、内なるものを制することでもたらされるという描写は、如何にも60〜70年代的な東洋思想の流行。しかし、その普遍性は現代にも通じるものがある、と思う。
クライマックスの展開は強烈。
これ、映画だから!現実じゃないから!あんたらもこのホーリー・マウンテンを降りて現実を生きろ!
…なんか『たけしの挑戦状』のあの迷言を思い出しました。
強烈なビジュアルが脳味噌にこびりつく。グロテスクでバイオレンスでエロチック。どんだけモザイク出てくるんだよ!
ラブ・マシーンとか何食ったら思いつくんだあんなもん
💦
このビジュアルこそが本作の最大の魅力。一度観たら忘れられない映像は、観るものを魅惑の境地へと誘うことでしょう。
その反面、物語は退屈🥱
というか、あって無い様なもの。1時間くらいで限界を迎えて、とりあえず仮眠をとりました😪💤
はっきり言ってつまらないです、コレ。
ホーリー・マウンテンに登り始めるの、最後の30分くらいだから、もうお話のバランスは無茶苦茶。もちろん、それが味というか長所ではあるんだけど。
カルト的人気があるのは分かるが、自分にはついていけなかった…😅
クライマックスでの第四の壁が崩壊する展開は傑作だと思うので、そこまで頑張ればそこそこ満足感があるが、それまでの道程は長い。まさにホーリー・マウンテンを登るが如く。
好きな人が楽しめればよいが、その間口は狭い。人にオススメするとヤバいやつだと思われることは必定です。