ペギー・スーの結婚のレビュー・感想・評価
全5件を表示
誰にも自問可能で、個別性が高過ぎる題材。
コッポラだから観た。
女性版BTTF。
だからかコポなのに何処かスピでゼメ。
青春期の恋愛に再挑戦、
私ならどうする?と自問する内に
主人公の思考から乖離して乗れず。
誰にも自問可能で、
個別性が高過ぎる題材なのだろう。
修行の為に観る類い。
人生やり直すチャンス
キャスリーンターナー扮するペギースーは娘と連れ立ってブキャナン高校の同窓会に出席した。夫とは離婚しようとしていた。
同窓会はいいよね。スッと昔に帰れるからね。久しぶりに好きだった彼女にも会えるかもしれないし、蘇る恋もあるかもしれない。離婚しようとしていた夫役にニコラスケイジ。同窓会で鉢合わせも困るけど、同窓会で倒れてはいけないよね。でもそれで高校時代にタイムスリップした。人生やり直すチャンスは嬉しいだろうね。
おセンチなコッポラ
70年代に鋭く尖った才能を使い果たし、小品なりともS・E・ヒントン原作で傑作を二作品、その後の成れの果て??
ニコラス・ケイジもジム・キャリーもダサくて、オールディーズを醸し出す時代と雰囲気が台無し、変わる未来が中途半端に、何がしたいのか主人公に監督ともども理解が困難。
メンタルもボロボロにセンチメンタルなコッポラが、甘いだけの物語を何の疑問も感じずに撮った感は否めないのでワ!?
コッポラ版BTTF。 キャスリーン・ターナーは綺麗だがやはり18才...
コッポラ版BTTF。
キャスリーン・ターナーは綺麗だがやはり18才は無理があった。ニコラス・ケイジは登場だけで笑ってしまった。ストーリーも凡庸。BTTFの偉大さを改めて感じることとなった。
堕落後に回想しても復元できまい
1986年の映画『ペギー・スーの結婚』は主人公が1960年にタイムスリップしてしまうが、将来結婚する事になる恋人と、ダンスの後の車の中で、タイムスリップする前のペギーが、男に結婚するまで性行為はしないと言っていたのに、1986年の心を隠したペギーは、男に性行為を迫ってしまったため、今度は男のほうが怒りだす。この違いが、1986年と1960年の性倫理の感覚の違いであり、1986年には性倫理は崩壊しているのだが、1960年と1986年の間に性倫理を崩壊させた時期があったからである。ところが、1960年の男が結婚前は性行為しないと言う性倫理の中でも、ディープキスまでは何とも思わずしていた。実際には1986年に創作されたフィクションなのでそれも1960年当時していなかったかどうかわからないが、思い出すのは、今井絵理子参議院の発言の『一線は超えていません』である。沖縄県と言うのはアメリカに占領されていて、沖縄の事を悪く言うと非難ごうごうとされるのはわかりきった事だが、あえて言えば、今井絵理子は1960年から1986年を超えた時代の沖縄のアメリカ人だろう。神戸市の橋本歯医者は何人なのかとてもわからなくなってしまった。両者とも美しい日本人ではないはずだが、美しい日本人なんていなくなってしまったのかも知れない。アメリカの奴隷ばかりだ。アメリカの感覚の毒がわるく思えないのは私も染められてきた。もっとさかのぼれば性教育を指導したのもアメリカだっただろうに。良くても悪くてもアメリカのいいなりで真似しているだけか。アメリカが反省を終える頃には日本は性倫理崩壊したまま死んでいるわ。
全5件を表示