プレイス・イン・ザ・ハートのレビュー・感想・評価
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後が無い人間の覚悟
夫に先立たれた女性が、残された子供二人を育て、借金返済まで行わなければいけない絶望的な状況が胸に迫る。自分だったら相当に焦って自棄になりそうだ。今まで夫の役割だと考えていた仕事や厳しい教育を、本当にこれで良いのだろうかと自問自答しながら試行錯誤して行っていく。綿花で稼げると聞いて、銀行員に否定されながらも開始して、手を血まみれにしながら長時間綿を摘む。そんな彼女の姿に、もう後は無い人間の本気を感じさせられた。同時に、自分が絶望的な状況だと思っていても、生きていく手段は様々であり、自分次第で人生は切り開けるのだと励まされる思いがした。
今作は女性、黒人、視覚障害者の共同生活を通じて、現代以上に社会的弱者だと考えられていた人々が、自分達なりに強く生きていくことをテーマにしているのだろう。立場の弱い人々が、それでも努力して現状を打開していく姿にはやはり感動する。
『クレイマー・クレイマー』のロバート・ベントン監督らしく、素晴らしいヒューマンドラマだった。
姉夫婦のサイドストーリーに時間を割き過ぎてメインテーマを薄めてしまったような印象が…
この映画は、
キネマ旬報ベストテンにおいて
「アマデウス」「ミツバチのささやき」
「パリ、テキサス」等の名作が多数上映
された年に、見事第11位に選出された作品。
一度観たことのある映画だが、以前は
監督が「クレーマー・クレーマー」の
ロバート・ベントンで、
サリー・フィールドが2度目の
アカデミー主演女優賞を獲得した作品
だったなんて、全く認識外だった。
今回、黒人差別を辛辣にレポートした
本多勝一の「アメリカ合州国」を読んでいる
最中の鑑賞だったが、
この映画はこの本が書かれた1970年よりも
前の話であることは勿論、
ましてや公民権法も無い時代の話。
しかも、舞台は黒人差別が最も激しかった
南部の州の内の一つテキサスでもある。
映画の中では、黒人の人権など、
どこ吹く風の展開ではあったものの、
読本からは、実際はもっと厳しい状況だった
のではないかと想像させられた。
さて、この映画の最大の問題は、
かなりの時間を割いていながら、
サイドストーリー的な主人公の姉夫婦の
パートがメインストーリーから遊離している
感が拭えないことだ。
時代性を色濃く映すという意味では、
この部分を全てカットした上で、
綿花事業を通じての主人公の再生物語と
差別問題を時代的な視点で
より補強していたら、
更に評価の高い作品になっていたのでは
ないかとの残念な想いが拭い切れなかった。
考えさせられます、いろいろ
ずっとタイトルは気になっていたんですがテーマが重めのせいか未視聴のまま今日まで。「心の中の場所?」って何が言いたいの?ヒューマンドラマだよね?今回BSの放映のおかげでようやく鑑賞に至ることができました。予想を上回る上質で問題意識の高い素敵な作品でした。
それもそのはず。監督・脚本は私の大好きな「クレイマー・クレイマー」の監督さんだったんですね! この作品でもその時代と土地柄を通して人種、暴力、家族、身体障害などたくさんの問題を我々に投げかけてくれたような気がします。黒人と白人の関係性の描写などは視点が白人本位で今のご時世ではアウトかなって思いつつ、差別に対する世の中の意識も遅いながらも変化しつつあることを認識。
Jマルコビッチの鬼気迫る演技が際立ちました。どうやってあんな難解な役作りをするんだろう。彼の存在によってこの作品がよりいっそう印象深いものに仕上がっています。
たくさんの人の温かさとそれ以上の醜さが描写されています。それでもやっぱり「愛さえあればきっと救われる」ってことなのかなぁ? 知らんけど。
最後に、戸田奈津子さんの字幕も私の世代にしっくりきて良かったです。
主役の女性が良かった
1935年テキサスで過ちを許し合う家族
世間知らずの向こう見ずの勢い
【”善なる心は逆境を乗り越え、善なる心を呼び寄せる。”突然夫を亡くした女性が、善なる心で逆境を乗り越えていく姿を描いた作品。】
■1930年代のテキサス。
突然、保安官の夫を酔った黒人の誤射により亡くしたエドナ(サリー・フィールド)は、2人の子供を抱えて途方に暮れる。
しかも、早々に夫の借金を返済しなければ住んでいた家も失ってしまう事態に陥る。
追い詰められたエドナは、仕事を探していた黒人モーゼスの提案で、綿花栽培を始める。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・エドナは夫を突然失った悲しみの中、やって来た黒人モーゼスの申し出を断るが、彼が盗んで行った銀のスプーンに付いて、彼を弁護する。
ー モーゼスが彼女に忠誠を誓った事が良く分かる。そして、モーゼスは素人のエドナに対し、綿花栽培について的確な助言をしていくのである。-
・愚かしき銀行員デンビーが、義理の弟で戦争で目が見えなくなったウィル(若き、ジョン・マルコビッチ。:今作の彼の演技は忘れ難い。)を下宿させてくれれば、下宿代を払うと言ってエドナにウィルを押し付けるシーン。
ー 私は、銀行は嫌いである。額に汗をかかずして利鞘で金を稼ぐのが、嫌いなのである。(銀行員の方、スイマセン。)今作のデンビーは典型的である。
だが、当惑していたエドナは彼を受け入れるのである。徐々にエドナ一家に心を開いていくウィルをジョン・マルコビッチが見事に演じている。-
・竜巻が襲うシーン。モーゼスは命懸けでエドナの息子、フランクを助けウィルを先頭にシェルターに避難するのである。
ー 人種、障害を越え、天災に会いつつも生きようとする姿。-
・綿花栽培は順調に進むが、ある日KKKが黒人モーゼスの元にやって来る。
ー という事は、今作は1930年代か? とすれば、エドナの人権偏見のない姿が余計に心に響く。-
■エド・ハリスが演じる妻がありながらも浮気するウェインの姿は、エドナとの対比であろう。
<20世紀初頭のアメリカを舞台に、夫を亡くしながらも、力強く生き抜く女性の姿を綴ったヒューマンドラマ。アカデミー賞主演女優賞に輝いた(そうである)サリー・フィールドの演技と共に、若きジョン・マルコビッチの演技が図抜けた作品である。>
アメリカ牧歌時代に寡婦が頑張る素敵なお話
幸せそうな家庭が夫の不慮の事故死で一転、苦境に立たされた家族。
働いた経験の無い寡婦が懸命に生きていく姿に感銘を受ける。
モーゼスが銀のスプーンを盗んだが捕まり警官に連れられてきたときにエドナは助けてやる。レ・ミゼラブルの世界だ。
そこからこの物語のわくわく感が広がったのはこのモーゼスの一生懸命に働く姿とみんなが協力し合っていく姿だ。
ウィルが家族として増え、少しずつ家族として絆が増えていき悲惨さが薄れていく。
竜巻が来て大変な結果が待っていたが綿花は大丈夫だったようだ。
綿花も高く売れ、めでたしめでたしからの悲しい出来事。
黒人差別はいつの時代も重いテーマで、相変わらずアメリカ社会は変わってないようで寂しい気持ちになった。
劇中のパーティーに出てくるバンドのおじさんの引いてるギターがマーチンやった。
D-35かな、あのギター、今はどうなってるんやろ?
持ち主はお宝やろね。
マルコヴィッチがいい
大不況の中、未亡人となるエドナだが、優しい心と芯がたくましい性格で人々にやすらぎを与えてくれる。モーゼスが銀の食器を盗んだ事にもお咎めなし。物語の序盤からホロリとしてしまいました。そして一見弱々しいながらも、底知れぬ女性の強さを感じさせてくれます。
途中、パニック映画並の竜巻が起こるシーンもよく出来ていますが、町中が破壊された後の再建の様子が全くなかったのが残念。また、姉マーガレットとウェインの不倫関係の扱いも中途半端。モーゼスの後半になってから個性が弱くなっていくのが残念ですが、マルコヴィッチの好演がカバーしてくれました。
映画の断片をかいつまんで観ると、単なる「古きよきアメリカ」を描いた映画となりがちですが、一人の女性の生き様と人種差別問題、不況に屈しない心がテーマが見事に絡み合った秀作です。
20世紀前半の夫を亡くした妻が選択するものは
薄気味悪さ
常に闇に滑り落ちるような危うさを感じる。サリーフィールドの不安をたたえた神経質で不安定な表情がこの映画にサスペンス的要素の象徴。実際、予定調和でない台詞やシーンがどんどん放り込まれ、それぞれの人物像が陽陰共々描かれていき、薄気味悪い人間の業や闇に吸い寄せられてしまう。
浮気男エドハリスのくだりは、話の主筋からすると不要としても良いところ。しかし、衝撃のラストシーンで、映画の構図が明らかになる。視点が一気に雲の上に飛ぶ。生けるものも死んだものも、差別するものも差別されるものも、ハンデのあるものも五体満足なものも、男女も、肌の色も、全ての者が等しく生きており、そして生きることの意味が問われる。
実に台詞も演出も演技も細かい。観終わってからもジワジワくる。必見の一本。
今の自分は?
謎のラストシーン。あれはどういう意味なんだ? 突如一家の大黒柱を失...
綿花摘みって、重労働
母は強し!
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