ブルックリン横丁

劇場公開日:1947年6月25日

解説

劇作家ベティー・スミス作の長編小説の映画化で、「大地」のテス・スレシンガーとフランク・デイヴィスが協力脚色し、グループ・シアターの若い演出者として名を挙げたエリア・カザンがハリウッドに招かれて監督した処女作品である。音楽は「王国の鍵」のアルフレッド・ニューマン、撮影は1944、45年度の色彩撮影アカデミー賞を得たレオン・シャムロイが指揮している。出演俳優は舞台から映画入りして「クローディア」で名を挙げたドロシー・マクガイア「弾丸か投票か」のジョーン・ブロンデル、この映画での演技でアカデミー助演演技賞、子役賞をそれぞれ得たジェームズ・ダン及びペギー・アン・ガーナー、「此の虫十万弗」のテッド・ドナルドスン及びジェームズ・グリースン、ギャング役で鳴らしたロイド・ノーラン等である。別邦題「ブルックリン横町」。

1945年製作/128分/アメリカ
原題または英題:A Tree Grows in Brooklyn
配給:セントラル
劇場公開日:1947年6月25日

あらすじ

貧しいアパートメントの建物が並んでいるブルックリン。屋上に 昇るとニューヨークの摩天楼が望まれる。この一角には公園もなく、一本の樹木の生えていない。そのようなブルックリンの貧民アパートにノーラン一家は住んでいる。主人のジョニーはウェイターが職業だけれど、のん気坊のアイルランド気質の彼は、金が有れば酒を飲み、「アニー・ローリー」を口ずさんでいる。それで妻のケティーは、アパートの掃除婦の役を勤めて家計を助け、土曜毎に生命保険の掛金も払っている。土曜日は子供たち--フランシーとニーリーの姉弟にとって一番楽しい日だ。一週間に拾い集めたくず物を廃品回収業のカーニーに売って、その金の半分を母に預け半分を姉弟は買物に使うのである。その楽しさの中に、陽気な歌が聞こえる。パパだ。ジョニーだ。フランシーはパパが大好き。パパも彼女を大好きだ。アパートの裏のバルコニーの植木が切られ、緑の葉がなくなったのをフランシーは悲しんだが、母さんは忙しがって知らぬ顔。でもパパはフランシーに同情してくれる。母さんはもうパパに対する愛情を失ってしまったかのように、よそよそしい。良人にばかりではない。妹のシシイが訪ねて来ても好い顔はしない。妹がスティーヴという男と再婚したと聞いてますますケティーの機嫌は悪い。シシイが前の夫とまだ正式に離婚してないからである。しかし、シシイが子供を生むと聞くと幾らかケティーの気も和らいだ。けれどもフランシーが学校を変わりたいと言い出すと、母の顔色はまた曇る。それでも部屋代の安いところに引っ越して何とか切り詰めたい。ジョニーは愛するフランシーのために新しい職を求めたが、外とうもない彼は寒気と空腹のために倒れてしまった。警官のマクシェーンの知らせで、ケティーは病院へ駆けつけたが、ジョニーは死んだ。しかしケティーが妊娠していることに喜び、望みをかけ、割合に安らかに世を去った。彼に死なれてケティーは今更のように良人への愛を感じた。また葬式に大勢の人が来てくれて、ジョニーの死を悼んでくれるのに驚いた。甲斐性なしとないがしろにしたのは妻の自分だけで、良人は隣人には好意を持たれていたのだ。パパ好きのフランシーの悲しみも深かった。しかし良人の親友マッガリティが金を貸してくれ、フランシーは学校に通うことが出来た。ケティーは女の子を生んだ。ジョニーの忘れ形見のこの子に、アニー・ローリーと名づける。マクシェーン巡査がケティーに求婚し、ケティーも承諾した。フランシーもニーリーも小学校を卒業し、卒業式の日には、母がアイスクリーム・ソーダをおごってくれた。そしてシシイとも仲が好くなった。母さんも笑顔を見せるようになった。フランシーは世の中が明るくなったのを感じ、少女らしい希望を感じるのであった。

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映画レビュー

4.0親として必要なこと

2025年5月18日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

 家事や教育に日頃から口うるさい母親ケイティよりも、優しくて愉快な父親ジョニーや伯母の方が、子供たちに人気があるのは当然のことだ。だが母親のケイティの口うるささは、親として成さねばならない面倒なことを彼女が一身に引き受けている以上、当然の部分もある。逆に父親のジョニーが優しいのは、そういった面倒なことを母親に押し付けて、自分は口うるさく言う必要が無いからでもある。言い換えれば、母親は嫌われ役を買って出て、父親は美味しいとこどりしている様にも見える。

 だが、一見すると駄目なジョニーや伯母(ケイティの姉)の言動には、教育の本質を捉えている部分もある。例えば伯母の「厳しいだけじゃ駄目」というケイティへの忠告は、親の視点ばかりで子供の視点を忘れた妹に対する、深い意味が込もった言葉だった。ケイティには、表面的にはこの言葉の意味が理解できても、腑に落ちてはいなかったはずだ。だが、ジョニーの死により、自分が父親と母親の役割を両方担わなければならない立場になってみて、ケイティはようやくこの伯母の言葉の意味を本当に理解したのだろう。自分は忙しさを言い訳にして、娘の作文すら読んでいなかった。今までの自分は、子供たちに対して一方通行な接し方をしていたのだと。彼女は親として本当に大切なことを学んだのだった。

 私見では、厳しい教育って一定以上は意味を成さないような気がする。厳しい教育が意味を成すのって、教育を受ける側が教育者に尊敬の念を持ち、その厳しさから学ぶ意思があるという条件付きなのではないだろうか。そして、教育を受ける側のキャパシティや成長意欲も人それぞれなので、厳しさが必要な度合いも人によって変わってくると言える。その、相手が教育を受け入れる下地を作るのが、ジョニーのように子供(相手)の視点を持った日頃のコミュニケーションだと言える。これが無いと一方通行なやり取りになりがちで、厳しい教育もあまり意味を成さないように思う。

 福山雅治主演の『そして父になる』という邦画があるけれど、テーマ的にはそれの母親版みたいな映画だなと思った。あと、前回観たときはそんなに印象に残らなかった今作だが、多分前回観たときより成長したのか、家族の絆を丁寧に描いた感動作だと感じる鑑賞となった。今作が『波止場』のエリア・カザン監督なのも知り、彼の他の作品にも興味が出てきた。

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根岸 圭一

5.0アニー・ローリー

2023年8月15日
Androidアプリから投稿

舞台演出家として評価されたカザン監督の
1945年の映画デビュー作品

原作はドイツ系のベティ・スミスの小説

20世紀初頭にブルックリンで暮らす
アイルランド移民2世の家庭と
そこの娘フランシー・ノーランの成長が描かれる
(原作者自身の姿が投影されている模様)

カザンもギリシャ移民の子供で苦労したようだが
彼やスミスのアイルランド系への見方
(歴史や文化、暮らしぶり)も感じられて面白かった

新世界へ夢をつないだアイルランド移民の現実
(底辺からのスタート)とそれが引き起こす亀裂

大陸横断鉄道の建設に従事したことは有名で
I've been working on the railroad
なんて歌い飛ばすしかなかった境遇が
父親の姿に重なります

ラストは学校を卒業した
はしっこく こましゃくれた子供たちが
新しい命とともに
次のステージに移ったことを暗示していました

俳優たちが皆、いい感じでしたが
ほんとにアル中だったジェームズ・ダンの演技が
やっぱり真に迫っていて
その傷つきやすさと痛みが感じられました

リアリティのある映像の中に
監督の骨太なメッセージと力量が感じられます

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jarinkochie

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