プリティ・ベビーのレビュー・感想・評価
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監督が本作で狙ったのは、キューブリックのロリータとは異なる真逆のアプローチだったのです
舞台は1917年のニュオーリンズのストーリーヴィルという地区
そこはニュオーリンズのフレンチクォーターという大繁華街の外れの方の一角で日本風にいうと赤線地帯、つまり吉原みたいな売春公認地区のこと
主人公の12歳少女ヴァイオレットが暮らす売春宿は、そこにあります
母親のハティがその娼館の売春婦として働いているからです
おそらく、そこで生まれて育ったのです
冒頭の出産シーンはそれを説明してもいたのでしょう
ニュオーリンズは、米大陸の奥深くまで水運が往来するミッシシッピ川の河口の街、そしてカリブ海に向いて開いた港町ですから大いに繁栄しています
本作の時代の丁度20年前の1897年、日本でいうと明治30年にニュオーリンズ市はこのストーリーヴィルを売春公認地区に指定したのです
もしかしたら母親のハティは、その頃から売春婦としてここで働いていたのでしょう
売春公認地区を設定するのは、当局が管理がし易くするためで、欧州の港町や、日本でいうと江戸時代の吉原とか戦後の赤線地帯と考え方は同じです
大きな港町ですから、そうでもしないと街中に闇の売春宿が広がってしまうのだと思います
また、その翌年1898年に米西戦争が起こります
米国とスペインとの戦争で、 キューバやその先のプエルトリコがスペイン領だったので、カリブ海も戦場となりました
それで軍港もここに置かれ、ニュオーリンズはますます活況を呈していきます
だから、本作では海軍の軍人や、他州から来た人間が多く登場する訳です
舞台の娼館はニュオーリンズでも一二を争う格式ある高級店で、客は身なりが良い金持ちが多いです
日本映画の「陽暉楼」みたいな感じの店なのでしょう
その映画は1933年昭和8年が舞台でした
日本と米国との文化や風土と歴史の違いが遊郭の在り方に現れています
ヴァイオレットを演じたのは、ブルック・シールズ
彼女も撮影時は12歳でした
身長はまだ低く、胸はペッタンコ
腰も張り出してはおらず、尻の丸みもない
性徴はまだこれからの体型です
本当に子供です
ニュオーリンズのあるルイジアナ州は現在では結婚可能年齢は男女ともに18歳です
当時は一体何歳だったのかは、浅学にして分かりません
ミッシシッピ州では現在もなお15歳だそうで、ニューヨーク州なぞは近年まで14歳だったそうですから、それくらいの低い結婚可能年齢だったのでしょう
劇中、ヴァイオレットが初めて店の売り物となり、輿にのって花嫁のようなベールを頭に花火をもって入場してきます
ある客が彼女を幼すぎると思い年齢を聞くと、娼館の女主人マダム・ネルがこう応じます
「私を監獄に送りたいの?使っていい歳よ」と言い返します
でもまだ本当は12歳なのです
その前のシーンで酔った海軍士官がヴァイオレットにチョツカイをかけると、それを見たマダムが彼に何か耳元で囁きます
すると彼は驚いて「好みのタイプじゃゃない、ほんの冗談さ」とヴァイオレットを突き放すのです
きっとマダムが本当の年齢を彼に告げたのです
彼を追い払ったのは彼女を守る為ではなく、もう売り物になるとみたからです
そして彼女の処女をオークションにかければ高く売れると思ったからなのです
オークション!
まさに人身売買です
売春とは人身売買であるとはっきりとわかるショッキングなシーンでした
嬉々として娼婦としてデビューする喜びに溢れるヴァイオレット
同じ水揚げシーンでも、日本映画の「五番町夕霧楼」のものとは大違いです
江戸時代の吉原でも、少女が遊郭に住んでいたそうです
禿(かむろ)という少女達だそうです
10歳くらいまでに遊郭に売られてきて、花魁の身の回りの世話をしながら、吉原でのしきたりや廓言葉(いわゆる「ありんす言葉」)を身につけるのだそうです
花魁にまでなれる容姿と素質がある少女は花魁候補の「引き込み禿」に選抜されて芸事や教養の教育を受けるそうです
そして15歳になると、花魁見習いの「振袖新造」となり、ついている花魁のお座敷に共に上がって接客などのノウハウを学び、時には花魁の客がダブルブッキングした時には「名代」として花魁の代わりに客の相手もしたそうです
但し、客は振袖新造に手を出してはいけないルールだったそうです
17歳になって、やっと正式な遊女として客を取ることになっていたそうです
選抜されなかった禿は15歳で「留袖新造」になり、その歳から客を取らされたそうです
つまり本作のように12歳で売春をさせるなんてことは、江戸時代の吉原でもなかったことのです
今年2022年4月1日、日本の結婚可能年齢は16歳から18歳に引き上げられました
世界的に見て低いと問題視されたからだそうです
なぜ、少女を性愛の対象として見ると犯罪なのでしょうか?
美しいものは美しいではないか?
それが本作のテーマだったのだと思います
年端のいかない女の子が下着姿でウロウロする
性の現場に平気でいる
風呂シーンでは全裸をさらす
遂には水揚げされた直後の乱れたベッド姿まで
目が潰れるような映像のオンパレードです
理性はそれを美しいと思うことを拒絶しています
さらには彼女は自分よりまだ下の歳の10歳くらいの幼さの残る黒人の男の子にも迫ります
それは人種差別のある人間なら二重に身の毛もよだつ背徳の映像なのでしょう
あなたはこれらを正視できる人間なのかと監督は問うているのです
もちろん、特殊な性癖の人間以外の普通の男性なら理性が拒絶しているはずでしょう
ところが罪悪感があるのに、写真家のベロッキのように彼女の美しさを愛でてしまう自分がいるのです!
彼女に抗えない美しさがあることを認めてしまうのです!
しかし結局のところ、ベロッキはハティの夫になった男からヴァイオレットの将来の人生を考えて手放せという言葉に同意します
私達観客もまた、ラストシーンで普通の少女の清純な身なりになって駅のホームにいるヴァイオレットを見て、ようやく精神の均衡を回復できるのです
見事な監督の計算であったと思います
監督はフランス人のルイ・マル
「死刑台のエレベーター」、「地下鉄のザジ」、「鬼火」などで有名です
本作もそれに連なる傑作であると思います
ブルック・シールズは、イタリア貴族、それも教科書に名前の出てくるような超名門メディチ家の高貴な血を引くご令嬢です
赤ちゃんの頃からコマーシャルなどに出演して、全米一の高額ギャラの子供モデルであったそうです
12歳で端役ながら映画デビュー
そして二作目の本作で主演女優です
子役として、映画やテレビに、もっと出ていてもおかしくないと思いますが、全米一の高額ギャラがそれを邪魔していたのでしょう
ロリータ趣味
そういうとネガティブなイメージが強いです
ロリータとは、1955年のフランス小説のタイトルからの由来です
その小説に登場する少女の愛称がロリータなのです
その小説の内容は、12歳から17歳までの少女への性的な倒錯を扱っています
なので各国で発禁になったりしたものの、1958年にアメリカで出版されて大ベストセラーになり、1962年にはスタンリー・キューブリック監督が映画化しました
でもキューブリックのロリータに登場する少女役は、細くも可愛くも超絶美少女でもないのです
そこそこでしかないのはキューブリック監督がわざとそう配役したのだと思われます
それは主人公の少女偏愛に対して、観客に納得と共感を持たせないという意図だったと思います
しかし、もし本作で ヴァイオレット役をキューブリック監督のロリータのような今一つの容姿の少女を配役していたならどうだったでしょうか?
ブルック・シールズのような超絶的な美少女であるからこそ、衝撃力があり理性への破壊力があるのです
監督が本作で狙ったのは、キューブリックのロリータとは異なる真逆のアプローチだったのです
ベロッキに共感を持ってしまう、そういう自己への衝撃と理性への破壊力を映画にする事だったと思うのです
蛇足
劇中、マダムが宴席で隣の席の上流階級の紳士に「海軍はこの区域を閉鎖するんでょ」と聞きます
「米国海軍とケンカはできん」と彼は応じます
多分彼は市長です
ニュオーリンズ市当局は赤線地帯廃止に反対だったのです
清教徒がストーリーヴィル廃止のデモをやっているシーンがありますが、ニュオーリンズの赤線地帯が廃止されるのは、彼らのモラル的な主張のせいではありせん
本当は海軍の水兵が大勢ストーリーヴィルで性病を伝染されて問題になったからです
劇中でも売春宿の客が性病を伝染されないかと心配するのはそれです
終盤は、赤線地帯廃止となり売春婦達がそれぞれ身を振っていくシーンがあります
日本では1956年に売春禁止法が制定されて、赤線地帯がなくなっています
邦画でも「赤線地帯」、「洲先パラダイス赤信号」で、売春婦達がこれからどうしようかというシーンがあります
その光景もまた日米の文化と風土の違いが大きく現れています
ベロッキが自宅でページをくる本
下着姿のあられもないポーズの女性が大勢掲載されています
あれは多分ストーリーヴィルの案内本なのだと思います
どんな女性がいて、どんなサービスをしてくれて、いくらなのかを知る為の本です
現代のコンビニの雑誌コーナーにある風俗紹介雑誌の祖先でしょう
彼は地元の人間ですから当然それを持っています
その写真を手本にしてもっと彼なりに芸術としての写真を撮りたかったのでしょう
ロリータファッション
「下妻物語」で深田恭子が着ていたあれです
いまでもたまに見かけます
本作に出てきた売春婦達の衣装に似ていますが、単にファッションとしてだけのことで意味はありません
最後にジャズ
ジャズの発祥は、ニュオーリンズとういうのは定説です
本作で黒人のピアノ弾きや楽団がサロンで客 の為に奏していたように、ストリートヴィルだけでなく、ニュオーリンズの繁華街フレンチクォーターの各所で本作のような音楽が演奏されていたのでしょう
それがやがてジャズに発展していったというわけです
劇中ピアノ弾きはシカゴに行くと言うのです
こうしてジャズが全米に広がっていったのでしょう
少女に潜む女の怖さと無垢を描いた風俗美術画のルイ・マル演出の見事さ
ルイ・マルが初めてアメリカで映画を撮った。舞台は1917年のニューオリンズで、そこでストーリービルと呼ばれていた売春街からカメラは動かない。「好奇心」「ルシアンの青春」と大人になる前の少年を主人公にしたマル監督が、今度は身体は未成熟ながら認識として男女の営みを当然視する少女を主人公に、ジャズと淫靡な風俗を恐ろしくも奇麗に描いている。モデル出身の美少女ブルック・シールズを抜擢し、ニューオリンズを舞台に選んだところに、ジャズ愛好家のフランス人マル監督らしい選択が窺える。当時の世相から13歳ほどの少女が売春をしていたことは事実であったようだが、マル監督の興味は元論、これをスキャンダル風に描いて見世物にする事ではない。名手スベン・ニクビストの撮影の協力を得て描かれたのは、事実は事実として突き放して設定しながら、少女の中に潜む女の部分と無邪気な幼さの両面を優しく表現することであった。そこにマルの作家としての人間観察の鋭さがある。物語自体は特にドラマチックではなく、売春宿の日常を丁寧に描いたシチュエーションを並べた平坦なもので、その一つひとつに少女の可愛らしさが美術的に表現されていた。
特に素晴らしいのは、最初の演出だ。ストーリービルの夜景からバイオレットのブルック・シールズの顔のアップ。これが何とも美しい。すると女性の悶え声が聞こえて、どこか如何わしい雰囲気が漂うが、それは出産を迎えた母親の陣痛の声であった。男の子が生まれて、それを伝えるのに階下に降り、客と娼婦が入り乱れたサロンに現れる。お祝いに黒人のピアニストが調子よくキーを叩く。このピアニストの格好良さと指の美しさ。ほんの短いシーンで、この映画の世界観が凝縮され見事に表現されている。演出美の見本みたいなファーストシーンだった。写真家べロックが現れるシチュエーションもいい。一人起きていた母親ハティがモデルになる。それを見て口出しするバイオレットの子供ならの仕草が愛らしい。バイオレットの“水揚げ”シーンはショッキングながら、これもマル監督らしい優しい視点によって微笑ましくユーモラスな場面になっている。400ドルの値段を付けられ、先輩格の娼婦たちがアドバイスをすると、彼女は解っていると反応する。買った男が帰り、彼女たちが駆け付けると、バイオレットは死んだ真似をしている。心配する彼女らに、おどけて笑い出すバイオレット。それに釣られて笑う娼婦たち。何という、この状況だろう。黒人少年に悪戯しようとしてマダム・ネルに叱られるシーンでは、南部の人種問題を内包しながら、そのバイオレットの反抗振りが子供じみて可笑しい。少女の怖さと幼さのこの対比。
しかし、本当の怖さはラストシーンにある。売春地区が廃止される政府の政治的変動を経て、バイオレットはストーリービルを去る事になるのだ。普通の13歳の女の子として実社会へ入ることの恐ろしさを内に秘めたハッピーエンド。彼女がどのようにして普通の社会に溶け込んで行くかは、観客の想像に任せている。
ルイ・マル監督がストーリービルの13歳の娼婦を描いた風俗美術画のような映画。ブルック・シールズが難役を演じて存在感があり見事。舞台になる売春宿の美術とセットも奇麗に再現されていて、マル監督の演出の巧さとセンスの妙味が傑出した秀作だった。
1978年 10月14日 スバル座
退廃と自然美とのバランス。ウィットに富んだ傑作。
おかしな言い方だがブルック・シールズが売春宿に生きる美しい野生動物のように見える。
売春婦を描くにユーモアを持って悲しみとの絶妙なバランスをとった良作。
生きること、愛することの正解がないことを描き、ただただその生に愛おしさを感じる。
スーザン・サランドン!
ロリコンブームに乗ったルイ・マルのアメリカ映画。ブルック・シールズの幼い裸体に興奮した輩もいるだろう。実際、この時代は『エマニエル夫人』の続編や『ビリティス』などで、未発達な少女の裸体がフィルターをかけた映像とともにもてはやされていた。
黒人ピアニストが弾く音楽がいい雰囲気で、娼婦たちは病気だけは心配するものの誰も卑しい職業だと思っていない。しかし、すけべな男たちの心が全く伝わってこないのも事実で、ストーリーは面白くない。印象的なのは脇毛も見せるスーザン・サランドンのヌード。中世の裸婦画の雰囲気をも想像させる映像は綺麗だ。
ヴァイオレット
1978年 ルイ・マル監督の米進出作品
自分も早熟だった天才監督が
美少女シールズの中に、ヨーロッパの退廃の香り
(父親が 伊 トルトニア家の血筋)をも 嗅ぎとって、
作っちゃったみたいな作品
そして これが 彼女の映画作品の決定打になってしまう…
彼女を取り囲む 大人の俳優達も、1910年代のニューオリンズの娼館の様子も よい
母親役の サランドンが若い(体も、声も!)
妖艶な娼婦から 気難しい堅気の母親への
変化もすごい
(教育ママになりそう)
自らの体を 取引するヴァイオレット(シールズ)は
幼くてもリアリストで、ベロッキよりも 新しい生活 (可能性のある)を 選ぶ
時代の波で 消えゆく娼館と女達を記録した写真
(歴史的価値あり)と共に、ベロッキ(キャラダイン)は 捨てられるのである
ベロッキ、かわいそ
ヴァイオレットは 写真を撮られる度に、彼のことを 思い出すだろうか
少女売春を扱った問題作でもあるが、ベロッキに同情することとなってしまった
監督が 才人なのに、いまいち人気がないのは この辺の冷痢冷徹な目線で、我々の心も欺瞞も 打ち砕くからだろう
(天才である)
なお 同じ波をかぶった娼館のピアニストとその音楽仲間も、ミシシッピ川を北上し
ジャズの進化に貢献する
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