「アメリカ人監督の描くベトナム戦争は虚偽の内容や、行為を美化する内容が多い。戦争の怖さと言うが、この戦争は一方的な侵略戦争である。今のロシアと比べてもアメリカのやってきた行為は許されるものではない。」プラトーン マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカ人監督の描くベトナム戦争は虚偽の内容や、行為を美化する内容が多い。戦争の怖さと言うが、この戦争は一方的な侵略戦争である。今のロシアと比べてもアメリカのやってきた行為は許されるものではない。
アメリカは、自国の黒人をベトナム戦争にかりたてる為に、公民権法を制定させた。
白人の貧困層がベトナム戦争に行く羽目になったと、この映画では語っているが、黒人は公民権法制定により、行く事が拒めなくなる。そして、それに比例して、ベトナム戦争も泥沼化していく。(今のロシアと同じ) それが、1968年。その年の色々な出来事と繋がる テト攻勢 ソンミ村虐殺事件 アメリカによる北爆の全面停止 それらの出来事は、現地で戦うアメリカ人兵士にとっては、戦況の悪化でしかない。そして、翌年にはベトナム解放戦線が南ベトナム共和国臨時政府となる。既存で存在したベトナム共和国はフランス承認の傀儡国政府と体をあらわすことになる。
そして、その余波がカンボジア内戦とラオス内戦に繋がり、アメリカは防共を大義名分にかかげて、弱い国を侵略していく。だから、1975年までインドシナ戦争は継続するのだ。すべて、共産主義からの防衛を掲げている。当時から、防共は叫ばれ、北ベトナムが社会主義、南ベトナムは資本主義と言った構図になっていた。つまり、朝鮮戦争と同じ構図になる。
最近、勝共連合とか聞くと思うが、1968年に朴○煕、笹○良一、岸○介、蒋○石、文○明(統一教○)等の力で国際勝共連合として発足している。だから、当時から、南ベトナム解放民族戦線をベトコンと蔑んで、アメリカの行為を肯定する政治家が、日本には沢山いた事を忘れてはいけない。勿論、いた事が直接悪いと言うわけではない。
(高校2年生の時の世界史の授業で習い、それで使ったノートを丸写しです。詳細は文献を参照されたし)
さて、この映画だが、何を言いたいのか僕は全く分からない。米軍どうしの殺人が2回行われ、最初の殺人は権力争いであるが、二度目は『えっ!』と思わず身を引いてしまう。立派な殺人。なんでこの表現が、反戦映画の名作になるのか分からない。兵隊やくざの大宮キサブロウすらやらなかった。これが民主主義国家、アメリカのリベラル層の理論なのだろうが?
30歳の時、大阪で夜行列車を待つ間に、よしもとの劇場の隣で、オールナイトで見た。
この程度の映画で『弦楽のためのアダージョ』は使って貰いたくないと感じた。
また、アメリカは戦争を終結させたのてはない。敗戦したのだ。這々の体でサイゴンの街から逃げて行く姿を見て、やっと終わったと感じた。
8月15日を終戦と言うのはおかしい。敗戦記念日なのだ。不謹慎だろうが、原爆を2つも落とされて、終戦と定義すると、『原爆は戦争を終わらせる為に落とした』と、カーチス・ルメイの様な悪魔に語られる事になる。❴なお、カーチス・ルメイはベトナムの北爆にも関係している。そのルメイに日本人は勲章を授けている!❵
敗戦記念日とは、沢山の罪のない日本国民が殺され、戦えなくなって敗けた記念すべき日と考えるべきだ。そして、負けても恥ではない。寧ろもっと早く白旗を揚げるべきだったのだ。