「自由…。」冬の旅 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
自由…。
冬の旅――自由の果てにあるもの
1985年、アニエス・ヴァルダの『冬の旅』はベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、フランス国内で100万人を超える観客を動員した。
なぜこの作品は、当時のフランスでこれほど強い共鳴を呼んだのだろうか?
物語は、モナの死体発見から始まる。
彼女を記憶する人々は多く、証言を重ねながら、私たちは一人の若い女性の軌跡を辿る。
しかし、その証言には奇妙な共通点がある。
誰もがモナに「孤独」を見ているのだ。
だが、果たして彼女は本当に孤独だったのだろうか?
モナは大学を出て秘書官となったが、人に使われることを嫌い、社会を捨てた。
ヒッチハイクとキャンプ、ほとんど野宿に近い生活。
タバコ、大麻、水とパン、時には売春。
移動しながら求めるのは食料と寝所だけ。
目的も目標もない。そんな生き方は、自由の象徴なのか、それとも愚かさの証明なのか?
フランス人は本来、労働を嫌う――そんな言葉がある。
だが、1985年のフランス社会は経済成長の陰で若者の失業率が高く、「働くこと=生きること」への疑問が広がっていた。
モナの姿は、その疑問を極端な形で体現している。
中産階級的な安定への違和感、社会の冷淡さ、そして「自由への憧れとその代償」彼女の旅は、時代の不安を映す鏡だった。
しかし、モナの自由は純粋なものではない。
社会を捨てながら、社会に依存する稚拙さがある。
働く場所を与えられてもすぐに辞め、世話になった家から物を盗み、罪悪感もない。
身分証を持たないのは過去を捨てた証だろう。
だが、その選択は、太平洋を一人で渡るような無謀さに似ている。
頑固なのか、プライドなのか、考え方を変えないというのであれば、放浪に意味はない。
やがて、ワイン祭りの村で体中にワインを染み込まされたモナは、凍死する。
楽な生き方、楽しい方を選ぶ生き方は、人間社会では生きていけない――その事実を、彼女の死は突きつける。
モナは人生のディスカバリーの旅に出たのではない。
世を捨て、人を捨て、そして世間に捨てられるために旅に出たのだ。
2025年の私たちは、彼女に何を見たのだろう?
自由か、孤独か、それとも愚かさか?
モナには、憐れみを手向けることしかできないと感じた。
