冬の旅のレビュー・感想・評価
全25件中、1~20件目を表示
とても面白い
よくこのような映画を作ろうと決めたものだ、すごい、と思った。普遍性が強く生じるような仕掛けになっており、彼女の過酷な道行きを映像表現として描く価値があると、作家として確信しているということなんだなあ、と。リアルに寒々しい風景と横移動撮影が目に焼きつく。
サンドリーヌ・ボネールはこの時まだ17、18歳くらいとのことだが、かなりアップでないと少女とわかリにくい感じ。ものすごく辛い目に合うが、真に迫っており胸が痛くなる。感電する教授は監督の心情を仮託しているのかと思う。
そして、肉食のヨーロッパ人の体臭は我々より遥かにキツイとよく聞くが、どの程度なのか非常に気になった。とはいえ「ポリエステル」みたいなオドラマ方式だったらと考えると恐ろしいが。
タイトルなし
妖精業も楽じゃないというか、妖精も人間であれば臭うし死ぬのである。/感電のシーンはちょっと笑った。/『WANDA ワンダ』ぽくもある。あと、有吉佐和子『悪女について』も思い出した。
その日食うのも困っているのに、食い物にありつけるとわかった否やお金...
その日食うのも困っているのに、食い物にありつけるとわかった否やお金はジュークボックスへ
彼女にとって音楽は何だったんだろう
そこまでして手に入れたい自由とは何なのか
反逆、自由などの言葉だけでは埋まりきらない感情が残る
なぜ一人でさまよっているのか
モナが亡くなる前、寒さに震えながら「お母さん…」とつぶやいてたこともあり、彼女がどうして「キャンプ」に出たのか、想像させてくれる描写でいいからほしかった。
こんな生き方をしたからあんな風に死ぬハメになりました、ではかなしい。
教授や畑仕事を世話してくれたモロッコ人など、臭くて我を通すとっつきにくいモナになぜか好意的な人も少数ながらいるのに対し、
教授の助手など徹底的に嫌う人、
羊飼いのように関わった結果軽蔑する人、
ヨランダのように嫌いになりきれず距離を置く人、がいて、
人間は2割に好かれ2割に嫌われ6割には何とも思われないという話を思い出した。
主人公の状況の類似からinto the wildを挙げる人もいるが、
あちらは目指すものが明確でそのために努力もしているのに対し、
モナは「楽したい」というのは一貫しているし、他人に媚びもしないものの、何を目指しているのか全く見えず、表現されたものだけから読み取ることもできず、
消化不良がある。
モナを語る人の中に「自由」で羨ましいと語る人もいたが、カチカチのパンをかじり、行きずりで関係を持ったり襲われたり、寒さに震えたり、
モナはひとつの場所にいないだけで、どこに行ってもいい反面、居場所がないということでもあるし、
モナは自由だ、とは描かれていなかったと思う。
不思議な映画だった
不思議な映画だった
主人公に同情させるでもなく、
どちらかというと、教訓的に進んでいく
自由を得るには、
引き換えに失うものが多いのだ
「WANDA」と鑑賞後感が似ていて、
どうにもならない人がどうにもならずに生きている
どうにかしたい、もなくて
ただ、どうにもならないことが続いていく
結局、社会なのかな
社会に混じれなかった人、
社会が混じることを許さなかった人、
そういう人を描く映画があることで
救われる人はいるんだと思う
実際、クリスマスイヴに観てる私とて
少しは救いになっている訳だし
とはいえ、ファーストシーンから衝撃的だし
ラストシーンだって悲劇でしかないですよ
個人的には、
教授と仲良くなっていく過程が見たかったりして。
それじゃ、ダメなんですよね
凍死体となって見つかった少女モネ。 彼女はなぜ死んだのか、彼女と交...
凍死体となって見つかった少女モネ。
彼女はなぜ死んだのか、彼女と交流した者たちの証言を通して描かれる。
キャンプといえば聞こえは良いがホームレス。
男性証言者たちのように危険、哀れに感じたが、
女性証言者のように自由に生きたことを羨ましがる視点もある。
不自由を被りながら死んだように生きるか、彼女のように刹那的だが自由に生きるか、人生はこんな両極端では無いが心に残る作品となった。
キリギリスが、正しく野垂れ死ぬ。
監督・脚本のアニエス・バルダは1929年生まれ。1970年代の退廃した若者文化を、壮年期に横目で眺めた世代。
フランスの片田舎の農業地帯で凍死した女性の日常を、彼女と関係した人々、目撃した人々の証言で綴っていくと言う記録映画的な建付け。狙いは、この年代の生き方に対する、一般世間の評価に客観性を持たせること。
証言や関係性は多様を極めます。自由であることへの羨ましさを口にするもの。興味から始まり、一定の共感を抱いたり、惹かれたりするものもいます。自らの価値観を押し付けて施しをしようとするもの。働くことを教えようとするもの。一緒に自堕落の限りを尽くす同類。利用しようとするクズの中のクズ。
もうね。多様です。一般世間の評価の多様性を反映しています。
でですよ。
もうね。当の本人と来たら、ボロボロのクズっぷりです。
楽して生きようとして、実際の享楽的な生活を送った女の子が、キリギリスの如く冬の農地で野垂れ死ぬ。全く同情の念が湧きません。哀れだと思いますし、少しは助けたくなるけれど。これは、どーもならん。
要するに、冷ややかな視線以外に感じるものが無い。
自由さや率直さと言う魅力はあっても、現実世界で生きて行くために必要な事は、他にあるし、それをおざなりにしたり他人任せにするってのは、明確に間違いだよ。って言う映画。
にしても、1985年製作でこの音楽はナシ。って、ずーっと思ってましたが、70年代に流行りながら完全に廃れた非音楽的な和声と旋律を、敢えて使ったのだと考えたりした。
冒頭はつまらなかったんですけど、途中、作者の意図が伝わって来てからは面白かったです。
今も、こんな若者、一定数は日本にもいますけどね。と言うか、古代から、いたんでしょうねぇ。様態は違えども。って思った次第です。
興味深かった。
とっても。
内臓に寒さが染み渡る
とある若い女性の最期の二週間を振り返り、時に彼女と出会った人のインタビューも交えるなどして描かれたドラマ。彼女のフィクショナルなドキュメンタリー。
冒頭からガツンとやられるのだが、進むにつれやるせなさがどんどん募ってきて、鑑賞後もずっと、静かに自分の中で色んな感情が重くのしかかる。出てくるキャラクターはいちいちリアル。思い出すにも気が重いが本当に見て良かった。良い映画。
アニエスの矜持たるや素晴らしい
Me Tooや人権の運動がここまでになったのも、バルダ監督等のちからが生きている。
その証拠に主人公の彼女がたとえ農地の中での垂れ死にだったとしても、この世に自
由や平等を上げる声は確実に根づきつつあり、決して哀れな女性の末路ではないから・・
ここ最近の女性監督の躍進もそのながれです。確実です
自由ということの不自由さ
自由でありたいと突き詰めれは突き詰めるほど、自由のようなものに心は捉えられてる手を伸ばしたその先で自由は雲を掴むように遠のく。
そして,もともと住んでいたところからどのくらい離れていたのかわからないけど、自由を求めて彷徨うにはその行動範囲があまりに狭くて堂々巡りにハマり,最初から見ていた農地の溝にて事切れてしまった。あまりにも痛々しくあまりにも鮮明な若さ、自由への渇望、やがてくる絶望。
農具や、農耕機や、固く乾いた土やモロッコ人移民労働者とら剪定する灌木。オブジェとしてアップで捉えられるものはあまりにも冷たく硬質で、自由を求める魂も肉体もあまりにも脆く弱々しい。
樹木の名前忘れてしまったが,毒素に侵された木を伐採する、立ち枯れる木もまた弱い肉体である。
木のお医者さんである学者さん(女性の教授)との出会いがモナと社会,世間をつなぐ心地よいひとときをもたらした,その後学者さんにおこる衝撃の出来事も,驚いたけど無機的ではない有機的な帰結。
お屋敷の持ち主の老女との楽しいコニャックのひとときも刹那的で老女もなに不自由ない富裕の暮らしをしながらこのコニャックとモナとのひとときを最後に老人ホームという不自由に追いやられるからモナと意気投合してのだろう。お屋敷の家政婦をしてボーイフレンドともなんとなく不安定な女性も,自由に生きるモナに惹かれてしまう。
羊飼いの家族の哲学者の男もやがて楽して生きたいモナに苛つき無口だが妻の方が需要していたように見える,他の家でも、学者さんほどではなくても女性たちはそんなに厳しい態度ではないように思えてそこも大事な目線かなと思う。
最初は威勢が良かったモナ。肌身離さず食料や大事なものを入れているバッグにはMのイニシャルが、社会とのつながりかってあったなんらかの家族とか自分の名前とか断ち切り難い関係性を見ているものに常に意識させる。
自由とは孤独なものだが,孤独は自由なのか。不自由な自由を頑なに強情に追い求める強いモナ。
自由がどんどん不自由になり、貧困の束縛となる。
深くにも男に襲われるところから,ローリングストーンのように転がりはじめる、このシーンで、若い男子がやはり究極の自由を追い求め挫折し絶望と死に至るInto the wildでヘラジカをしとめるが処理に時間がかかりうじが湧いて食べることもできず体力だけが無駄に消耗し絶望するシーンが想起されそれから頭を離れなかった。
この映画が公開された当初は見ていなかった。もっとちっさくて不甲斐ない感じだけど若さゆえ同じことを考え同じような行動もしたし、妄想もした。あのころこれを見ていたら行動は妄想となり妄想は活力となり、逆説的に不自由を選択して自由を部分的に享受しただろう。これをみなくてもそのような疑似体験や現実と非現実日常と非常の境界を自由に行き来できるものはさがせばたくさんあった。
今も不自由の自由を甘んじて生きる。自由の不自由ほど苛烈ではないから、、、
そんなかっこいいもんじゃない。
1985年金獅子賞受賞作のリバイバル上映。この時代のフランスとは一体どんな社会だったのだろうかとやや不安になる内容。
畑の側溝で発見された若い女性の凍死体。彼女は何故ここで命を落としたのか。彼女と関わった人々の言葉と共にここまでの道程を追ってゆく。
楽して生きたいと言う割に誰よりも困難な生き方をしているように見える。そもそも何故この若さで放浪しているのかが謎過ぎる。わがままで性格も悪い。共感も同情もできずにモヤモヤするばかりだった。この時代はこんな女性像がある種英雄視されたのだろうか。原題は「屋根も法もなく」らしいけど、法に逆らうことが必ずしも信念を持っていることとイコールではないと思う。少なくとも彼女のはただの堕落でしょう。死に方は可哀想だったけどね。
本当の“多様性”とは?
1985年の制作の私は全く知らなかった作品ですが、ネットで凄い作品という噂は聞いていたので観に行きました。
監督はアニエス・ヴァルダで私は昔に『幸福(しあわせ)』だけ観ていますが、これは傑作でした。
本作も確かに凄い作品だと思います。非常に心をざわつかせる作品でした。しかし、何が凄いのかを説明し難いし、感想を書くのも難しい作品でした。
でも、十代の多感な時期に鑑賞していたら、かなりの衝撃を受けたことは間違いない作品だったと思います。
そういう意味では、私の場合アメリカンニューシネマの作品群と同じ様なメッセージを持っていたのかも知れません。
近作で似たような類似作品を探すとすれば『イントゥ・ザ・ワイルド』や『ノマドランド』などを挙げられるのですが、全くテイストは違います。(そういう意味ではフランス映画ならではの作品なのかも知れない)
あちらの主人公には“信念”の様なものが作品の中で一貫していたので、理解しやすかったのですが、こちらにはそれが無い、というか分かり難い。
一見ただの浮浪者の野垂れ死にの様に捉えられなくもない死に方でしたが、それともちょっと違う何かも感じられました。恐らく“信念”とは別のものにつき動かされていたのだと思います。
こういう作品によく使われる単語として“自由”“現実逃避”“社会への反抗”“個人主義”等々の言葉が頭の中で飛び交うのですが、本作の場合はどれもピタっと当てはまらない様な作りに敢えてしている様な気配(計算)さえ感じられます。その辺りは『幸福』とも共通する作風です。
なので、鑑賞するにも相当なインテリジェンスを要する作品なのだと思えますし、私も言語化出来る自信は全くありません。
ただ直観的に、人間の真実というのか社会教育される前の人間の根幹に元々ある何か大切なものを生きることにより消失されるのを描いていた様にも感じられました。
なんだか、キリキリと胸が痛む作品ではありました。
これは誰にでもお勧めできる作品ではありませんが、馬鹿みたいに“多様性”という言葉を使いたがる人達には本当の“多様性”の意味を考えるうえでも観ておくべき作品だと思いました。
自由とは何か
現代では言うと「ノマドランド」なのでしょうか。
しかし社会を見つめる様は冷徹でありリアリスト。オープニングとエンディングが繋がるのに、見方がガラッと変わるあたりが、見事な演出。
新聞でたまに見るホームレスの死を見ていて、ここまでダイレクトに社会を反映させて見れただろうか?
やはりヌーヴェルバーグは凄い
こんな作品に出会うために映画を見続けている
未見だったアニエス・ヴァルダ監督作。
そしてこれはオールタイムベスト級の決定的な作品だった。
少女の凍死体。ヒッチハイクをしながら旅を続けていた彼女が命を落とすまでの数週間を彼女と出会った人たちの証言でたどった。
世間に馴染むことなく一人で生きる彼女。
面倒だと言って働こうともしない。
彼女自身も予期しなかったであろう自らの死。
周りに存在するリスクにさえ無頓着だった。
う〜ん、これは感情を挟む余地がない必然的な悲劇。何にもないクソのような人生に共鳴した。ヒリヒリした。
今年出会ったバーバラ・ローデンの
「WANDA ワンダ」(1970年)、
そして昨年出会ったケリー・ライカートの
「ウェンディ&ルーシー」(2008年)
を思った。
時や国を超えて脈々と受け継がれるDNAがあることを確信した。
自分はこんな作品に出会うために映画を見続けているのだと思う。
「冬の旅」の、タイトル通り、主人公の少女モネが冬にテント生活をしな...
「冬の旅」の、タイトル通り、主人公の少女モネが冬にテント生活をしながら旅をするおはなし。
原題をそのまま訳すと「家もなく、法もなく」らしい。たしかに、序盤は、モネは家もなく、法にも縛られず自由に生きているように描かれる。
だけれど、どんどん行き詰まって、最後は死んでしまう。モネは家がない代わりに、法に縛られず自由に生きていたはずだった。
死んだあとには、国家の象徴ともいえる警察が彼女の身体を引き取りにくる。旅先で出会った人たちが、それぞれ優位な視点で彼女のことを証言する。ここには、モネの自由など、存在しない。
モネ自身の視点が抜け落ちた「証言」によって、この映画(彼女が死ぬまでにたどった記録)は構成される。警察が気にしているのは、事件性があるのか、ないのか、だけであり、それを判断するための記録を取ることが目的であろう。彼女はなぜ死ぬほどの過酷な旅をしたのか、彼女の心情、ホームレスが増えていく社会背景などは抜け落ちてしまう、
当事者の証言は欠落していて、他人の言葉のみで再構成される「モネが死ぬまでの旅の記録」はどこまで事実が担保されるのだろうか。事実の記録のようでいて、実はそこに真実はなにもないのかもしれないということを思ったりする。
モネはいろいろなところを旅しているように見えるのだけれど、過去に出会った人たちと、ニアミスする場面が多く描かれるから、遠くまで移動しているようで、実は、近くをぐるぐるしているだけなのかもしれない。どこにでも行ける自由さがあるようで、どこにも行けない閉塞感を孕んでいる。それはきっと、物理的な移動のことだけではない。閉塞感のある社会、そこで生きづらさを感じている人間たち、のことも含めて表現されているような気がしている、
冬の寒い朝、南フランスの畑の一角でひとりの若い女性(サンドリーヌ・...
冬の寒い朝、南フランスの畑の一角でひとりの若い女性(サンドリーヌ・ボネール)の死体がみつかる。
事件性はなく、風体からも野宿の旅行者、もしくはホームレスのよう。
彼女に出逢ったというひとびとの証言を綴っていくと、彼女の人生が垣間見えてくる・・・
といった物語。
冒頭から、死体があらわれるが、ミステリではない。
彼女の人生の、ミステリアスな側面を描くという意味でのミステリでもない。
ただただ、人々が構成する社会から意図して逸脱した若い女性の物語。
映画は、彼女の過去と、彼女の人生と少しばかり知り合ったひとびとの証言で構成されている。
ある意味、ドキュメンタリー映画のようなのだが、アニエス・ヴァルダ監督の構成力が恐ろしい。
彼女の死体が発見されたのち、過去へと遡るのだけれど、彼女の行動は大過去から直近へと一方向でありながら、証言者たちはの登場は必ずしも一定ではない。
だからといって、観る側に混乱はもたらさない。
映画が持つ、時系列的性質の解体と再構築のように感じられます。
この解体と再構築がもたらすのは、鑑賞する側への「委ね」の大きさなのだけれど、それは彼女の行動の是非ではなく、彼女がとる非日常的行動の意味合いで、彼女の存在はある種の「稀れ人(異世界からの神)」のようにも見えます。
自由でありながら、自由でない。
ひとびとを縛している「社会」からの逸脱は、自由のように見えて、生きることには不自由。
でありながら、幾人かのひとびとからは「憧れ」のようなまなざしを向けられる。
唯一、彼女を「逃避者」と語るのが、山羊飼育と農業を営む哲学者である点が興味深いです。
観はじめたあたりはそれほど面白いわけではないのだけれど、彼女の存在を「稀れ人」ではないかと思ったあたりから、俄然おもしろくなりました。
演出では、エピソードのつなぎで、彼女の移動シーンを横移動でとらえているショットで、彼女の移動にあわせてカメラが横移動(右から左へ)するのですが、最終的には彼女を追い越し、背景である風景なり何なりを映し出すところ。
彼女を超えて映し出される風景なりなんなりが、観ている側に、どれほど接近するか・・・
このあたりにヴァルダの非凡さを感じました。
とはいえ、彼女に共感できるかどうかは別。
集団がつくる「社会」という現実からの逃避で得る自由には、「生」に対しても責任が生じるということで、そんな責任は負いたくないので現実のなかで煩悶するのか平凡人ということなのかもしれません。
原題は「家もなく、法もなく」です。
スキャンダラスな無鉄砲娘にワクワク
南フランスでヒッチハイカーが凍死したニュースをヒントにした実験的映画。
ヌーベルバーグの先駆者のアニエス・ヴァルダの劇映画の最高傑作と言われている本作。1985年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。
畑の側溝の死体から始まり、遡って目撃者や関わった者たちの証言の映像化に挑戦。
さすらう若いストレンジ・ウーマン。
17歳のサンドリーヌ・ボネールが主人公モネを演じる。
体格も良く大人びている。
四角顔のワシ鼻で顔つきもワイルド。まったく物怖じしない。
人に媚びない。
ふてぶてしいアウトロー。
ぶっきらぼうな仕草。
汚い爪、臭そうな体臭。
でも、そこがカッコいい。
しかし、魅力と脆さは紙一重。
過酷な運命が待ち構えていることはわかっているが、その過程を目撃することはじつにスリリング。
彼女のさすらいの目的や人生の価値観、信条はなんなのか? 果たしてそんなものがあるのか否か?
若い女性がひとりで放浪。
彼女が生きてゆくためのツールはその若い肉体と無鉄砲な危うさだけにも思える。トラブルに巻き込まれる確率は恐ろしく高いはず。
綱渡りのサバイバル。しかし、じつにあっけらかんとしていて、自暴自棄。
気になって仕方ない。
じつに、スキャンダラス。
女中のヨランダを演じるヨランダ・モローの独特の芝居がくさいけれども、おかしみがあって好き。
全25件中、1~20件目を表示