冬の旅のレビュー・感想・評価
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【”漂泊”自由である事は孤独である事。孤独である事は自由である事。一人の少女の漂泊の果ての死への歩みをドキュメンタリータッチで描いた作品。】
■冬の朝。フランスの田舎の葡萄畑の横の側溝で、モナという若い女の凍死体が発見される。
警察はヒッチハイクで流浪していたモナのことを誤って転落した自然死として葬る。
モナが路上で出会った人々の証言から、彼女が死に至るまでの数週間の足取りをたどる。
◆感想
・アニエス・ヴァルダ監督の作品は、数作であるが鑑賞して来たが、今作はナカナカに難解である。
・世間的には高い評価を受けた作品だそうであるが、エンタメ性は少なく、サンドリーヌ・ボネールが演じたモナも、可愛い顔をしているが、性格は可愛げが無い。
・”楽をして生きたい。”と平然と口にするし、モノは平気で盗み、金がないのに巻き煙草をスパスパ吸う。
・移動は、ヒッチハイクである。自分に色目を使う男には罵声を浴びせる。
■今作内で、モナを知る女性が頻繁に口にする言葉がある。”孤独”である。
モナは、自由と引き換えに、孤独を抱えている。
無軌道と言っても良い生き方をしている。
<今作は、自由と孤独の関係を考えさせられる作品だと思う。エンタメ性は少ないが、記憶に残る作品である。
つまりは、秀作という事なのだろう、と思う。>
見事な自業自得映画
随所でモナが言う「楽して生きたいの」という言葉、若い頃はなぜかそう思うよね。私ももっと楽な楽しい人生があるんじゃないかって謎の希望を持っていました。道中で会う親切な人々を踏みにじるわけではないけど期待に応えない感じ、いかにも自由な若者の振る舞い。でも死んでまで追求する自由って何でしょう?結局は誠実に働いてつつましく生きるのが幸せだったりするんだよ、モナ。
モロッコの出稼ぎの人達が同じ事やったら、どんな映画になる?
自虐的『雌犬の娘』は、ゆるキャン△を甘く見ていた。
僕も学生時代にこんな事やっていたが、映画にはしてもらえないよね。
この映画のこの主人公が、こんな酷い目にあったのは、『フランスの貧困層の存在』と鑑賞者は見るだろうが、明らかに違う。それは想定内なんだが、だいたいの鑑賞者は、この少女の不器用さを哀れに思ってしまう。映像の魔術なのだろうが、そこに作為をどうしても感じる。
僕も同じ様な事を学生時代にやっていたが、『反感を買う』だけだった。しかし、反対に自由と孤独は満喫出来た。そして、それが楽しかった。つまり、『孤独も自由も半端に味わうものではない』と直に普通の人間なら分かるからだ。それをこの演出家は分かっていない。
『実話に基づく』とか演出家が生きていれば話すだろうが、複数の証言を組み立てて作った事じたい、フィクションの要素になってしまっている。つまり、作られた人の不幸で興行だけを狙ったストーリーと言う事になる。
この映画ならカンヌ国際映画祭は狙えるね!
そして、鑑賞者は学習した。カンヌ国際映画祭とはこう言った作品を作れば良いと。
とても面白い
よくこのような映画を作ろうと決めたものだ、すごい、と思った。普遍性が強く生じるような仕掛けになっており、彼女の過酷な道行きを映像表現として描く価値があると、作家として確信しているということなんだなあ、と。リアルに寒々しい風景と横移動撮影が目に焼きつく。
サンドリーヌ・ボネールはこの時まだ17、18歳くらいとのことだが、かなりアップでないと少女とわかリにくい感じ。ものすごく辛い目に合うが、真に迫っており胸が痛くなる。感電する教授は監督の心情を仮託しているのかと思う。
そして、肉食のヨーロッパ人の体臭は我々より遥かにキツイとよく聞くが、どの程度なのか非常に気になった。とはいえ「ポリエステル」みたいなオドラマ方式だったらと考えると恐ろしいが。
タイトルなし
妖精業も楽じゃないというか、妖精も人間であれば臭うし死ぬのである。/感電のシーンはちょっと笑った。/『WANDA ワンダ』ぽくもある。あと、有吉佐和子『悪女について』も思い出した。
その日食うのも困っているのに、食い物にありつけるとわかった否やお金...
その日食うのも困っているのに、食い物にありつけるとわかった否やお金はジュークボックスへ
彼女にとって音楽は何だったんだろう
そこまでして手に入れたい自由とは何なのか
反逆、自由などの言葉だけでは埋まりきらない感情が残る
なぜ一人でさまよっているのか
モナが亡くなる前、寒さに震えながら「お母さん…」とつぶやいてたこともあり、彼女がどうして「キャンプ」に出たのか、想像させてくれる描写でいいからほしかった。
こんな生き方をしたからあんな風に死ぬハメになりました、ではかなしい。
教授や畑仕事を世話してくれたモロッコ人など、臭くて我を通すとっつきにくいモナになぜか好意的な人も少数ながらいるのに対し、
教授の助手など徹底的に嫌う人、
羊飼いのように関わった結果軽蔑する人、
ヨランダのように嫌いになりきれず距離を置く人、がいて、
人間は2割に好かれ2割に嫌われ6割には何とも思われないという話を思い出した。
主人公の状況の類似からinto the wildを挙げる人もいるが、
あちらは目指すものが明確でそのために努力もしているのに対し、
モナは「楽したい」というのは一貫しているし、他人に媚びもしないものの、何を目指しているのか全く見えず、表現されたものだけから読み取ることもできず、
消化不良がある。
モナを語る人の中に「自由」で羨ましいと語る人もいたが、カチカチのパンをかじり、行きずりで関係を持ったり襲われたり、寒さに震えたり、
モナはひとつの場所にいないだけで、どこに行ってもいい反面、居場所がないということでもあるし、
モナは自由だ、とは描かれていなかったと思う。
不思議な映画だった
不思議な映画だった
主人公に同情させるでもなく、
どちらかというと、教訓的に進んでいく
自由を得るには、
引き換えに失うものが多いのだ
「WANDA」と鑑賞後感が似ていて、
どうにもならない人がどうにもならずに生きている
どうにかしたい、もなくて
ただ、どうにもならないことが続いていく
結局、社会なのかな
社会に混じれなかった人、
社会が混じることを許さなかった人、
そういう人を描く映画があることで
救われる人はいるんだと思う
実際、クリスマスイヴに観てる私とて
少しは救いになっている訳だし
とはいえ、ファーストシーンから衝撃的だし
ラストシーンだって悲劇でしかないですよ
個人的には、
教授と仲良くなっていく過程が見たかったりして。
それじゃ、ダメなんですよね
凍死体となって見つかった少女モネ。 彼女はなぜ死んだのか、彼女と交...
凍死体となって見つかった少女モネ。
彼女はなぜ死んだのか、彼女と交流した者たちの証言を通して描かれる。
キャンプといえば聞こえは良いがホームレス。
男性証言者たちのように危険、哀れに感じたが、
女性証言者のように自由に生きたことを羨ましがる視点もある。
不自由を被りながら死んだように生きるか、彼女のように刹那的だが自由に生きるか、人生はこんな両極端では無いが心に残る作品となった。
キリギリスが、正しく野垂れ死ぬ。
監督・脚本のアニエス・バルダは1929年生まれ。1970年代の退廃した若者文化を、壮年期に横目で眺めた世代。
フランスの片田舎の農業地帯で凍死した女性の日常を、彼女と関係した人々、目撃した人々の証言で綴っていくと言う記録映画的な建付け。狙いは、この年代の生き方に対する、一般世間の評価に客観性を持たせること。
証言や関係性は多様を極めます。自由であることへの羨ましさを口にするもの。興味から始まり、一定の共感を抱いたり、惹かれたりするものもいます。自らの価値観を押し付けて施しをしようとするもの。働くことを教えようとするもの。一緒に自堕落の限りを尽くす同類。利用しようとするクズの中のクズ。
もうね。多様です。一般世間の評価の多様性を反映しています。
でですよ。
もうね。当の本人と来たら、ボロボロのクズっぷりです。
楽して生きようとして、実際の享楽的な生活を送った女の子が、キリギリスの如く冬の農地で野垂れ死ぬ。全く同情の念が湧きません。哀れだと思いますし、少しは助けたくなるけれど。これは、どーもならん。
要するに、冷ややかな視線以外に感じるものが無い。
自由さや率直さと言う魅力はあっても、現実世界で生きて行くために必要な事は、他にあるし、それをおざなりにしたり他人任せにするってのは、明確に間違いだよ。って言う映画。
にしても、1985年製作でこの音楽はナシ。って、ずーっと思ってましたが、70年代に流行りながら完全に廃れた非音楽的な和声と旋律を、敢えて使ったのだと考えたりした。
冒頭はつまらなかったんですけど、途中、作者の意図が伝わって来てからは面白かったです。
今も、こんな若者、一定数は日本にもいますけどね。と言うか、古代から、いたんでしょうねぇ。様態は違えども。って思った次第です。
興味深かった。
とっても。
内臓に寒さが染み渡る
とある若い女性の最期の二週間を振り返り、時に彼女と出会った人のインタビューも交えるなどして描かれたドラマ。彼女のフィクショナルなドキュメンタリー。
冒頭からガツンとやられるのだが、進むにつれやるせなさがどんどん募ってきて、鑑賞後もずっと、静かに自分の中で色んな感情が重くのしかかる。出てくるキャラクターはいちいちリアル。思い出すにも気が重いが本当に見て良かった。良い映画。
アニエスの矜持たるや素晴らしい
Me Tooや人権の運動がここまでになったのも、バルダ監督等のちからが生きている。
その証拠に主人公の彼女がたとえ農地の中での垂れ死にだったとしても、この世に自
由や平等を上げる声は確実に根づきつつあり、決して哀れな女性の末路ではないから・・
ここ最近の女性監督の躍進もそのながれです。確実です
自由ということの不自由さ
自由でありたいと突き詰めれは突き詰めるほど、自由のようなものに心は捉えられてる手を伸ばしたその先で自由は雲を掴むように遠のく。
そして,もともと住んでいたところからどのくらい離れていたのかわからないけど、自由を求めて彷徨うにはその行動範囲があまりに狭くて堂々巡りにハマり,最初から見ていた農地の溝にて事切れてしまった。あまりにも痛々しくあまりにも鮮明な若さ、自由への渇望、やがてくる絶望。
農具や、農耕機や、固く乾いた土やモロッコ人移民労働者とら剪定する灌木。オブジェとしてアップで捉えられるものはあまりにも冷たく硬質で、自由を求める魂も肉体もあまりにも脆く弱々しい。
樹木の名前忘れてしまったが,毒素に侵された木を伐採する、立ち枯れる木もまた弱い肉体である。
木のお医者さんである学者さん(女性の教授)との出会いがモナと社会,世間をつなぐ心地よいひとときをもたらした,その後学者さんにおこる衝撃の出来事も,驚いたけど無機的ではない有機的な帰結。
お屋敷の持ち主の老女との楽しいコニャックのひとときも刹那的で老女もなに不自由ない富裕の暮らしをしながらこのコニャックとモナとのひとときを最後に老人ホームという不自由に追いやられるからモナと意気投合してのだろう。お屋敷の家政婦をしてボーイフレンドともなんとなく不安定な女性も,自由に生きるモナに惹かれてしまう。
羊飼いの家族の哲学者の男もやがて楽して生きたいモナに苛つき無口だが妻の方が需要していたように見える,他の家でも、学者さんほどではなくても女性たちはそんなに厳しい態度ではないように思えてそこも大事な目線かなと思う。
最初は威勢が良かったモナ。肌身離さず食料や大事なものを入れているバッグにはMのイニシャルが、社会とのつながりかってあったなんらかの家族とか自分の名前とか断ち切り難い関係性を見ているものに常に意識させる。
自由とは孤独なものだが,孤独は自由なのか。不自由な自由を頑なに強情に追い求める強いモナ。
自由がどんどん不自由になり、貧困の束縛となる。
深くにも男に襲われるところから,ローリングストーンのように転がりはじめる、このシーンで、若い男子がやはり究極の自由を追い求め挫折し絶望と死に至るInto the wildでヘラジカをしとめるが処理に時間がかかりうじが湧いて食べることもできず体力だけが無駄に消耗し絶望するシーンが想起されそれから頭を離れなかった。
この映画が公開された当初は見ていなかった。もっとちっさくて不甲斐ない感じだけど若さゆえ同じことを考え同じような行動もしたし、妄想もした。あのころこれを見ていたら行動は妄想となり妄想は活力となり、逆説的に不自由を選択して自由を部分的に享受しただろう。これをみなくてもそのような疑似体験や現実と非現実日常と非常の境界を自由に行き来できるものはさがせばたくさんあった。
今も不自由の自由を甘んじて生きる。自由の不自由ほど苛烈ではないから、、、
そんなかっこいいもんじゃない。
1985年金獅子賞受賞作のリバイバル上映。この時代のフランスとは一体どんな社会だったのだろうかとやや不安になる内容。
畑の側溝で発見された若い女性の凍死体。彼女は何故ここで命を落としたのか。彼女と関わった人々の言葉と共にここまでの道程を追ってゆく。
楽して生きたいと言う割に誰よりも困難な生き方をしているように見える。そもそも何故この若さで放浪しているのかが謎過ぎる。わがままで性格も悪い。共感も同情もできずにモヤモヤするばかりだった。この時代はこんな女性像がある種英雄視されたのだろうか。原題は「屋根も法もなく」らしいけど、法に逆らうことが必ずしも信念を持っていることとイコールではないと思う。少なくとも彼女のはただの堕落でしょう。死に方は可哀想だったけどね。
本当の“多様性”とは?
1985年の制作の私は全く知らなかった作品ですが、ネットで凄い作品という噂は聞いていたので観に行きました。
監督はアニエス・ヴァルダで私は昔に『幸福(しあわせ)』だけ観ていますが、これは傑作でした。
本作も確かに凄い作品だと思います。非常に心をざわつかせる作品でした。しかし、何が凄いのかを説明し難いし、感想を書くのも難しい作品でした。
でも、十代の多感な時期に鑑賞していたら、かなりの衝撃を受けたことは間違いない作品だったと思います。
そういう意味では、私の場合アメリカンニューシネマの作品群と同じ様なメッセージを持っていたのかも知れません。
近作で似たような類似作品を探すとすれば『イントゥ・ザ・ワイルド』や『ノマドランド』などを挙げられるのですが、全くテイストは違います。(そういう意味ではフランス映画ならではの作品なのかも知れない)
あちらの主人公には“信念”の様なものが作品の中で一貫していたので、理解しやすかったのですが、こちらにはそれが無い、というか分かり難い。
一見ただの浮浪者の野垂れ死にの様に捉えられなくもない死に方でしたが、それともちょっと違う何かも感じられました。恐らく“信念”とは別のものにつき動かされていたのだと思います。
こういう作品によく使われる単語として“自由”“現実逃避”“社会への反抗”“個人主義”等々の言葉が頭の中で飛び交うのですが、本作の場合はどれもピタっと当てはまらない様な作りに敢えてしている様な気配(計算)さえ感じられます。その辺りは『幸福』とも共通する作風です。
なので、鑑賞するにも相当なインテリジェンスを要する作品なのだと思えますし、私も言語化出来る自信は全くありません。
ただ直観的に、人間の真実というのか社会教育される前の人間の根幹に元々ある何か大切なものを生きることにより消失されるのを描いていた様にも感じられました。
なんだか、キリキリと胸が痛む作品ではありました。
これは誰にでもお勧めできる作品ではありませんが、馬鹿みたいに“多様性”という言葉を使いたがる人達には本当の“多様性”の意味を考えるうえでも観ておくべき作品だと思いました。
自由とは何か
現代では言うと「ノマドランド」なのでしょうか。
しかし社会を見つめる様は冷徹でありリアリスト。オープニングとエンディングが繋がるのに、見方がガラッと変わるあたりが、見事な演出。
新聞でたまに見るホームレスの死を見ていて、ここまでダイレクトに社会を反映させて見れただろうか?
やはりヌーヴェルバーグは凄い
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