劇場公開日 1995年12月1日

「リスペクトを込めてベートーヴェンを描く」不滅の恋 ベートーヴェン きりんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0リスペクトを込めてベートーヴェンを描く

2022年11月16日
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鑑賞方法:DVD/BD

ベートーヴェンの「田園」については、こんな楽しい思い出がある。
農地が広がる田舎の村に住んでいた頃、「田園」のレコードをかけると1羽のヒヨドリがどこからともなく飛んできて3階のベランダのアンテナにとまり囀る(さえずる)のだ。

これは一体どうしたことか?
たまたまかと思ったが翌日も来る。
その翌日もレコードをかけるとやって来る。
信じられない思いで家族に知らせてその様子を見せた。

日の光と吹き渡る風に乗って、胸を張って、なんと輝かしくもあのヒヨドリはベートーヴェンに合わせて声高らかに歌うのだ。
これが一週間続いた。

「田園」第1楽章にベートーヴェン自身が付けたソネットは《田舎に着いた時の楽しい気分》だ。
たくさんの小鳥のさんざめきも楽譜に織り込んで、ベートーヴェンはこの瑞々しい第6交響曲を開幕させる。

♪ ♪ ♪

耳が聞こえないとはどういうことか、
それについては「ザ・トライブ」のレビューにすでに触れた。

モーツァルトが けたたましく笑ったあの映画「アマデウス」とは異なり、終始エキセントリックな本作のベートーヴェン像を、カメラは追っている。

中途失聴は辛かったろう・・
「彼は繊細過ぎたのだ。
より鋭く磨ぎすまされた剣こそ
時として もろく折れやすいように」。
(埋葬の場面での追悼辞)

♪ ♪ ♪

【使用曲】
交響曲 5「運命」作品67
ミサ・ソレムニス 作品123
ピアノソナタ 8「悲愴」作品13
交響曲 7 作品92
ピアノソナタ 14「月光」作品27-2
ヴァイオリン協奏曲 作品61 Vn.ギドン・クレーメル
ピアノ協奏曲 5「皇帝」作品73
交響曲 3「英雄」作品55
交響曲 5「運命」作品67
ピアノトリオ 4 作品70-1 ヨーヨー・マ他
ヴァイオリンソナタ「クロイツェル」作品47
交響曲 6「田園」作品68
「エリーゼのために」 Pfマレー・ペライア
(ロッシーニ)オペラ「泥棒かささぎ」
交響曲 9 合唱付き 作品125
弦楽四重奏曲 作品130 ジュリアードSQ

そしてエンドロール
ピアノ協奏曲 5「皇帝」作品73

♪ ♪ ♪

ピアノソナタ「月光」を
ピアノに横顔を押し当てて、聴こえない耳で、“骨伝導”で、自作の「月光」を聴く姿。
嗚呼、汝ルードヴィッヒ、
あの姿は、誰も見てはならない彼のプライバシー。秘して隠されるべきものだった。
いいシーンだった。

この映画のために録音をし直したという指揮者のゲオルグ・ショルティも、そしてピアニストのマレー・ペライヤも、
それぞれの演奏は真摯で篤い。
『楽聖』ベートーヴェンの胸像に、彼ら演奏者たちもじっと耳を押し当てて、偉大な作曲家の声なき声を黙して聴いているようだ。
そうやって聴こえぬ耳のベートーヴェンの心音を、彼らも魂で聴き取ろうとしているように思われる。
― それが判る、どれもこれもが素晴らしい演奏のサウンドトラックだった。

♪ ♪ ♪

ベートーヴェンはたくさんの書簡を残しており、日記もあったようだ。それらを読んだことはないが、劇中の彼の台詞にはそれらの言葉が散りばめられており、それが物語の牽引役に用いられていたのだろう。

第九の「歓喜の歌」にまさかの子供時代の虐待の傷を重ね、そこから走って逃げる光景は胸が痛い。
解放と慰めの宣言として、ベートーヴェンは高らかに、そして温かく自らの傷(トラウマ)からの癒しのために、あの大合唱を歌って聞かせていたわけだ。

ベートーヴェンは「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれるものを書いてるし、晩年この第九発表前の10年ほどは作曲も演奏もしていなかった。やはり精神を病んでいたのだと思う。

彼の周囲で傷つけられた女性たちを何人も登場させ、しかしそれでも彼女たちがベートーヴェンの音楽に惹かれるがゆえに、女たちはベートーヴェンを赦し、受け入れていった様がこの映画の肝だ。

でも、素材と音楽がピカ一なだけに、人間関係のわかりにくさを招く脚本の散漫さは、少し残念であったが。

「私の苦悩は貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない」
(ロマン・ロラン著「ベートーヴェンの生涯」)
この言葉が映画の不足を補って余りあるベートーヴェンの述懐であろう。
自身の苦しみから紡ぐベートーヴェンの人生と音楽。
慰めの音楽が、骨伝導で伝わってくる映画。

きりん
きりんさんのコメント
2022年11月25日

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