ふたりのロッテ(1993)のレビュー・感想・評価
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実は双子
ルイーズの母親は広告代理店勤務。大人しくて泣き虫。最初、みんなからは嫌われていた。一方のチャーリーはオテンバ娘。緊急停車ロープを引いて列車を止めるなんてことも・・・
ミドルネームが同じロッテだとわかり、互いの親は愛し合っていたのだと確認。みんなの前で双子であることを見せつける。ルイーズは父親に会ったことがないし、チャーリーは母親をチラリと見ただけだった。そこで、2人が入れ替わってそれぞれの本当の親に会う計画を立てるのだった。
3週間のサマースクールを終え、入れ替わって互いの家に向かう。チャーリーの父は劇団のプロデューサーで音楽家。しかし劇団は公演の危機。いいストーリーを書けばいいのだが。彼女たちは父の昔作った曲を音楽に困ってた母親と広告代理店社長に送り、なんとか仲直りさせようと努力する。母親が娘がルイーズではなくシャーロットであると気づく瞬間で泣いてしまった。
大人たちは複雑。子供たちが大の親友になるのに、10年前の関係に戻るのは不可能だ。チャーリーとルイーズはベルリンを抜け出し、スコットランドへ逃げる。
ラストは急過ぎて、じっくり味わえない予定調和であったが、それでもほんのりと感動できる良品。
嘘に嘘を添えて
スコットランドにいるチャーリーとルイーゼに、それぞれの両親から手紙が届く。2人は灯台で手紙を交換し、ルイーゼは父ヴォルフの音声メールを聴き、チャーリーは母ザビーネの手紙を読んでいる場面。ルイーゼは言う、「聞いてよ、「おれのただ1人のチャーリー My only Charlie」だって。この嘘つきめ。」「この嘘つきめ So ein Luegner!」という言葉には、もちろん、愛情が込められている。ところで、嘘という言葉は、4人がレストランで10年ぶりの再会を果たしたあと、ふたたび4人で一緒に暮らしたいという娘たちが両親に要望する場面にも出でくる。チャーリーが「ずっと私たちに嘘をついてきた angelogen」と言って、両親をなじるのである。
両親は離婚したあと、娘には双子の姉妹がいることを言わなかった。全体としては、嘘をついていたというよりは、黙ってたというほうが正確かもしれない。しかし、親は娘に、別れた配偶者はオーストラリアにいると言っていたところは、明確な嘘である。これは示し合わせたものであろうか。オーストラリアのような遠くにいると言っておけば、子どもが親を捜しに出かけるのは防ぐことにはなるであろう。
この「嘘」は、娘たちが偶然にも出会うことによって、嘘であることが明らかになる。そして、娘たちはこの嘘に対して嘘で対抗する。というよりは、両親たちの嘘に話を合わせただけかもしれない。すなわち、チャーリーはルイーゼとして母の許に、ルイーゼはチャーリーとして父の許に、「一人娘」として帰ったのである。これは、明らかになった真実を真実として確認し、自分たちが引き裂かれた経緯を調べ、そして、家族4人がふたたび一緒に暮らす可能性を探る必要があったからである。
実際、ルイーゼはヴォルフの家を片づけているときに、4人が写っている写真を発見した。これが物的な証拠となった。また、チャーリーは、火災報知器事件の直後に、離婚した事情を母を問いつめている。「愛し合っていなかったわけではないが、まだ2人は若かったから」というのがその答えであった。ヴォルフの家は彼がザビーネと暮らしていた家でもあったが、ルイーゼがこの家を片づけて以前のようにすることによって、ヴォルフは若い頃に作曲した曲を思い出して弾く。ヴォルフの口から「あの頃は幸せだった」という言葉が漏れ、ルイーゼは「ママと一緒に過ごしていたときのこと?」と訊く。娘たちは愛は失われていないことを確信する。
娘たちの「嘘」はチャーリーがその曲を母に聴かせ、そしてレストランで4人が再会することにより、ばれる。自分の娘に十分な時間をとっていない親たちは、双子とはいえこれほど性格や生活文化が異なる2人の娘が入れ替わっていることを見抜けなかった。両親のこの負い目を突いて、娘たちはふたたび4人で一緒に暮らせるように、両親に訴えるのである。
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