8 1/2のレビュー・感想・評価
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フェリーニしか作れない映画
やや難解だが簡単に言えば、フェリーニ自身を投影したかのような主人公の女性遍歴や子供の頃の回想と次回作に苦悩する姿の話。特に盛り上がるような場面もなくて、やや退屈で眠くなってしまったが、最後に主人公が自殺した後のグランドフィナーレになったときにあまりにも素晴らしい映像で飛び起きてしまった。
エキストラを含め登場人物の計算し尽くされた動きを追うカメラワークはさすがフェリーニである。
心に浮かぶ思い出を広げたサーカス的自叙伝
芸術的な作風の映画監督は、なかなか大変なのだろなと。若いうちは創造的な力も旺盛だろうが、歳を取る度にその泉は枯渇していく。8と1/2番目の作品ともなれば、成熟に差し掛かって大成する頃。自叙伝を作るには、少々早い感じがするが43歳の作品らしい。
映画監督に降りかかってくる、様々な雑事、売り込んでくる俳優、媚を売ってくる女性等、フェリーニが体験したことを時制を無視して、突っ込んで映像化している感じだ。
新しい映画の製作に取り掛かろうとする場を扱っているのだが、現場のゴタゴタ、批評家を黙らせるような映画にならない焦り、周囲に女性が多いことからくる妻の嫉妬と不機嫌、
愛人の存在がバレる、本当に気に入っていた女性の到着等が監督に襲い掛かってくる。
そこに、幼少期の頃の彼の原体験ともいえる恥ずかしい思い出なども挟まったり、宗教的な教義やら性的な蘊蓄やら、しっちゃかめっちゃか。
彼には、哲学的、芸術的な確固たる信念のようなものがない故の脅迫観念があったのだ。それに悩み、そこから脱するために女性に救いを求め、得られない。気づいてみれば、乱痴気騒ぎのようなカオスの状態。そこでハタと気づく。このまま無理に作っても意味がない。
自分自体の今までの人生を隈なく陳列をすれば、サーカスみたいなもの。様々な人やらものを引っ張ってきて、何でもあり。それこそが自分なのだと。全体が輪のようになって、サーカスの見世物のように踊るシーンは、上手くまとめたものだと感心をした。
芸術家だけが見ることができる心象風景であり、それを映画にしたのだと思った。心に強く残る作品というよりは、芸術性が高い、稀有な作品だと感じた。
何でも詰め込んだ感じが、宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」に、似ているなと思った。
監督の妄想の中で究極的に美化された女神の様なクラウディア・カルディナーレと大団円的なラストが印象に残った
フェデリコ・フェリーニ 監督による1963年製作(140分)のイタリア・フランス合作映画。
原題:Otto e Mezzo、配給:コピアポア・フィルム、日本初公開:1965年9月26日。
フェリーニ監督作品は過去幾つか見ていたが、傑作として有名な本作は未見であった。
一回目視聴では、何だコレは、つまらないという感じであった。その理由としては、訳分からない感と、幾つかのショットの既視感が有り、物語的にも寺山修司監督の「田園に死す」(1974)や庵野秀明監督の「式日」(2000年)との類似性があった。ただ真実は勿論、こちらが本家で、後の作家によりさんざんに真似をされたということなのだが。
ただ二回目視聴では、自分でも意外であったが、この映画に何故か愛しさの様なものを感じた。まず、映画の中でも語っていたが、真実っぽいというか、自己開示の大きさに、相当に驚愕。監督自身の映画創作アイデアの枯渇、夫婦間の隙間風や不仲、妻への家政婦的な期待をあからさまに表現していて、ぶっ飛び。更に、愛人や友人の恋人、通りすがりの人妻への欲望やハーレム志向があからさまに描かれていて、そのあからさまな表現の特異性に唖然。
更に、恋愛映画が造れない、エピソードの単なる羅列、ノスタルジックなだけの思い出の挿入などなど、まさにこの映画がそうだが、自己の映画への批判が自虐的?に散りばめられていて、驚かされた。挙げ句の果てに、監督の願望そのものというか、辛辣な評論家を絞首刑にしてしまう。なんて自分の気持ちに正直な!と、ある意味、感心もさせられた。
ただ、監督の妄想の中で究極的に美化された女神の様な存在クラウディア・カルディナーレ(見ている方も彼女に陶然とさせられた)と、現実の女優としての彼女のギャップも描かれていた。そして、監督が苦悩の末にやっと辿り着いた開き直りの様な映画製作への境地(混乱し矛盾した様な自分流映画作りで良い)や台詞「人生は祭りだ。共に生きよう」のせいか、ニーノロータの音楽のせいか、何故か感動させられてしまった出演者たちの手を繋いでのフィナーレ。そこには彼女の姿は無く、計算尽くされた様な演出・脚本上の手管も意識させられた。
しかし、監督の魔法に騙されているかもしれないが、あの映画の中でロケット発射台と言われていた大規模セット、あれを見ると、監督は本当に別の映画作りを目指していたのか、とは思わされた。最後を、監督自身をモデルとする子役の映像で終わるのは、誰もが有する個人史を思い出させ、上手いなとは思った。
監督フェデリコ・フェリーニ、製作アンジェロ・リッツォーリ、原案フェデリコ・フェリーニ 、エンニオ・フライアーノ、脚本フェデリコ・フェリーニ 、トゥリオ・ピネッリ、 エンニオ・フライアーノ 、ブルネッロ・ロンディ、撮影ジャンニ・ディ・ベナンツォ、美術ピエロ・ゲラルディ、衣装ピエロ・ゲラルディ、音楽ニーノ・ロータ。
出演
マルチェロ・マストロヤンニグイド・アンセルミ、アヌーク・エーメルイザ、サンドラ・ミーロカルラ、クラウディア・カルディナーレクラウディア、バーバラ・スティール、
マドレーヌ・ルボー。
女神カルディナーレ
正直で嘘のない映画をつくろうっていうのなら、やはりああいうことになるのだろうね。
名作の誉高い作品をようやく鑑賞したが、構図の見事なカメラワークやクラウディオ・カルディナーレのこの世のものとは思えないのになぜか庶民ぽさも感じる美しさが印象に残っただけで、自分には受け付けない映画だということがわかった。
ハーレムも考えものだな。あんなに面倒くさくてイラついて、自分のダメなところを見せつけられるなら、一人でいた方がずっといい。結局、とてつもない寛容さと、マメさがなければ、自分に正直になんて生きられないのか。
微妙な感覚の映像化
あらすじ
映画監督であるグイドは、新作の構想に頭を悩ませている。実績もあり、次回作が期待されているものの、新しいアイデアはうまくまとまらず、関係者の意見も厳しい。
そんな時、グイドは体調が思わしくないことから保養地に滞在するよう医者からのアドバイスを受ける。妻のルイザを残し、その場所で映画の構想を練る。その地での逢瀬、幼少期の回顧などに着想するが、どれも受けは良くない。疲労していくなか、家に残るルイザを保養地に誘うことにした。夫婦の間には溝があり、原因はグイドの不貞である。グイドのもとには過去に関係のあった女たちが次々現れ、夫婦の溝は顕在化することとなる。同時にグイド自身が、どの愛をも信用できていないことに気付く。
制作途中の映画の大掛かりな舞台セットは完成間近である。しかし続く物語は相変わらず決まらない。いよいよテーマを決定しなければならないが、結局4つの候補はどれもボツ。セットは不要となり破壊することとなった。しかし、制作中止となった時、自身の混乱の原因が、自身のこれまでの過去の無秩序にあったことに気づき、それを救うものは妻のルイザの存在であるように思われた。そのことが彼に映画製作の情熱をかき立てる。
感想
まずは、難しいというのが率直な印象。彼自身の混乱というものが描かれていると分かるまで、これは一体なんの映画なんだろうと思ってしまいました。けれども、現実とその現実から知らず知らずのうちにかけ離れ妄想の世界に入り込んでいく、そんな個々人が無意識に経験しているであろう感覚を見事に再現・表現しているようにも思います。
妄想(回想)シーンでのストーリーの進み方は特に面白いと思いました。かなり誇張された登場人物の語りや、人物表現。サラギーナが出てくる幼少期の回想などは、神学校の彼がマントを被った姿で描かれますが、そのフォルムの可愛らしさなどもすごく目を惹きます。サラギーナとの接触を嗜める大人たちの姿をなど、観ていて美しいなと思うシーンが多いのが、この時の回想でした。白黒映像の良さというのも感じます。
「人生は祭だ。ともに踊ろう。」というセリフはこの映画にとっておそらくかなりキャッチャーなものだと思いますが、妻への想いを新たにしたグイドの言葉です。そういうと、彼の人生における過去も現在も含めた登場人物たちが手をつなぐなかへ、2人も飛び込み踊るのです。印象的な言葉と映像です。
これをどう解釈していいのか、早く解説が読みたいと思っているのですが、その前に思っていることを書いておきたいと思います。
妻も含め、過去の人たちの輪に入るということは、現在の自分たちとその人たちを、同列化するということのように見えます。つまり、彼はそれまで様々な女性との愛を語りながら、じつはそのどれもに真実を見ていない存在でした。そのことに彼自身が過去のしこりのように感じていて、遠ざけたいものと思ってしまっていたのです。しかしそのことで、彼は却って囚われてしまう。彼の映像製作もそこから抜け出せないのです。
過去の人物と、今の自分を同列化することは、そんな垣根を壊し、意識が分散することなく、今の自分たちに向けられていくということを表してるのかなと思いました。そしてそのことはとてもポジティブなことです。人生は祭、とはとても良い言葉ですね。
とりあえずこんなこと書きましたが、多分これから何度か観て、またいろいろな感想を持つと思います。
とても退屈
ハッとする場面がちょいちょいあって気が抜けないのだけど、全体的には退屈で、物語のフックが弱いし、主人公に魅力を感じない。距離を置きたいリアルな女しか出てこない。主人公に魅力を感じたり共感できればずっと面白いのかもしれない。ただ、ずっといつか見なければと思っていたのでようやく気が済んだ。
深く考えずにさらっと観た方がいい
難しい。長過ぎて途中で別の事をしていたりして、結局何度も何度も観てしまった。それでこの映画は物を創作する人の苦悩を描いた映画なのかな?と思った。それと主人公の女好きによる別の悩みもその苦しみを大きくする。信頼できる人がいないのだ。過去の想い出と満たされない現実と欲求と失望が入り乱れた映画。類似する映画はそうないだろう。「道」も昔観たことがあるが内容が記憶にないくらい面白くなかった。これはそれより面白かったと思う。
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