「微妙な感覚の映像化」8 1/2 kさんの映画レビュー(感想・評価)
微妙な感覚の映像化
あらすじ
映画監督であるグイドは、新作の構想に頭を悩ませている。実績もあり、次回作が期待されているものの、新しいアイデアはうまくまとまらず、関係者の意見も厳しい。
そんな時、グイドは体調が思わしくないことから保養地に滞在するよう医者からのアドバイスを受ける。妻のルイザを残し、その場所で映画の構想を練る。その地での逢瀬、幼少期の回顧などに着想するが、どれも受けは良くない。疲労していくなか、家に残るルイザを保養地に誘うことにした。夫婦の間には溝があり、原因はグイドの不貞である。グイドのもとには過去に関係のあった女たちが次々現れ、夫婦の溝は顕在化することとなる。同時にグイド自身が、どの愛をも信用できていないことに気付く。
制作途中の映画の大掛かりな舞台セットは完成間近である。しかし続く物語は相変わらず決まらない。いよいよテーマを決定しなければならないが、結局4つの候補はどれもボツ。セットは不要となり破壊することとなった。しかし、制作中止となった時、自身の混乱の原因が、自身のこれまでの過去の無秩序にあったことに気づき、それを救うものは妻のルイザの存在であるように思われた。そのことが彼に映画製作の情熱をかき立てる。
感想
まずは、難しいというのが率直な印象。彼自身の混乱というものが描かれていると分かるまで、これは一体なんの映画なんだろうと思ってしまいました。けれども、現実とその現実から知らず知らずのうちにかけ離れ妄想の世界に入り込んでいく、そんな個々人が無意識に経験しているであろう感覚を見事に再現・表現しているようにも思います。
妄想(回想)シーンでのストーリーの進み方は特に面白いと思いました。かなり誇張された登場人物の語りや、人物表現。サラギーナが出てくる幼少期の回想などは、神学校の彼がマントを被った姿で描かれますが、そのフォルムの可愛らしさなどもすごく目を惹きます。サラギーナとの接触を嗜める大人たちの姿をなど、観ていて美しいなと思うシーンが多いのが、この時の回想でした。白黒映像の良さというのも感じます。
「人生は祭だ。ともに踊ろう。」というセリフはこの映画にとっておそらくかなりキャッチャーなものだと思いますが、妻への想いを新たにしたグイドの言葉です。そういうと、彼の人生における過去も現在も含めた登場人物たちが手をつなぐなかへ、2人も飛び込み踊るのです。印象的な言葉と映像です。
これをどう解釈していいのか、早く解説が読みたいと思っているのですが、その前に思っていることを書いておきたいと思います。
妻も含め、過去の人たちの輪に入るということは、現在の自分たちとその人たちを、同列化するということのように見えます。つまり、彼はそれまで様々な女性との愛を語りながら、じつはそのどれもに真実を見ていない存在でした。そのことに彼自身が過去のしこりのように感じていて、遠ざけたいものと思ってしまっていたのです。しかしそのことで、彼は却って囚われてしまう。彼の映像製作もそこから抜け出せないのです。
過去の人物と、今の自分を同列化することは、そんな垣根を壊し、意識が分散することなく、今の自分たちに向けられていくということを表してるのかなと思いました。そしてそのことはとてもポジティブなことです。人生は祭、とはとても良い言葉ですね。
とりあえずこんなこと書きましたが、多分これから何度か観て、またいろいろな感想を持つと思います。