「映画化された自由連想・箱庭的なもの。」8 1/2 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
映画化された自由連想・箱庭的なもの。
よくぞここまで己の内面をさらけ出したものだ。
尤も、映像や音響等他の人の手が入っているので、無意識の世界というより、ち密に再構成・再創造された表象の世界である。とは言え、その表象世界におけるそれぞれの布置等と考え出すと、興味をそそられてのめり込んでしまう。ひっくり返ったおもちゃ箱。
監督はユングに傾倒していたとか。ユング心理学や夢分析の知識でもあればさらに楽しめるんだろうな。
ミュージカル・映画『NINE』の原作。
難解。
映画『NINE』の方がミュージカル仕立てという特性もあってメリハリがはっきりしていてまだ解りやすく作っている。しかも『NINE』はハリウッド映画で有名どころがたくさん出演していらしたから人物を取り違えることは無かった。
けど、こちらは古いイタリア映画だけあって、インパクトある俳優以外は皆同じに見えてきて、1回見ただけじゃ把握しきれない。相当予習が必要かも。
かつ、飛ぶ鳥落とす勢いの監督グイドに群がる人・人・人。常に騒がしい。
かつ、グイドの現実・願望・妄想・思い出が入り混じる。どこからが現実でどこからが内的現実なのか定かではない。
スランプになった監督の悪あがき。人間関係も行き詰っている(こっちは自業自得だが)。
ものすごく身につまされる。
今までとこれから、周りからの期待と自分らしさの狭間で、押し潰されそうになっていた私には珠玉の台詞が満載。重苦しいべたべたとした雰囲気が、最期に少しだけ軽くなった。断捨離って必要ですね。
(自死を匂わせるシーンもあり、そういう解釈の方もいらっしゃることを考えるとぞっとするが、自殺のシーンが妄想・断捨離のある意味の比喩と、私は解釈)
これだけハチャメチャなのにもかかわらず、映画と成立しているところがすごい。他の映画なら時間返せと叫ぶのに、この映画からは何故か目が離せない。落としどころをどうするのかがすごく気になって、最後まで見てしまう。
女性のファッションも真似したいものから、反面教師的なものまで。
役者の所作だけでも見応え有る。
特筆すべきは、主人公にマストロヤンニ氏を起用。
『ひまわり』のようなシリアスなものから、『ああ結婚』のような喜劇役者までこなせる役者。
この映画でも、『ああ結婚』でも、女にだらしない自己中人間を演じながらも、徹底的な嫌悪感を抱かせない色悪を演じられる方。
超セクシー・かっこいいマストロヤンニ氏のあんなカッコが見られるなんて(ブブッ)。
スランプを扱っているにもかかわらず、重すぎない、でも、上記のような自死を匂わせる危なさをだせる役者。
つい放っておけなくて、グイドの顛末を見届けたくなる。
そして音楽。
『アマルコルド』と似た旋律もあるが、どちらもロータ氏なのでご愛敬。
見る人を選ぶ映画。合う人と合わない人がはっきり分かれる。
語り合いたくなる映画だが、お勧めしにくい。
分かり易さで言うなら『NINE』の勝ち。
蛇足と見るかはともかくとして、『NINE』はグイドが悔い改めて再生まで見せてくれるし。
でも分かり易いってことは「分けて」「整理する」こと。分断してラベリングする必要がある。リメイクなら、リメイクした監督によって整理されラベリングされている。
そこには混沌の中から、自分なりの宝石を見つける楽しさも、思いがけないものを組み合わせて生み出す楽しさもなくなる。
きちんと整理されている心の部屋は、心地良いし、利便性が高いが、錬金術的反応は起こりにくいし、アドベンチャー気分も味わいにくい。
何もかもを大事に抱えていると動けなくなるが、整理することで取りこぼすものも出てくる。何が必要で何を捨てるべきかは自分で決めるもの。私の人生なのだから。
どちらがお好みかは正解は無く、個人の嗜好の問題。
どうやら私は、整理された世界より、様々なものが行き交う世界が好きなようだ。
そしてそんな世界の中から宝物を探したくて、幾度となくこの映画を観てしまう。