劇場公開日 2015年11月21日

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「商業主義じゃないから心が温まる。」放浪の画家ピロスマニ Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0商業主義じゃないから心が温まる。

2025年5月29日
PCから投稿

1969年作で白黒版を観ている。ピロスマニ(1862–1918)の放浪的で、スポンテニアスな生活が想像力/創造力を醸し出す力になっているのがいい。それに、トビリシではすでに知名度が高い画家(時々ペンキやの仕事もする)だから、食事やワイン(?)と引き換えにレストランに壁画を書かせてもらっている。ピロスマニ(Avto Varazi 主役の彼も画家であ
り、芸術家らしい)の素朴さや強引じゃない人柄を知ってるせいか店主たちはさーっと食事を彼に出す。彼は自分の描いた作品に関しては、牛を赤くしなかったように自分の嗜好を譲らない。好きな作品だ。
しかし、1969年のジョージアの映画界を知らないからだが、次から次へとシーンが動くので、場面の切り替えに私の頭がついていってない。
それに、言葉が古い。例えば、『Tiflisに行く』といいうからどこかと思って後で調べたら、今の首都であるTblisiトビリシの旧名なんである。ちょっとしたことなんだけど、私は、時代・文化・地理など背景が気になる人なので、古い映画は大変だが、新鮮で映画鑑賞の意欲を高める。

映画は最初からジョージア正教の聖書朗読から始まる。この内容がこのストーリーにどんな意味を持たせるか私にはわからない。ピロスマニは多分、宗教熱心のなんだろう。ストーリーの最後はピロスマ二の死期が近づくが復活祭に連れて行かれるシーンで終わる。宗教色の強い映画で、キリストが蘇った復活祭だからといって、教会にピロスマニを連れて行くようだが、最後にここでピロスマニの絵画や本人自身も復活するように思わせる。
人々の言葉(言葉の使い方)もだし、復活祭もだし、ジョージア正教は人々の生活の中に宗教文化として入り込んでいるようだ。

例えば、ピロスマニが家族を去りトビリシに行くシーンだが、おばさんたち(姉妹?)がセント・ジョージがついていると神の賛美を与えるが、これがグルジアからジョージアに名前を変える殆ど大切なセイントなんだなあと感じた。しかしはこれは誤解でグルジアの英語読みがジョージアだと検索してわかった。あと、検索で分かったことだが、ピロスマニだけでなく、主役Avto Varaziをはじめとして、のちに著名になる芸術家もこの映画に出演しているので、希少価値の作品らしい。

Dodo Abashidzeー監督、俳優ー晩餐にいた一人。
Aleksandre Rekhviashvili 監督、脚本家ーピロスマニの絵画に興味を持って、彼を探し求め、看板書きをしていたピロスマニと初めてあった役。

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