ひまわり(1970)のレビュー・感想・評価
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最後の最後にタブーは守られた。
『ひまわり』(1970)
NHKBSプレミアムで放映のイタリア・フランス・ソ連の合作映画との事。一面いっぱいのひまわり畑の映像で始まる。ヘンリー・マンシーニだそうだが、その音楽も冒頭からその映像と共に印象強いものだった。格調高い雰囲気なのだが、ちょっと調べながら書くと戦争で引き離された夫婦の話らしい。結局夫婦になったようなので救われる気もするが、恋人時代というべきか、会ったばかりの時期か、浜辺で砂浜の上で性行為してしまう所はいただけないシーンである。こうしたシーンのために、私のこの映画への評価は著しく下げるが、そういう評価スタイルの私である。だが夫婦になったから、少し評価を戻すか。性行為も衣服をきた前後の場面しか映してはいないが。男はプレイボーイを気どり、20人も女がいるとかいないとかいう話で喧嘩になるようだが、これを書いていて字幕が少しとんだ。しかし結局結婚した。この夫婦役が、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンらしい。結婚12日間休暇がとれて、戦争に行かなくてよいとかなんだとかの影響があって、それを利用したらしい。よくわからない。ネットで調べながらでもよくわからないが、恋愛感情はあって楽しそうである。始まりはコメディな感じもある。調べるとマルチェロの実生活もプレイボーイでわけがわからかったらしい。まだ名前を知る程度だが、カトリーヌ・ドヌーブが愛人の一人で子供も出来てしまっていたそうだが、こうした人だからソフィア・ローレンとも実際の性行為もあったのかも知れない。共演が多かったらしい。とても評価できるものではない。ヨーロッパの現在はどうなのか。そんな性の悪い意味でのいい加減さが、戦争という悪事によって薄められているのが、だいたいの世界の推移である。どこでもそうだった。そんなことを思っていたら、なぜか夫が逮捕されてしまった。と思ったら調べたら徴兵回避のために精神病と偽るための夫婦の芝居だったらしい。監督のヴィットリオ・デ・シーカというのは、『自転車泥棒』の監督だったのか。これはずっと前に観た記憶があるが、記憶は薄れた。貧乏の辛い話だったと思う。そして夫は出兵する。夫婦の別れのシーンである。夫婦なら抱き合おうがキスし合おうと構わないだろうし、夫は戦争先で死んでしまうかも知れないという別れの場面である。短いシーンだったが、思えば辛いシーンである。ここは全くの夫婦になっていて、コメディでもない。そして、夫が無事帰ったかどうかの列車のシーンにすぐ移る。妻や家族たちは夫の写真をかざして、消息を帰った兵隊たちから聞いてまわりもする。妻は、一緒に夫といたという戦争から帰った男から、その時の事を聞く。極寒の雪のシーン。場所はソ連なのか。小屋でいっぱいの兵隊たちがぎっしりといっぱいに立ちながら寝ている。行軍中に疲労でへとへとで、夫は倒れて、話を始めた男に抱きかかえられて歩くが、また倒れて男は先を行く。壮大な音楽が強く流れている。このシーンで夫は死んだことがうかがわれる。夫の他にもかなりの人数が倒れていた。妻は置き去りにした男に怒り出す。男は他の誰かが助けたかも知れないと言い残し去った。義母の老母が妻を訪ねるシーンがあり、その後、妻が重い鞄を下げて街中を歩いている。何処かを探している。ここで流れる音楽も壮大だ。エリートビジネスマン風の男となぜか「外国貿易省」のあたりで待ち合わせして列車に乗る。男は官僚か。広大な一面ひまわり畑に来る。一体何なのか。男の説明によると、こうした畑の下には大勢の兵士などの死体が埋まっているのだという。だが妻は夫はこの下にはいないと否定する。妻は夫の安否を訪ねに旅に出たようだ。木造の十字架の墓を妻が歩く。男は、生き残ったイタリア人はいないから諦めてくださいと説明する。妻は信じない。場が切り替わり、妻はサッカー場にいる。目が何かを探しているようだ。
しかしすぐ出る。少し夫に似たような男をカメラが追う。妻の目線だ。妻は男の後をつける。イタリア人ねと聞くが、違うと応じらて終える。とおもうとまだ追う。ストーカ―的である。一体何なのか。追い付いて夫を探しているのだと言う。夫に似ているわけではなかったみたいだ。イタリア人だから追ったようだ。とうとう男は、イタリア人と認めたが、今はロシア人だという。理由は話せば長くなるという。結局夫は知らなかった。まだ妻の夫を探す旅は続く。道行く人じゅうに聞きまわる。イタリア人が近くに住んでいると道案内してくれる現地のおばさんたち。家には若い女が洗濯物を取り込んでいた。妻は若い女に夫の写真を見せると、若い女は意味ありげな表情を見せ、小さな女の子が出て来る。もしかしたら夫は若い女と暮らしてしまい、女の子を産んでいたのだろうか。わざわざ家に入れるのだろうか。わからない。少しサスペンス気味だ。女は妻に話し出す。大勢倒れている中でなぜか若い女は夫を選び出し、雪の中で倒れた夫を助け出す。なぜ夫を選んだのか。なぜ若い女が助けに来たのかさっぱりわからない。しかし、夫のアントニオは若いロシア人女性と結ばれて子供を産んでしまっていたのだ。もはや前妻のようになってしまった妻のジョバンナは、アントニオを若い妻の案内でホームで再会するが、アントニオの少し驚いた表情のところを、涙を流しながら汽車に飛び乗り、去る。この映画の一番の主題だろう、戦争で引き離されていた間に、夫は別の女性に助けられて、その女性と子供を産んでしまった。なぜ夫は妻の元に帰らなかったのか。
なぜ若い女が夫だけを助けたのかは不明だが、帰宅した妻は怒りで家の中のものを壊し続ける。
どうして夫は妻を裏切ってしまったのか。記憶喪失ではなかったらしい。まさか死んだと思って妻が訪ねては来ないだろうと思ったのか。妻よりも美貌で若い女に移ってしまったか。若い女は、リュドミラ・サベーリエアという、ロシアで有名な美人女優が演じたらしい。ネット時代以前では調べるのはかなり困難だったが、今じゃすぐだ。シーンが変わり、月日が移ったらしい。ジョバンナは男のオートバイの後ろに乗り、オートバイが故障して喧嘩になったりしている。一人で食事をしている。義母がやってくる。夫の裏切りを伝える。女が落としていった夫の写真の裏には愛するアントニオへ。ジョバンナとあり、夫はそれを拾う。若い妻がみているところ、夫の表情は曇る。アントニオがジョバンナに複雑な気持ちを残しているシーンがある。若い妻も辛いシーンである。ただ、繰り返してしまうが、なぜ若い女がアントニオだけ助けたのかが意味不明のまま残りそうである。ここでネットで他の人の意見を調べたら、若い女は兵士の死体から金目のものをあさる女だったが、アントニオだけ生きていたのがわかり、悔いなどもあったのか、助けてしまったとか、アントニオも、一度
死んだ身で、不甲斐なさから、もうイタリアに帰れないと思い、ロシアの女の甲斐甲斐しさにほだされたなど、解説してくれている。しかし、アントニオはジョバンナに会いに一人イタリアに来てしまった。しかしジョバンナは怒りで、そしてジョバンナももう再婚したと公衆電話口のアントニオに伝える。
それならもう会わないほうがいいなとアントニオは話す。お互いに未練がありながらも、複雑な愛と憎しみの感情で再び一緒になれない二人。お互いにがっかりしながらも電話の応対だけで別れる。電車がストライキで帰れなくなり、街をアントニオは歩く。なぜか余計な、赤ん坊の人形を抱いた変な女がやってきて、アントニオを誘う。一体この脚本はどうしたものか。アントニオは応じてしまう。アントニオはそこでもジョバンナに電話をかける。少しでも会いたい住所を教えてくれと。そしてジョアンナは教えてしまい、アントニオがその場所を伝えると女が口紅で鏡に住所を筆記する。すると、アントニオは裸になっていた女に見向きはせず、ジョバンナの場所へと向かう。この設定は大変に凝っていると思う。行きずりの女と結婚した女とは違うのだ。複雑な設定の中にでも、1970年代の性の倫理をふと感じる場面かも知れない。ジョバンナはなぜアントニオに住所を教えてしまったか。複雑な愛憎である。二人だけ夜に再会した二人はどうなるのか。女は男を部屋に招き入れる。日本語字幕は椎名敦子氏。「あなたがいるなんて」「きちんと説明したい」「自殺しかけたけど愛なしで生きられたわ」「僕の事情もわかってほしい。気づいたら見知らぬ家にいた。会ったこともない女性がいた。記憶を失いなんだかわからなかった」「そんなことを言うのね。子供まで作って」「あの家だけが確かなものに思えたんだ」「彼女を愛したのね。」「あの時昔の僕は死んで別人になっていた。彼女との生活の中に小さな平和を見つけた。理解してくれといっても無理か。戦争とは残酷だ。ひどいものだった。なぜこんなことに」灯りもつけず、黒い中を二人で語り合う。「わからないわ」。ろうそくに火をつける。「見ないで年をとったわ。あなたも額にしわがあるわね。髪も白くなった」「今でも愛している。」「無理に決まっている」そういいながら抱き合おうとしてしまう二人。しかし赤ん坊の泣き声が聞こえる。二人は我にかえる。隣の部屋に子供がいた。男は別れられないと言う。女は子供を犠牲に出来ないという。ジョバンニも再婚して子供までいたのだった。女は倫理観を失っていなかった。玄関から出て二人は茫然としながら肩まで抱き合い別れる。列車で男を女は見送る。
二人とも辛い表情である。壮大に音楽が流れる。見えなくなった男。女は嗚咽する。
ひまわりの下
兵役を遅らせようと結婚し、戦況そっちのけでラブラブの新婚生活を12日間楽しみ、最終的には出兵を逃れようと発狂まで演じるなんて、日本兵では考えられないし、流石イタリアンだなぁ…と思いながら前半を観ていました。
帰還しない夫の無事を信じて何年間も根気強く探し続ける妻の一途さと健気さに引き込まれます。戦前と戦後では人が変わったような夫、残酷な事実に打ちのめされる妻。戦争は命を奪うだけでなく、生存者達の運命をも大きく翻弄します。
ロシア女性は可憐で優しくて良いなぁ、でもやっぱり大胆で勇ましいイタリア女性も良いよなぁ…と(^_^;)、感情と状況に流されるダメ男のせい…という気もしますがね。
冬は辺り一面の深雪、夏は輝かんばかりの向日葵畑となる広大な土地。その下に眠る戦争の爪痕を忘れてはならないと、哀しい音色が嘆いているようでした。
後半面白かった
ソフィア・ローレンがソ連を訪れるまでがドラマ性が弱くて退屈でちょっとウトウトした。ソ連で、マルチェロ・マストロヤンニが若いかわい子ちゃんと結婚して子供までもうけている事を知ってから俄然面白くなって、引き込まれた。
結局悪いのは戦争で、マルチェロ・マストロヤンニも普通に帰国していたらなんの問題もなかったはずだ。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンは愛し合っていても決定的に状況が変わっていてうまくいかない。人生のままならなさを深く感じいった。
累々とした死体の上に地平線まで咲き誇るひまわりが大変意味深かった。ソフィア・ローレンの顔は怖いのでソ連のかわい子ちゃんを選んでしまう気持ちは分かる。しかしその後ソ連が大変な管理社会になって苦労するだろうから、何が正解なのか、果たして正解や不正解が人生においてあるのか、考えさせられる。
美しく哀しい抒情詩
総合:80点
ストーリー: 75
キャスト: 75
演出: 80
ビジュアル: 80
音楽: 80
戦争の悲劇。戦争そのものの残酷さを描くのではなく、戦争の後の余波を美しく哀しく残酷に描く。
地平線の果てまで無限に広がる一面のひまわり畑。のどかで平和で美しいはずの風景の下には、実は数え切れないほどの悲劇と死体が埋まっている。マンシーニの哀愁を誘う音楽とともにひまわりが風にたなびく風景は、かつて一組の男女の愛を切り裂き運命を翻弄した戦場の跡。どうにもならない厳しい現実がもたらす残酷な悲しみも大地の果てまで広がっていっている、そんな抒情詩のような感情を揺さぶる作品。
ソフィア・ローレンが演じるのは貧乏で安っぽい服装の情熱的なイタリア南部の女。かなり気が強く気性が激しい典型的なイタリア南部女で、こういう女は最初は日本人には少し刺激が強そうに見えたのだが、夫を思い続け諦めず一途に行動する健気さにだんだんと好感度が上がっていく。そんな彼女を打ちのめす、突きつけられた現実のなんと厳しいことか。その厳しさを受け止めた後の彼女は情熱的な女ではいられなくなり、深みと憂いを秘めた表情をするようになる。やむを得なかったとはいえ自分が不幸を引き起こした一因であるマルチェロ・マストロヤンニの苦悩もまた深い。そして戦争の後にもそれぞれが犠牲者として生きていかなければいけない不条理さが心に残る。
戦争は2人にとって、祭のあとに過ぎない
戦争に引き裂かれた夫婦の数奇な運命を、野原一面に咲き乱れる向日葵が鮮やかに、そして、ヘンリー・マンシーニの奏でる旋律が痛切に銀幕を染め上げていく。
イタリアは日本と同じく敗戦国やから、兵士とその家族がひしめく駅の殺伐たる景色は、残酷な戦争の傷痕を色濃く物語っており、印象深い。
あれだけ激しく愛を誓い合ったのに、淡々と別れを選ぶ虚無感は、2人にとって、戦争ですら、まるで、祭のあとのようなやりきれない想いに支配され、息苦しくなる。
ソフィア・ローレンの乱れる心情が向日葵を揺らす北風とリンクし、ざわめきを加速させ、改めて戦争の虚しさを思い知り、悲しい。
それ以上に、ソフィア・ローレンの麗しき美貌と豊満な乳房に、改めて釘付けになってしまう自分に気付く。
ハラリと顔を出し、チラリと揺れる愛しき膨らみ…
あの不安定な重量感が堪らない。
イエローキャブ軍団で例えたら、全盛期の小池栄子を余裕で凌駕する。
決して、根本はるみではない。
ならば、彼女を弄ぶ
マルチェロ・マストロヤンニは、差し詰め野田社長であろうか。
ってな事を呟きながら、妄想内でソフィア・ローレンに紐ビキニを着せ替えているアホな自分はもっと哀しい…。
辺り一面咲き誇る向日葵畑が広がるウクライナは、十数年後、死の灰を浴びる事となる。
忌まわしきチェルノブイリ原発事故である。
福島のどこかでまたいつか美しい向日葵畑が満開となった時、少しぐらい愛は日本に戻ってきてくれるのだろうか?
今作の主題は反戦やのに、なぜか放射能汚染の恐怖に駆られる。
了見のスライドに改めて無情なる時の流れを思い知った。
被災地のいち早い復興を改めて願うところで、最後に短歌を一首
『待つ愛も 吹雪に散りて 北の駅 別れに染まる 太陽ひとり』by全竜
ウクライナの大地に咲き誇る、ひまわり
映画「ひまわり」(ビットリオ・デ・シーカ監督)から。
戦争の悲惨さを伝えたい、監督の想いは伝わってきた。
しかし今、観直すと違った視点が、この作品にはあった。(汗)
ロシア・ウクライナ地方というと「チェルノブイリ」が浮かぶし、
たぶん場面からすると、工場なんだろうけれど、
アメリカ・スリーマイル島原発の形をした建物が風景にあり、
さらに、放射能を吸収しやすいからと、東北地方でも
「ひまわり」を植える活動があるから、その関連性に驚いた。
まるで「原発事故とひまわり」を「予知」してたように・・。
ところで、作品自体は重厚な映画音楽に支えられ、
シンプルながら、鑑賞後、余韻を楽しめる作品と言えそうだ。
「ウクライナの大地に咲き誇る、ひまわり」の下には、
「ドイツ軍の命令で、穴まで掘らされて
イタリア兵やロシア人捕虜が埋まっています。
そして無数のロシア農民も、老人、女、子どもまで。」
きっと反戦テーマの作品としても、評価が高いだろう。
チャイコフスキーの曲を感じさせる作品でもあった。
P.S
個人的には「卵24個使ったオムレツ」が食べてみたい。
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