「哀しみのひまわり」ひまわり(1970) かつみさんの映画レビュー(感想・評価)
哀しみのひまわり
1970年イタリア映画を代表する、戦争の悲劇を描いた名匠、ヴィットリオ.デ·
シーカの大作映画。
ソファイア.ローレン。マルチェロ.マストロヤンニのイタリア黄金期の二大スターによる永遠の名作。
何度この映画を観ただろう、十代の時に今はない老舗名画座テアトル銀座、池袋文芸坐で。
時には、テレビでと。世代を越えて何度となく観賞した。そして、その都度新たな感動を与えてくれた。
上質な映画とは、きっとそういうこと何だと思う。時代背景が違っても、世代を越えても、国が違っても、何度となく新たな感動を教えてくれる。
永遠の名作「ひまわり」は、私にとって不滅の映画の一本である。
戦争の悲劇によって引き裂かれた新婚の夫婦、ジョバンナとアントニオ。
最も過酷なロシア戦争に送られた、夫のアントニオ(マルチェロマストロヤンニ)の消息を追って、
イタリアからロシア迄、長い長い時間をかけて探しにいく、妻のジョバンナ(ソファイアローレン)。あの頃行き来が難しかった時代に、困難の中で夫の生存を信じ、ロシア中を探し回るジョバンナの姿が華やかなイタリア時代と一変した彼女の悲壮感が映画の画面に映し出される。
モスクワ広場の広大な場所で通行人、一人一人に夫の写真を手に取り。そして、あのウクライナのひまわり畑。画面一面を覆ったひまわり畑の下には、戦争で亡くなった兵士達の墓標がある。ここにはいないと信じて広いひまわり畑の墓標を探し回るジョバンナ
遂には、アントニオの消息を掴み「生きているという」事を知る。しかしそこには、既に可愛いい奥さんと、子供のいる家。
アントニオは、極寒の雪の中生死を彷徨、助け出され記憶を失っていたのだ。
生きていたとはいえ、既にアントニオは家庭を持っていたのだ。仕事を終えたアントニオを駅に、案内する不安そうなアントニオの妻。
仕事を終えて、汽車から降りてきたアントニオ。遠くイタリアから再開を夢見てやって来た、ジョバンナの前に記憶を失ったアントニオが目の前に。
その瞬間、ジョバンナはアントニオが降りてきた汽車に飛び乗る、絶望的な思いで泣き崩れるジョバンナ。このシーンは、映画の一番の名シーンですが、正に胸を締め付けられ一緒に号泣した。
ヘンリーマンシーニの曲の盛り上がりと共に。ジョバンナの苦しみ悲しみの絶望感を実感してしまう。
本当に素晴らしい演出。
その後、ジョバンナはイタリアに戻り荒れた生活をするが、やがて再度結婚をして子供にも恵まれた。
そんな中、記憶を少しずつ取り戻しジョバンナとの愛の生活を思い出すアントニオ。ロシアで、空虚な時間過ごす彼だが、イタリアに帰りたい。生まれ育ったイタリアに、ジョバンナに会いたい。
アントニオがイタリアに戻った時には既に何年いや何十年の歳月が流れて行ったのだろう。
二人の顔のシワが、物語っている。
会うのを拒んだジョバンナだったが、何度も電話してきたアントニオの悲痛な声を聞いて。
暗闇の部屋で電気も付けずに、再開する二人。
暗い部屋の、僅かなろうそくの下。かつて美しかったジョバンナとアントニオの今は年老いた顔を確認する二人。
「君にお土産があるんだ」それは、戦争にいくお別れの駅で、ジョバンナをなだめる為にした約束「帰って来たら毛皮をお土産に持ち帰るよ」
小さなミンクの襟巻き。
彼のロシアでの貧しい暮らしが伺えるシーンだ。ジョバンナに約束を忘れていないと伝えたかったのだろう。
ジョバンナはその精一杯の彼の誠意に過去の二人の思い出、愛を思い出した。
アントニオが悪いのではない、裏切ったのではない。運命だったのか?いや戦争が二人の愛を時間を思い出を引き裂いたのだ。
それを静かに悟るジョバンナ。
翌朝、アントニオと最後に別れたミラノの駅迄奇しくもまた見送るジョバンナ、イタリアとロシアもう二度と会うこともないだろう。
もう二度と会えないだろう。
その喪失感を抱えて二人は、またミラノの駅から別れていくのだ。
エンデングのあの眩しいウクライナの、ひまわり畑のシーン、ヘンリーマンシーニの哀愁ある、ひまわりの音楽と共に静かに幕を閉じる。
ウクライナの土地のあの場所に、この名作の思い出がある。映画は永遠に不滅にそれを記している。