ピアノ・レッスン(1993)のレビュー・感想・評価
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ピアノとの強いつながりが感じられる
終始、悪天候とジメジメした空気が感じられる中で話が進むうえ、主人公のエイダが話さず険しい顔ををするため、一層暗くなる。
しかし、ところどころ流れる美しいピアノの音色と娘の無邪気さが可愛く、アンバランスさが感じられる。
エイダのピアノへの執着もさることながら、呪いのピアノかのごとく、周囲にトラブルを巻き起こす意思には感銘である。
エイダの本能を刺激するつながりがあるのだろう。
衝撃の展開ではあるが、止められない思いを違う形で描く作風は好きである。
ジェーン・カンピオン監督の重厚で心揺さぶられる名作
本作、4Kリバイバル上映で1994年の初公開以来30年ぶりに観ましたが、全く色褪せることのない傑作にあらためて心打たれました
スコットランドからニュージーランドのまだ見ぬ夫に嫁いできたエイダを演じるホリー・ハンターさんがすごく綺麗、劇中のピアノ演奏シーンは本当にホリーさん自身が演じたというのも素晴らしいし、本作でオスカー主演女優賞に輝いた演技には終始圧倒されます
そして同じくオスカー助演女優賞を獲った、当時11歳のアンナ・パキンさんも子供とは思えない美貌、ホリーさんと本当の母娘の様で、確かな演技に感心しっぱなしでした
エイダがスコットランドから荷物と一緒に持ってきたピアノはエイダの存在そのものの象徴と理解、そのピアノを夫となるサム・ニールさん演じるスチュアートは重いからと言って、いきなり荒々しい波打ち際の浜辺に置き去りにしてしまう
こんな事されればやられた方は誰でも修復不可能なほど傷つくと思います
この時点でエイダとスチュアートの結婚は始まることなく破綻していると思います
浜辺に野ざらしになっているピアノのもとへハーベイ・カイテルさん演じるベインズがエイダ母娘を連れて行き、その浜辺をバックにエイダがピアノを弾き、ベインズが聞き惚れるシーンは鳥肌が立つほど五感を刺激される、本作で一番 美しいシーンです
そしてベインズがそのピアノを自分の家に運び込み、調律してもらい、きれいに拭いて修復、エイダが弾くピアノの旋律に耳を傾け、その姿に見惚れ、エイダもその気持ちを受入れていき、やがて2人が禁断の領域に踏み込んでいく展開がとても切なく、この先 嫌なことが起きなければいいけど、と不安を掻き立てられ、それが目を背けたくなる展開に発展、最悪の気分になりました
でも最終的にはハッピーエンド(と信じます)ではあるので、最悪の最悪な気分からは救われますが、とにかく終始緊張感に縛られどっと疲れるので、軽い気持ちでは観れず、それなりの覚悟が要りますが、映画史に残る必見の名作だと思います
ピアノを中心に描かれた映画
これまで気になっていた映画だが、映画館で上映されると知り、鑑賞した。
極上のアート作品という印象。
ピアノを中心に、ストーリーは展開するし、名曲が流れる。
人ではない、ひとつのモノに着目、執着することでこのような魅力的な作品が生まれるのだという気づきを得られた。
良かった所
①Dリーン並の荒海
②能面ホリーハンターが生き生きしてくる所
③能面ホリーハンターの産毛
④能面ホリーハンターの良くわからない鍵盤勘定
⑤指切断と義指のケレン味
引っかかった所
①聾唖の心の声をいきなり娘の声で表現
②現地民を侮蔑してる?
③カイテル何故脱ぐ? そしてハウリング
④サムニールのなまっ白いキャンディアス
⑤曲がりなりにもハッピーエンド
隙間がない美しい
公開30周年記念の4Kレストア版
初公開ぶりだったので断片的にしか覚えてなかったけど、なんか凄く面白かった
19世紀なかば、ショックで声が出せなくてピアノで感情と吐露する女性と娘がピアノと共にニュージーランドの入植地に嫁入りする
マイケルナイマンの有名な曲、ホリーハンターの黒を基調としたドレス、ハーベイカイテルとサムニールのだらしないけど色気がある男たち、寓話みたいな物語、どこも隙間がないなー4Kの美しい画面でみれてよかった
哀しき人生にあらわれたタツノオトシゴ
品のある重厚な色彩が作りだす19世紀半ばの世界観。
人肌の温もり、鼓動をも伝えてよこすリマスター版に改めて驚嘆しながら4人の運命を息をのみ見守る。
音楽とともに1人の女性の逞しさとその娘の目線が身にしみてくるような作品だ。
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幼少期に自ら声を出さないようなったエイダには父との関係性に相当なトラウマがあったのではないかと察する。
そんなわけありを匂わす当時のエイダの声が綴る心の声と回想シーン。
そして今、辿り着いたニュージーランドの浜辺のただならぬ様子。
じわりと伝わる負のオーラがエイダとフロラ、スチュアート、べインズの出会いにあり、後ろの物憂げな雲がすんなりと混ざり合う。
押し問答の末、浜辺に残されたピアノを丘の道からみるエイダのまなざしの不安気なことよ。
ここまでで既に感情を直接音にできるピアノがエイダのどんな存在かということがよくわかる。
自分の行く場所にピアノがないことは一心同体の崩壊を意味する。
対して初対面で夫になる男スチュアート。彼はそれを察知できず理解しようともしなかった。
この時点でエイダがスチュアートに惹かれることはなく実父の政略的な結婚がますます仕方ないものになっだろう。
話せない母の気持ちを瞬時にすくい取り表してきた利発な娘・フロラは、母が気のない結婚することもわかっているし、母をとられるような気持ちが相まり拗ねている。
そんなフロラが、エイダに興味深々のスチュアートの叔母たちに話すエピソードは噂話に尾びれをつけるには格好の出だしだったのではないか。
夫婦として慣れていくことを気長にまとうとする善良な性格がみえるスチュアートの不安が湧いてくるのを煽る。
ピアノを諦めきれないエイダは原住民のごとく土地に馴染む厳つい雰囲気の白人ベインズに頼み込む。
一旦は断りながらも良心が動いたのか浜へ案内したベインズ。
波打ち際でのびやかな感情を鍵盤から紡ぎ出す姿は美しく、楽しそうに合わせて踊る娘をみつめるエイダにすっかり魅了されてしまう。
間も無くベインズはスチュアートに土地とピアノ+エイダから受けるレッスンを交換する約束をとりつける。
彼女のためにピアノを取り戻す方法だったが、彼女に近づく下心もあったようだ。
そんなベインズは、潮にさらされ、険しい山道の樹木にぶつかりながらやってきた傷んだピアノをきちんと調律させて待つ誠実さをみせ、喪失感で放心状態だったエイダをさらによろこばせた。
そして魅力的な彼女を前に彼の理性はきかなくなる。ピアノがなくてはならない心理につけ込み彼女に巧妙に、しかしストレートな思いを徐々に表しながら近づきはじめるのだ。
エイダに触れていくベインズに愛情が募り出すとそれが伝わるかのように、取引の壁を越え次第に彼女も彼に惹かれ出す。
ついにエイダの気持ちを振り向かせると互いを奏でるような繊細な時間が2人の心のひだを寄せて深めていく。
エイダは夢うつつで夜明け前にピアノを弾き、フロラやスチュアートに触れながら、我を忘れベインズを思い描くほどのめり込むようになるのだ。
妻の異変に気付きつつも真意にせまったり心の距離を縮められずにいるスチュアート。
母の意識が自分やピアノレッスンから離れベインズに向いているのを感じたフロラはこどもの素直さ故に父に告げ口した。
浮気の現場をこっそり覗いたベインズはすぐには割入らず彼女の様子をみているが、妖術使いだと周りに噂されるなか真実味を感じますます不安になる。
その状況でも「そのうち私を好きになるだろう。」と自分に言い聞かせるようにする彼は非常に健気でもある。
そんなある日、ベインズが引っ越すことを知りエイダは鍵盤を抜きベインズへのメッセージを書く。
あれだけ大切にしたピアノよりベインズへの想いが重要になっている決定的なシーンだ。
そしてそれを渡すように託されたフロラが湿地の踏み板をすすむが、逆方向の父の居場所へと進路を変える。
あの学芸会のごとく躊躇なく斧を手にする夫が急ぐのは妻の元だった。
たしかに気の毒なスチュアートではあるが、よりによってエイダの代弁者である娘の前で、エイダの心を謳うためのそれを容赦なき罰として切り落とす。
血をしたたらせながらも沈黙のまま水溜まりにふらふらと座り込むエイダが、私には残酷ななかに逞しい野生の本能を開花させていく美しい黒鳥にもみえた。
そして怪我からの発熱で苦しむエイダにの目がようやく覚めたときのスチュアートの姿。
エイダの黒い瞳は言葉以上に雄弁だった。
その動かぬ強い意志を受けとり、
彼はそこに映った自分の不甲斐なさを自覚せずにはいられなかったはずだ。
完敗を覚悟したスチュアートはベインズの元に向かい妻子連れてこの土地から去ってくれと告げる。
ベインズの指示の元、再び舟にピアノを積み荒波を出航した。
ベインズににぎられたちいさなエイダの手は彼の愛に満たされ、難航を予測し重いピアノを海に捨てるように言うが、ベインズはエイダの大切なピアノを最後まで運ぶという。
恋愛が成就してもエイダの大切なものをどうにか守りたいベインズの彼女に対する思いやりを噛みしめながらも
海面を撫でる哀しげなエイダが決心のあとの内心を垣間みせた。
無理もない、自分をひきちぎられるようなエイダ。
原住民たちの力強いかけ声とともに斜めに深い海の底に向けて滑り落ちていくと、とっさにピアノにつながる縄の穴に自分から足を入れたエイダは一瞬で海中へ。
あまりの唐突な展開に恐ろしいこれ以上ない絶望感が襲う。
しかし、一転。
見開いたエイダの目。
〝意志が生を選んだのか〟
靴を脱ぎ捨て危機一髪で垂直に浮かび上がり大きく息を吐くエイダ。
〝何という死〟
〝何という運命〟
〝何と言う驚き〟
予想を覆すクライマックスに
エイダの心の声が語る。
〝その力は私と多くの人を驚かせた〟
エイダ自身も驚いたその力とは、ようやくみつけた真実の愛の力だった。
心の声はまた語る。
〝夜は海底の墓場のピアノを想い
その上をただようじぶんの姿を見る
海底はあまりにも静かで
私は眠りに誘われる
不思議な子守歌
そう 私だけの子守り歌だ
音の存在しない世界を満たす沈黙
音が存在しえない世界の沈黙が
海底の墓場の
深い深いところにある〟
あの時エイダの過去は死んだのだ。
そして今もそれはピアノと繋がれて海に漂う。
そして、生まれ変わったエイダの幸せな笑顔が北の地にある。
再び出はじめた声。
そのままのエイダを愛するベインズ。
不安を目の当たりにして心配したが相変わらず元気なフロラの姿もみえた。
母娘とベインズが歩いた浜辺に貝で描いた美しいタツノオトシゴが、この数奇な運命の道すじを示唆していたかのように思えた。
修正済み
追加済み
すべてがピアノに集約されるシナリオのうまさ
よく名作として名前のあがる作品なのだが、未見だった。
さすがに高い評価を得ているだけあって、すばらしい。
登場人物は少ないし、ジャングルの奥地にある集落みたいなところでほとんどの物語が展開する。それでも歴史大作を観たような気分にさせられる。ちなみに製作費は700万ドルで、chatGPTに聞いたら、当時の為替で8億7500万円相当だそうだ。どこで使ったのかわからないが、さほど低予算でもない気がする。
それはともかく、主演のホリー・ハンターは、観ていてずっと「こんな顔だったっけ」と思っていて、観終わってからネットで画像を調べたのだが、映画に出ていた彼女とどうしても一致しなかった。この感覚は「ゴッド・ファーザー」でアル・パチーノがマイケル・コルレオーネにしか見えないのと似ている。
時代は1852年。主人公のエイダは、娘のフローラとともに、スコットランドからニュージーランドへ。そこには入植者のスチュアートが待っていた。彼は、エイダの夫になる人物だった。
エイダは6歳の時から話すのをやめていた。そのかわり、ピアノを弾くのだった。
スチュアートはエイダのピアノに理解を示さず、到着した海辺に放置したまま、彼女をジャングルの奥地にある自分の家につれていく。そこには先住民のマオリ族もいた。マオリ族の男べインズは、エイダに興味を持つ。スチュアートが土地を欲しがっているのを知っており、エイダのピアノと引き換えに土地を売る。そして、エイダには、自分にピアノを教えてくれたら、ピアノを返そう、という。
エイダはピアノを弾くが、べインズは本当はピアノを習う気はなくて、エイダとふたりきりになりたかった。彼の要求にこたえるたびに、少しずつピアノを返していく、という取引をする。
やがてエイダはべインズに惹かれていく。
これは行きて帰りし物語の構成で作られた恋愛映画だ。
作中でエイダが弾く曲は、彼女の心境を反映しているのだろうか。なんという曲を弾いているのかわからないので、気になった。物語が進むにつれて、演奏する曲は、どのように変化していったのだろうか。べインズに対する気持ちを、曲の変化に沿って感じることはできるのだろうか。
エイダがピアノに執着しているのは、映画の冒頭からあきらかで、海辺に迎えにきたスチュワートに、どうしてもピアノを運んでほしいと頼んだにもかかわらず、スチュワートはピアノを放置する。しかし、べインズはエイダを手にいれるためにはまずはピアノを手にいれる必要があると見抜く。やっぱり、女性は自分を理解してくれる男が好きになるよな、と当たり前のことを思った。男も、自分を理解してくれる女性を好きになるわけだし。
ただ、スチュワートがだめな奴かというとそうでもないのかもしれない。当時はまだ女性は所有物だったのかもしれない。そうは言いつつ、スチュワートがなぜエイダをめとったのか、疑問は残る。スチュワートは他の人間に対して「金はないぞ」という発言もしている。エイダは家事もしなくて、ただいるだけなのだ。金もないのに、なぜスコットランドからエイダを招いたのか。これは疑問だった。
他にも謎はある。
なぜ、エイダは6歳で口をきけなくなったのか。
フローラの父親はもちろんエイダの夫だろうが、それは誰なのか。というか、フローラが父親について語るくだりがあるが、それは本当なのだろうか。
説明されない疑問が多々あるにもかかわらず、本作はすばらしい。役者や音楽の良さはもちろんある。それだけでなく、「The Piano」という原題の通り、物語のすべてが一台のピアノに集約されるというストーリーテリングのうまさにあると思う。
ピアノの音という言葉を理解すること
6歳の時に、自分でも説明できないが、声を出して話をしなくなったエイダ。前の夫は無くなり一人娘のフローラと一緒に、未開の地ニュージーランドへ嫁ぐ。荒れる海、ぬかるみの密林に「チャタレイ夫人の恋人」に似た雰囲気を感じた。半分現地人のようなべインズは、彼女のピアノと土地を交換して、ピアノのレッスンをしてくれるよう願い出る。
流麗なピアノの調べを聴きながら、べインズが少しずつエイダに近づいて、触れて、匂いを嗅ぎ、服を脱がせていくのは、女性にとってエロチックな時間。エイダの言葉であるピアノをずっと聴いてくれて、見つめられ、少しずつ距離を縮めてくるべインズは、エイダのルールを尊重しながら、口説いてくる逞しい男性に見えたのではないか。逆に夫のスチュワートは、彼女の大事なもの、ルールを理解しようとしていない。エイダとスチュワートが結ばれるシーンを覗き見しているのも、エイダの性的能力を確認するかだけのようで、その後、無理やり関係を結ぼうとするのも、エイダを理解していない。娘のフローラも、周囲の人々の価値観に染まり、エイダのことを本当に理解していなかった。スチュワートが逆上して、エイダの右人差し指を切り落としたのには、「やっちゃった」感。エイダがスチュワートに触れていたのは、彼女の性が解放され、べインズを求める気持ちからの行動か。
エイダを諦め、べインズと祖国イギリスに帰ることになったが、船上からピアノを捨てようと切り出したのは、ピアノがあることで、べインズ、娘、自分の命まで危険に晒すから。
彼女は、もう既に孤独ではない。愛する人がいる。今までの孤独な過去の自分に決別するために投げ捨てた。ピアノの縄が絡みついて、(一瞬、自殺かと思ったが)海中深く引きずり込まれるが、そこから靴を捨てて、這い上がったのには彼女の強い生きる意志を感じた。
厳しい自然と、不便な時代に、不器用な、しかし、並外れた強い意志の女性。その女性が、自分のために骨を折って、愛してくれる男性と出会って、激しい愛が芽生える物語だった。
監督は、女性と聞いて、女性の自立、女性と男性のもつ言葉の意味の違い、すれ違いを、言葉を発しない代わりにピアノを演奏する女性という設定で描いたようにも見えた。
やっと鑑賞
ホリーハンターの演技最高でした!
言葉を話さない女性を表現する、魅了させられる。
マイケルナイマンのピアノの楽曲が、この映画の全編を通して素晴らしく印象に残った曲だった。
ストーリーは、心を閉ざす女性がピアノを通してどの様に心を開くか?
主人公の激しく、ストレート過ぎる純愛物語ですね🫣
娘も、母を守ってあげたいと思った行動。旦那さんも
主人公を愛したいと、思った行動。
ハラハラしながら、見入ってしまった👀
無垢なるはピアノの音色だけ
ホリー・ハンター演じるエイダのまるで人形のような美しさが印象的だった。
幼い時から言葉を話すことを止めてしまったエイダにとって、美しいものは亡き夫との思い出と分身のようなピアノだけ。
それ以外のものは極端に猥雑に描かれているように感じた。
マオリ族も白人も、彼女の新たな婚約者であるステュワートも、唯一血の繋がった一人娘のフローラでさえも。
ステュワートは彼女の分身であるピアノを重くて運べないという理由で浜辺に置き去りにする。
後日、白人でありながらマオリの刺青を施したベインズに、彼女は砂浜まで連れて行って欲しいと頼む。
砂浜でピアノを弾く彼女の姿を見て、ベインズはピアノと自分の土地を交換しないかとステュワートに持ちかける。
最初は真心からエイダのためにピアノを運ばせたかのように思われたが、結局彼が欲したのは彼女の身体だった。
ベインズはレッスンを一回受けるごとに、ピアノの黒鍵を彼女に返すと誓う。
レッスンの間だけ、エイダは卑猥な要求をされるものの、自由にピアノを弾くことが出来る。
時折狂ったようにピアノを弾く彼女の姿が印象的だ。
最初はベインズを拒んでいたエイダだが、次第に彼に心を惹かれるようになる。
そして彼と身体を重ねるピアノレッスンだけが彼女の心をときめかせる時間となる。
エイダがベインズと関係を持っていることを突き止めたステュワートが、現場に乗り込むわけではなく、床下に隠れて行為の一部始終を覗く姿も異様だ。
そして告げ口をすればどんな悲惨な事態になるか想像が出来るはずなのに、フローラはエイダがベインズへの想いを綴った鍵盤をステュワートに渡してしまう。
怒り狂ったステュワートは斧でエイダの指を切り落とす。
すべてが狂っている中で、ピアノの音色だけが美しく響く。
それこそほとんどの場面が猥雑であるにも関わらず、ピアノの音色とエイダの美しさによってこの映画はとても神秘的な印象を観る者に与える。
最終的にステュワートは自分ではエイダの心を救えないことに気がつき、ベインズに彼女を託す。
過去に鑑賞した時は、ピアノと共に海に沈むエイダの姿が印象的だったので、そのまま彼女は死んでしまったものと記憶していたが、実際は自力で海上に這い上がった彼女はピアノの教師として新たな人生を送るというラストだった。
時折海底に沈むピアノを夢見ながら。
全編を彩るマイケル・ナイマンの音楽がとても心に沁みた。
けっこうよかった
上流階級のお嬢さんの、ピアノの稽古と恋愛を描いた文学作品みたいな映画かと思ったら、全然ちがう。舞台が未開のニュージーランドで、原住民にピアノを教えていたら体の関係になる。主人公はバツイチ子持ちで再婚、口がきけない。いろいろな要素が想定外でびっくりした。主人公が頑固な性格で、距離を置きたいタイプだ。気の毒な身の上ではあるが、あんなのに振り回されるのはまっぴらだ。ピアノが潮につかったり、ドレスが泥だらけになったり、虫も多そうだし未開の地の生活はしんどい。
ニュージーランドとピアノの音が素晴らしい
有名だけどエロくてなんか大人の話らしい。
と勝手に思ってたのがもはや四半世紀以上前。
大人になってだいぶ経ちようやく観ると、
それはエロという表現でなくて
官能的な作品であった。
ピアノの有名なテーマ曲も勿論よいのだが、
映像美というのか、印象的なシーンが多く惹きつけられた。
写真みたいなワンショットが綺麗。
あのMr.ホワイトだったハーベイカイテルを上回る狂気の沙汰の主人公エイダがインパクト凄すぎ。
海に沈むピアノと心中するつもりにみえたけど、沈んだ自分を捨てて生きることを選んだ強すぎるエイダ。
女は簡単に死を選ばない。
こういう映画ってそうそうないのかもなあと思った。
美しくて強い
海岸に置かれたピアノ、海に投げ込まれたピアノ、この二つをみることができただけで満足しました。いつも大荒れの海、雨がよく降り空も暗い。森は鬱蒼として下は泥だらけ。明るいイメージがまるでないニュージーランド。
色の白い痩せた、子どものようなエイダ演じるホリー・ハンターに魅入られました。映画「クラッシュ」での印象(革と金属と松葉杖)しかなかったけれどこの映画の彼女はピアノ演奏含めて素晴らしい。声が出なくても表情と手の動きの強さと強い目、相手を少し見上げる目には誰もが心臓を掴まれる。そしてハーヴェイ・カイテル!少し野蛮で重くて純情で切ない役が素敵だった。役の幅がとても広い俳優!
フローラ役のアンナ・パキン、存在感あり重要な役どころを上手く演じていた。母親とは親子というより友だちのような恋人のような、あるいはフローラが母のようなそんな関係だった。
テーマ曲のピアノソロが今でもずっと頭に残っている。
弱い心を克服して、自分の為に生○○○を選ぶ♥
なんて馬鹿な男どもなんだろう。男なんてこんな者。
馬鹿な旦那は、拒絶される意味が分からず、馬鹿な間男は、中途半端な愛しか与えていない。
つまり、結論はそう云う事だ。
が、しかし、もう一捻りあった。
やはり、そこには女性の賢明な気持ちと判断がある。
物欲が静寂の中に没して、真実の愛に変わるってことだなぁ。
傑作だ。
やっぱり、女性の監督だ。
クラシック音楽をほとんど使わず、ちょこっと、ショパンの
『英雄ポロネーズ』
洒落ている。
自分という存在、希求するもの。
歓迎はしてくれるけれど、替えのきく存在。
未開の土地に来てくれる花嫁。こんなところに来てくれる女性はなかなか得難いから、大歓迎なのだけれど、はっきり言って、来てくれるなら誰でもいい(この時代のキリスト教信者で未婚の母を受け入れるほど、条件を下げないと嫁は来ない)。
来たからには、今までの自分を捨てて、この土地に順応することを求められる生活。変わることが前提のこれからの人生。
今までの生活の中にはいなかった存在。
心にしみわたり、新しい扉が開かれるような衝撃を与えてくれる音楽。周りにはいなかった所作・ふるまいに”文明”をまとう女性。周りの人には表情を崩さぬのに、娘に向ける視線、ピアノを弾いているときの豊かさ、そのギャップ。
私でしかない私を、誰もが「変われ」と望み、自分でも変わろうとしたことはあったけれど、とうに変わることはあきらめた私をそのまま、唯一無二の存在として、見つめ、憧れ、求められる。
どちらに惹かれるだろうか。
しかも、一人は、良かれと思ってだが、ずかずかと大切にしている部分に踏み込んでくる。もう一人は、ずうずうしいところもあるが、少しずつ間合いを詰めてくる。
流暢な言葉。でも、魂は響き合わない。朴訥とした言葉。でも響き合う魂。
そしてもう一人、自分だけを見つめていた母の心に、自分だけが母とわかり合えると思っていた母との関係に、別の存在が…。自分だけを見てほしい、自分とだけの関係のままでいてほしい。そう求める娘。
監督は『インザカット』の監督。こちらの作品の方が断然いいです。
女性の官能が、女性目線で見事に描かれています。あまりにも生々しくて蓋をしたくなるほど。
相変わらず、画面の隅から隅まで調度・色彩に拘り抜いた情景描写も心揺さぶられます。
19世紀という設定もあり、ヨーロッパから見た辺境・未開の地にありながら、あのドレスの数々。
海辺に放置されたピアノと母娘。
沼地と言いたくなるような森の掘立小屋との対比。
自然光、燃える火による照明に照らし出される世界。
そしてあのシーンのあの雨。
全てが一枚の画としても美しく、惹き込まれます。
偏屈とも言いたくなるようなかたくななエイダの表情・振る舞い。
演じるは『ザ・ファーム』のあの方!!!
まったく印象が違う。エキセントリックな女性という点では同じだけど。
言葉をコミニュケーションの道具として使わない女性。
表情も考え方も硬い。けれども、とても情感豊かにその心情を表現されています。
ピアノも吹き替えではなく、ハンターさんが弾いていらっしゃるそうです。
何たる役者としての底力。圧巻。
朴訥な男達。
カイテル氏は、『天使にラブソングを…』のコメディタッチとのふり幅の広さに脱帽。
身体を求めあうシーン。
饒舌ではない。なのに、情感豊かな表現力。
あまり説明しない映像・脚本の代わりに、溢れかえるように奏でられるピアノ。いつまでもきいていたい名曲。
くぎづけになります。
子どもの、罪のない行いに端を発する後半の展開には息を飲みます。純粋ゆえに残酷。
そしてラストに繋がる海のエピソードがすべて。それまでの展開はこの為の序章だったのかと思うほど。
「私は何のために生きているんだろうか」を感じさせるあの水中の場面。
エイダの生き方に共感できるかと言われれば、首をかしげるけれど、こんな情熱的な想いには憧れもします。
そして、自分らしい生き方へのこだわり、人と繋がり合うってことについて、考えたくなります。
まぎれもなく傑作です。
【”秘密のピアノ・レッスン。”劇中に流れるピアノ曲の美しさと、エロティックなシーンの数々が印象的な作品。】
ー 「パワー・オブ・ザ・ドッグ」が面白かったので、ジェーン・カンピオン監督の代表作と言われる今作を鑑賞。-
・”6歳で話すことを辞めた”“暗い才能を持つ”エイダ(ホリー・ハンター:美しきかな・・。)はお転婆娘のフローラ(アンナ・パキン)と共に、1850年代にスコットランドから、父が決めたスチュアート(サム・ニール)に嫁ぐために、彼女の言葉を紡ぐブロードウッド制作のピアノも舟に乗せ、ニュージーランドへ。
・荒れた波の中、海岸に到着するが、足場の悪い中、スチュアートはピアノを海岸に放置してしまう。
ー エイダにとって、自分自身の言葉を紡ぐピアノを新しき夫が放置した時点で、彼女の夫への愛は萌芽しないのである・・。-
・仕方なく、エイダはピアノを弾きに、頻繁に海岸へ足を運ぶ。
地元民と交流する心寂しき男べインズ(ハーヴェイ・カイテル)はピアノの美しき音色とエイダの姿に惹かれ、スチュアートに自分の土地とピアノを交換するよう持ち掛け、苦労して自宅にピアノを運び入れる。
ー ベインズは地元民と同じように顔にタトゥを入れているが、寂しき過去を持っている事も併せて、仄めかされる。-
・べインズはエイダに、自宅でピアノを教えて貰う事を依願する。
ー ”一度のレッスンで、黒鍵一つ返すから・・”
ピアノのために渋々、べインズ宅に通うエイダだが、徐々に彼に惹かれていく。
これは勝手な推測だが、エイダはべインズに自分と同じ”寂しき影”を感じ取ったのではないのではないか・・。-
・べインズはエイダの首筋に触れ、足に触れ、そして・・。
ー 美しき、エロティックなシーンが続く。
最初は抗っていたエイダだが、徐々にベインズに身を任せる・・。雨音の中、絡み合う裸体・・。-
・二人の”秘密のレッスン”に気付いたスチュアートが雨の中、エイダに加えた危害。
ー 残酷なシーンであるが、フローラの学芸会で披露された、影絵の劇中劇とのシンクロ具合が絶妙である。-
<エイダとべインズは、スチュアートの元を離れ、島を出る。
ピアノが途中、海底に落ちて行くシーンが印象的である。
エイダにとっては、ピアノへの執着は失せ、想像の中で愛するべインズとピアノを弾くのだろう・・、と解釈した作品である。>
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