ピアノ・レッスン(1993)のレビュー・感想・評価
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30年経っても色褪せない美しい映画
好きな映画のトップテンに入る作品です。
4Kデジタルリマスター版として再びスクリーンで上映されるのは本当に嬉しいこと。
そう言えば、好きな映画のサントラはほとんど持っていて、
音楽もひっくるめて「好き」なのだ、と
あらためて気づきました。
この映画も、マイケル・ナイマンによる
美しい音楽とともに
心に刻まれています😌
公開されたのは1993年、
私がまだ20代なかばの頃でした。
こういう愛もあるのかと、
衝撃を受けました。
そして、ハーヴェイ・カイテルが好きな俳優のひとりになり、
あとから次々に彼の出演した映画も観ました。
その後もDVDなどで何度も観ていますが、
ピアノはもういらないと、
海底に打ち捨ててしまったのはなぜなのか…今ならわかる。
初めて観たときは
嫉妬による怒りから
主人公であり妻であるエイダの指を斧で切り落とした夫の気持ちなんてわからなかったけれど、それもわかる。
(そのシーンは何度観てもおそろしい…)
私の好きな映画の基準は、
美しいか否かにあります。
ストーリーの面白さだけではいつか飽きるけれど、
美しい映画は、年を経てなお輝き続ける。
この映画もそんな映画のひとつです。
ピアノ・レッスン 4Kデジタルリマスター版 初鑑賞。ピアノで奏でる...
ピアノ・レッスン 4Kデジタルリマスター版
初鑑賞。ピアノで奏でる曲がメインの作品かと思いきや三人の間に複雑な愛が絡み合う愛憎劇。
色んな愛の形がこの世に存在しそれは時として一般的には理解し難い愛の形も世の中にはたくさん存在する。エイダとベインズの愛の形もその一つと言える。その様な形は映画作品だからこそ理解したり触れたくなるものも沢山あるが、この二人の形は自分の中ではだいぶ理解できない距離にあり見ていて厳しい時間となってしまった。
主人公に対して嫌悪感を抱いてしまうと中々作品の良さに気付けないものであり今回の作品との相性は個人的には良くなかった。
個人的な2024年洋画新作鑑賞ランキング
1 ネクスト・ゴール・ウィンズ 4.8
2 Firebird ファイアバード 4.8
3 コット、はじまりの夏 4.7
4 アマグロリア(原題)Àma Gloria(横浜フランス映画祭2024) 4.8
5 コンセント 同意(横浜フランス映画祭2024) 4.7
6 ARGYLLE/アーガイル 4.7
7 アリバイ・ドット・コム2 ウェディング・ミッション4.5
8 バティモン5 望まれざる者(横浜フランス映画祭2024) 4.5
9 デューン 砂の惑星 PART2 4.5
10 愛する時(横浜フランス映画祭2024) 4.5
11 ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ 4.5
12 アクアマン/失われた王国 4.5
13 ニューヨーク・オールド・アパートメント4.3
14 異人たち 3.7
15 ミツバチと私 3.6
16 ブリックレイヤー 3.5
17 ネネスーパースター(原題) Neneh Superstar (横浜フランス映画祭2024) 3.4
18 12日の殺人 3.3
19 コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話- 3.2
20 コヴェナント/約束の救出 3.0
21 僕らの世界が交わるまで3.0
22 ストリートダンサー 3.0
23 カラーパープル 2.9
24 弟は僕のヒーロー 2.8
25 RED SHOES レッド・シューズ 2.8
26 画家ボナール ピエールとマルト(横浜フランス映画祭2024) 2.7
27 関心領域 2.6
28 ジャンプ、ダーリン 2.5
29 エクスペンダブルズ ニューブラッド 2.3
30 けもの(仮題)La Bête(横浜フランス映画祭2024) 2.3
31 マダム・ウェブ 2.3
32 落下の解剖学 2.3
33 ダム・マネー ウォール街を狙え! 2.3
34 哀れなるものたち 2.3
35 DOGMAN ドッグマン 2.2
36 パスト ライブス/再会 2.2
37 ボーはおそれている 2.2
38 ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人 2.2
39 瞳をとじて 2.2
40 ゴースト・トロピック 2.2
41 葬送のカーネーション 2.2
42 Here ヒア 2.1
43 ハンテッド 狩られる夜 2.0
44 サウンド・オブ・サイレンス 2.0
45 ポーカー・フェイス/裏切りのカード 1.9
46 アバウト・ライフ 幸せの選択肢 1.8
47 サン・セバスチャンへ、ようこそ 1.8
48 VESPER/ヴェスパー 1.5
49 フィスト・オブ・ザ・コンドル 0.5
番外
QUEEN ROCK MONTREAL 5.0
私ときどきレッサーパンダ 5.0
FLY! フライ! 5.0
π〈パイ〉 デジタルリマスター 2.0
ピアノ・レッスン 4Kデジタルリマスター版 1.5
ピアノとの強いつながりが感じられる
ジェーン・カンピオン監督の重厚で心揺さぶられる名作
本作、4Kリバイバル上映で1994年の初公開以来30年ぶりに観ましたが、全く色褪せることのない傑作にあらためて心打たれました
スコットランドからニュージーランドのまだ見ぬ夫に嫁いできたエイダを演じるホリー・ハンターさんがすごく綺麗、劇中のピアノ演奏シーンは本当にホリーさん自身が演じたというのも素晴らしいし、本作でオスカー主演女優賞に輝いた演技には終始圧倒されます
そして同じくオスカー助演女優賞を獲った、当時11歳のアンナ・パキンさんも子供とは思えない美貌、ホリーさんと本当の母娘の様で、確かな演技に感心しっぱなしでした
エイダがスコットランドから荷物と一緒に持ってきたピアノはエイダの存在そのものの象徴と理解、そのピアノを夫となるサム・ニールさん演じるスチュアートは重いからと言って、いきなり荒々しい波打ち際の浜辺に置き去りにしてしまう
こんな事されればやられた方は誰でも修復不可能なほど傷つくと思います
この時点でエイダとスチュアートの結婚は始まることなく破綻していると思います
浜辺に野ざらしになっているピアノのもとへハーベイ・カイテルさん演じるベインズがエイダ母娘を連れて行き、その浜辺をバックにエイダがピアノを弾き、ベインズが聞き惚れるシーンは鳥肌が立つほど五感を刺激される、本作で一番 美しいシーンです
そしてベインズがそのピアノを自分の家に運び込み、調律してもらい、きれいに拭いて修復、エイダが弾くピアノの旋律に耳を傾け、その姿に見惚れ、エイダもその気持ちを受入れていき、やがて2人が禁断の領域に踏み込んでいく展開がとても切なく、この先 嫌なことが起きなければいいけど、と不安を掻き立てられ、それが目を背けたくなる展開に発展、最悪の気分になりました
でも最終的にはハッピーエンド(と信じます)ではあるので、最悪の最悪な気分からは救われますが、とにかく終始緊張感に縛られどっと疲れるので、軽い気持ちでは観れず、それなりの覚悟が要りますが、映画史に残る必見の名作だと思います
ピアノを中心に描かれた映画
良かった所
隙間がない美しい
哀しき人生にあらわれたタツノオトシゴ
品のある重厚な色彩が作りだす19世紀半ばの世界観。
人肌の温もり、鼓動をも伝えてよこすリマスター版に改めて驚嘆しながら4人の運命を息をのみ見守る。
音楽とともに1人の女性の逞しさとその娘の目線が身にしみてくるような作品だ。
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幼少期に自ら声を出さないようなったエイダには父との関係性に相当なトラウマがあったのではないかと察する。
そんなわけありを匂わす当時のエイダの声が綴る心の声と回想シーン。
そして今、辿り着いたニュージーランドの浜辺のただならぬ様子。
じわりと伝わる負のオーラがエイダとフロラ、スチュアート、べインズの出会いにあり、後ろの物憂げな雲がすんなりと混ざり合う。
押し問答の末、浜辺に残されたピアノを丘の道からみるエイダのまなざしの不安気なことよ。
ここまでで既に感情を直接音にできるピアノがエイダのどんな存在かということがよくわかる。
自分の行く場所にピアノがないことは一心同体の崩壊を意味する。
対して初対面で夫になる男スチュアート。彼はそれを察知できず理解しようともしなかった。
この時点でエイダがスチュアートに惹かれることはなく実父の政略的な結婚がますます仕方ないものになっだろう。
話せない母の気持ちを瞬時にすくい取り表してきた利発な娘・フロラは、母が気のない結婚することもわかっているし、母をとられるような気持ちが相まり拗ねている。
そんなフロラが、エイダに興味深々のスチュアートの叔母たちに話すエピソードは噂話に尾びれをつけるには格好の出だしだったのではないか。
夫婦として慣れていくことを気長にまとうとする善良な性格がみえるスチュアートの不安が湧いてくるのを煽る。
ピアノを諦めきれないエイダは原住民のごとく土地に馴染む厳つい雰囲気の白人ベインズに頼み込む。
一旦は断りながらも良心が動いたのか浜へ案内したベインズ。
波打ち際でのびやかな感情を鍵盤から紡ぎ出す姿は美しく、楽しそうに合わせて踊る娘をみつめるエイダにすっかり魅了されてしまう。
間も無くベインズはスチュアートに土地とピアノ+エイダから受けるレッスンを交換する約束をとりつける。
彼女のためにピアノを取り戻す方法だったが、彼女に近づく下心もあったようだ。
そんなベインズは、潮にさらされ、険しい山道の樹木にぶつかりながらやってきた傷んだピアノをきちんと調律させて待つ誠実さをみせ、喪失感で放心状態だったエイダをさらによろこばせた。
そして魅力的な彼女を前に彼の理性はきかなくなる。ピアノがなくてはならない心理につけ込み彼女に巧妙に、しかしストレートな思いを徐々に表しながら近づきはじめるのだ。
エイダに触れていくベインズに愛情が募り出すとそれが伝わるかのように、取引の壁を越え次第に彼女も彼に惹かれ出す。
ついにエイダの気持ちを振り向かせると互いを奏でるような繊細な時間が2人の心のひだを寄せて深めていく。
エイダは夢うつつで夜明け前にピアノを弾き、フロラやスチュアートに触れながら、我を忘れベインズを思い描くほどのめり込むようになるのだ。
妻の異変に気付きつつも真意にせまったり心の距離を縮められずにいるスチュアート。
母の意識が自分やピアノレッスンから離れベインズに向いているのを感じたフロラはこどもの素直さ故に父に告げ口した。
浮気の現場をこっそり覗いたベインズはすぐには割入らず彼女の様子をみているが、妖術使いだと周りに噂されるなか真実味を感じますます不安になる。
その状況でも「そのうち私を好きになるだろう。」と自分に言い聞かせるようにする彼は非常に健気でもある。
そんなある日、ベインズが引っ越すことを知りエイダは鍵盤を抜きベインズへのメッセージを書く。
あれだけ大切にしたピアノよりベインズへの想いが重要になっている決定的なシーンだ。
そしてそれを渡すように託されたフロラが湿地の踏み板をすすむが、逆方向の父の居場所へと進路を変える。
あの学芸会のごとく躊躇なく斧を手にする夫が急ぐのは妻の元だった。
たしかに気の毒なスチュアートではあるが、よりによってエイダの代弁者である娘の前で、エイダの心を謳うためのそれを容赦なき罰として切り落とす。
血をしたたらせながらも沈黙のまま水溜まりにふらふらと座り込むエイダが、私には残酷ななかに逞しい野生の本能を開花させていく美しい黒鳥にもみえた。
そして怪我からの発熱で苦しむエイダにの目がようやく覚めたときのスチュアートの姿。
エイダの黒い瞳は言葉以上に雄弁だった。
その動かぬ強い意志を受けとり、
彼はそこに映った自分の不甲斐なさを自覚せずにはいられなかったはずだ。
完敗を覚悟したスチュアートはベインズの元に向かい妻子連れてこの土地から去ってくれと告げる。
ベインズの指示の元、再び舟にピアノを積み荒波を出航した。
ベインズににぎられたちいさなエイダの手は彼の愛に満たされ、難航を予測し重いピアノを海に捨てるように言うが、ベインズはエイダの大切なピアノを最後まで運ぶという。
恋愛が成就してもエイダの大切なものをどうにか守りたいベインズの彼女に対する思いやりを噛みしめながらも
海面を撫でる哀しげなエイダが決心のあとの内心を垣間みせた。
無理もない、自分をひきちぎられるようなエイダ。
原住民たちの力強いかけ声とともに斜めに深い海の底に向けて滑り落ちていくと、とっさにピアノにつながる縄の穴に自分から足を入れたエイダは一瞬で海中へ。
あまりの唐突な展開に恐ろしいこれ以上ない絶望感が襲う。
しかし、一転。
見開いたエイダの目。
〝意志が生を選んだのか〟
靴を脱ぎ捨て危機一髪で垂直に浮かび上がり大きく息を吐くエイダ。
〝何という死〟
〝何という運命〟
〝何と言う驚き〟
予想を覆すクライマックスに
エイダの心の声が語る。
〝その力は私と多くの人を驚かせた〟
エイダ自身も驚いたその力とは、ようやくみつけた真実の愛の力だった。
心の声はまた語る。
〝夜は海底の墓場のピアノを想い
その上をただようじぶんの姿を見る
海底はあまりにも静かで
私は眠りに誘われる
不思議な子守歌
そう 私だけの子守り歌だ
音の存在しない世界を満たす沈黙
音が存在しえない世界の沈黙が
海底の墓場の
深い深いところにある〟
あの時エイダの過去は死んだのだ。
そして今もそれはピアノと繋がれて海に漂う。
そして、生まれ変わったエイダの幸せな笑顔が北の地にある。
再び出はじめた声。
そのままのエイダを愛するベインズ。
不安を目の当たりにして心配したが相変わらず元気なフロラの姿もみえた。
母娘とベインズが歩いた浜辺に貝で描いた美しいタツノオトシゴが、この数奇な運命の道すじを示唆していたかのように思えた。
修正済み
追加済み
すべてがピアノに集約されるシナリオのうまさ
よく名作として名前のあがる作品なのだが、未見だった。
さすがに高い評価を得ているだけあって、すばらしい。
登場人物は少ないし、ジャングルの奥地にある集落みたいなところでほとんどの物語が展開する。それでも歴史大作を観たような気分にさせられる。ちなみに製作費は700万ドルで、chatGPTに聞いたら、当時の為替で8億7500万円相当だそうだ。どこで使ったのかわからないが、さほど低予算でもない気がする。
それはともかく、主演のホリー・ハンターは、観ていてずっと「こんな顔だったっけ」と思っていて、観終わってからネットで画像を調べたのだが、映画に出ていた彼女とどうしても一致しなかった。この感覚は「ゴッド・ファーザー」でアル・パチーノがマイケル・コルレオーネにしか見えないのと似ている。
時代は1852年。主人公のエイダは、娘のフローラとともに、スコットランドからニュージーランドへ。そこには入植者のスチュアートが待っていた。彼は、エイダの夫になる人物だった。
エイダは6歳の時から話すのをやめていた。そのかわり、ピアノを弾くのだった。
スチュアートはエイダのピアノに理解を示さず、到着した海辺に放置したまま、彼女をジャングルの奥地にある自分の家につれていく。そこには先住民のマオリ族もいた。マオリ族の男べインズは、エイダに興味を持つ。スチュアートが土地を欲しがっているのを知っており、エイダのピアノと引き換えに土地を売る。そして、エイダには、自分にピアノを教えてくれたら、ピアノを返そう、という。
エイダはピアノを弾くが、べインズは本当はピアノを習う気はなくて、エイダとふたりきりになりたかった。彼の要求にこたえるたびに、少しずつピアノを返していく、という取引をする。
やがてエイダはべインズに惹かれていく。
これは行きて帰りし物語の構成で作られた恋愛映画だ。
作中でエイダが弾く曲は、彼女の心境を反映しているのだろうか。なんという曲を弾いているのかわからないので、気になった。物語が進むにつれて、演奏する曲は、どのように変化していったのだろうか。べインズに対する気持ちを、曲の変化に沿って感じることはできるのだろうか。
エイダがピアノに執着しているのは、映画の冒頭からあきらかで、海辺に迎えにきたスチュワートに、どうしてもピアノを運んでほしいと頼んだにもかかわらず、スチュワートはピアノを放置する。しかし、べインズはエイダを手にいれるためにはまずはピアノを手にいれる必要があると見抜く。やっぱり、女性は自分を理解してくれる男が好きになるよな、と当たり前のことを思った。男も、自分を理解してくれる女性を好きになるわけだし。
ただ、スチュワートがだめな奴かというとそうでもないのかもしれない。当時はまだ女性は所有物だったのかもしれない。そうは言いつつ、スチュワートがなぜエイダをめとったのか、疑問は残る。スチュワートは他の人間に対して「金はないぞ」という発言もしている。エイダは家事もしなくて、ただいるだけなのだ。金もないのに、なぜスコットランドからエイダを招いたのか。これは疑問だった。
他にも謎はある。
なぜ、エイダは6歳で口をきけなくなったのか。
フローラの父親はもちろんエイダの夫だろうが、それは誰なのか。というか、フローラが父親について語るくだりがあるが、それは本当なのだろうか。
説明されない疑問が多々あるにもかかわらず、本作はすばらしい。役者や音楽の良さはもちろんある。それだけでなく、「The Piano」という原題の通り、物語のすべてが一台のピアノに集約されるというストーリーテリングのうまさにあると思う。
ピアノの音という言葉を理解すること
6歳の時に、自分でも説明できないが、声を出して話をしなくなったエイダ。前の夫は無くなり一人娘のフローラと一緒に、未開の地ニュージーランドへ嫁ぐ。荒れる海、ぬかるみの密林に「チャタレイ夫人の恋人」に似た雰囲気を感じた。半分現地人のようなべインズは、彼女のピアノと土地を交換して、ピアノのレッスンをしてくれるよう願い出る。
流麗なピアノの調べを聴きながら、べインズが少しずつエイダに近づいて、触れて、匂いを嗅ぎ、服を脱がせていくのは、女性にとってエロチックな時間。エイダの言葉であるピアノをずっと聴いてくれて、見つめられ、少しずつ距離を縮めてくるべインズは、エイダのルールを尊重しながら、口説いてくる逞しい男性に見えたのではないか。逆に夫のスチュワートは、彼女の大事なもの、ルールを理解しようとしていない。エイダとスチュワートが結ばれるシーンを覗き見しているのも、エイダの性的能力を確認するかだけのようで、その後、無理やり関係を結ぼうとするのも、エイダを理解していない。娘のフローラも、周囲の人々の価値観に染まり、エイダのことを本当に理解していなかった。スチュワートが逆上して、エイダの右人差し指を切り落としたのには、「やっちゃった」感。エイダがスチュワートに触れていたのは、彼女の性が解放され、べインズを求める気持ちからの行動か。
エイダを諦め、べインズと祖国イギリスに帰ることになったが、船上からピアノを捨てようと切り出したのは、ピアノがあることで、べインズ、娘、自分の命まで危険に晒すから。
彼女は、もう既に孤独ではない。愛する人がいる。今までの孤独な過去の自分に決別するために投げ捨てた。ピアノの縄が絡みついて、(一瞬、自殺かと思ったが)海中深く引きずり込まれるが、そこから靴を捨てて、這い上がったのには彼女の強い生きる意志を感じた。
厳しい自然と、不便な時代に、不器用な、しかし、並外れた強い意志の女性。その女性が、自分のために骨を折って、愛してくれる男性と出会って、激しい愛が芽生える物語だった。
監督は、女性と聞いて、女性の自立、女性と男性のもつ言葉の意味の違い、すれ違いを、言葉を発しない代わりにピアノを演奏する女性という設定で描いたようにも見えた。
やっと鑑賞
無垢なるはピアノの音色だけ
ホリー・ハンター演じるエイダのまるで人形のような美しさが印象的だった。
幼い時から言葉を話すことを止めてしまったエイダにとって、美しいものは亡き夫との思い出と分身のようなピアノだけ。
それ以外のものは極端に猥雑に描かれているように感じた。
マオリ族も白人も、彼女の新たな婚約者であるステュワートも、唯一血の繋がった一人娘のフローラでさえも。
ステュワートは彼女の分身であるピアノを重くて運べないという理由で浜辺に置き去りにする。
後日、白人でありながらマオリの刺青を施したベインズに、彼女は砂浜まで連れて行って欲しいと頼む。
砂浜でピアノを弾く彼女の姿を見て、ベインズはピアノと自分の土地を交換しないかとステュワートに持ちかける。
最初は真心からエイダのためにピアノを運ばせたかのように思われたが、結局彼が欲したのは彼女の身体だった。
ベインズはレッスンを一回受けるごとに、ピアノの黒鍵を彼女に返すと誓う。
レッスンの間だけ、エイダは卑猥な要求をされるものの、自由にピアノを弾くことが出来る。
時折狂ったようにピアノを弾く彼女の姿が印象的だ。
最初はベインズを拒んでいたエイダだが、次第に彼に心を惹かれるようになる。
そして彼と身体を重ねるピアノレッスンだけが彼女の心をときめかせる時間となる。
エイダがベインズと関係を持っていることを突き止めたステュワートが、現場に乗り込むわけではなく、床下に隠れて行為の一部始終を覗く姿も異様だ。
そして告げ口をすればどんな悲惨な事態になるか想像が出来るはずなのに、フローラはエイダがベインズへの想いを綴った鍵盤をステュワートに渡してしまう。
怒り狂ったステュワートは斧でエイダの指を切り落とす。
すべてが狂っている中で、ピアノの音色だけが美しく響く。
それこそほとんどの場面が猥雑であるにも関わらず、ピアノの音色とエイダの美しさによってこの映画はとても神秘的な印象を観る者に与える。
最終的にステュワートは自分ではエイダの心を救えないことに気がつき、ベインズに彼女を託す。
過去に鑑賞した時は、ピアノと共に海に沈むエイダの姿が印象的だったので、そのまま彼女は死んでしまったものと記憶していたが、実際は自力で海上に這い上がった彼女はピアノの教師として新たな人生を送るというラストだった。
時折海底に沈むピアノを夢見ながら。
全編を彩るマイケル・ナイマンの音楽がとても心に沁みた。
けっこうよかった
上流階級のお嬢さんの、ピアノの稽古と恋愛を描いた文学作品みたいな映画かと思ったら、全然ちがう。舞台が未開のニュージーランドで、原住民にピアノを教えていたら体の関係になる。主人公はバツイチ子持ちで再婚、口がきけない。いろいろな要素が想定外でびっくりした。主人公が頑固な性格で、距離を置きたいタイプだ。気の毒な身の上ではあるが、あんなのに振り回されるのはまっぴらだ。ピアノが潮につかったり、ドレスが泥だらけになったり、虫も多そうだし未開の地の生活はしんどい。
ニュージーランドとピアノの音が素晴らしい
有名だけどエロくてなんか大人の話らしい。
と勝手に思ってたのがもはや四半世紀以上前。
大人になってだいぶ経ちようやく観ると、
それはエロという表現でなくて
官能的な作品であった。
ピアノの有名なテーマ曲も勿論よいのだが、
映像美というのか、印象的なシーンが多く惹きつけられた。
写真みたいなワンショットが綺麗。
あのMr.ホワイトだったハーベイカイテルを上回る狂気の沙汰の主人公エイダがインパクト凄すぎ。
海に沈むピアノと心中するつもりにみえたけど、沈んだ自分を捨てて生きることを選んだ強すぎるエイダ。
女は簡単に死を選ばない。
こういう映画ってそうそうないのかもなあと思った。
美しくて強い
海岸に置かれたピアノ、海に投げ込まれたピアノ、この二つをみることができただけで満足しました。いつも大荒れの海、雨がよく降り空も暗い。森は鬱蒼として下は泥だらけ。明るいイメージがまるでないニュージーランド。
色の白い痩せた、子どものようなエイダ演じるホリー・ハンターに魅入られました。映画「クラッシュ」での印象(革と金属と松葉杖)しかなかったけれどこの映画の彼女はピアノ演奏含めて素晴らしい。声が出なくても表情と手の動きの強さと強い目、相手を少し見上げる目には誰もが心臓を掴まれる。そしてハーヴェイ・カイテル!少し野蛮で重くて純情で切ない役が素敵だった。役の幅がとても広い俳優!
フローラ役のアンナ・パキン、存在感あり重要な役どころを上手く演じていた。母親とは親子というより友だちのような恋人のような、あるいはフローラが母のようなそんな関係だった。
テーマ曲のピアノソロが今でもずっと頭に残っている。
弱い心を克服して、自分の為に生○○○を選ぶ♥
なんて馬鹿な男どもなんだろう。男なんてこんな者。
馬鹿な旦那は、拒絶される意味が分からず、馬鹿な間男は、中途半端な愛しか与えていない。
つまり、結論はそう云う事だ。
が、しかし、もう一捻りあった。
やはり、そこには女性の賢明な気持ちと判断がある。
物欲が静寂の中に没して、真実の愛に変わるってことだなぁ。
傑作だ。
やっぱり、女性の監督だ。
クラシック音楽をほとんど使わず、ちょこっと、ショパンの
『英雄ポロネーズ』
洒落ている。
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