「譲らない女、魅了された男、理解できない男」ピアノ・レッスン(1993) 星のナターシャnovaさんの映画レビュー(感想・評価)
譲らない女、魅了された男、理解できない男
随分以前に衛生放送とかで鑑賞して以来の
映画館での鑑賞。
いや〜〜画面が美しい〜〜。
特に象徴的なのは
浜辺に置き去りにされたピアノ。
そこにあのテーマ曲が流れると
もう無条件で「名作」決定!!!
19世紀半ば。主人公のエイダはスコットランドから
ニュージーランド入植者のスチュアートに嫁ぐため、
娘フローラと1台のピアノと共にやって来た。
彼女に何があったのは説明されていないが
6歳の時に言葉を捨てていて
感情の全てをピアノで表現していた。
彼女の言葉と等しいピアノを
夫となるステュアートは、
「重いから」と言う理由で浜辺に置き去りに
あろう事か土地の顔役で地主のベインズに
勝手に売り払ってしまった。
ピアノをエイダの夫から買い取った地主のベインズと
エイダの関係の変化に目が離せません!
で、月に8回くらい、映画館で映画を観る
中途半端な映画好きとしては
随分以前に衛星放送とかで観た時は
女性の権利等何も無い時代の
可哀想な女性の話の様に勝手に思い込んでいたけど
4Kリマスターで改めて観てみたら
結構とんでも無い女の映画だったわ‼︎
この作品は監督と脚本が
ジェーン・カンピオンが兼ねているので
なぜ、主人公のエイダが6歳で言葉を捨てたのか?
なぜ、エイダの夫のことが子供のおとぎ話でしか
語られないのか?
そこは、都合よく何もヒントがありません。
ただエイダと言う恐ろしく意志の強い女性の
その強さに魅了されてしまった男と
その強さを抑えつけようとした男と
実はどちらがこの先、穏やかな人生なのだろう?
最後の方、エイダと共に島を去るベインズの行末が
ちょっと気の毒になってしまった。
エイダの強さは、誰かを守る強さではなく、
あくまでも自分を通すための強さに私には見える。
自分を通す強さを女性が持つことは悪いことでは無いけど
私が若い頃、嫌な女だと思った「風と共に去りぬ」の
手段を選ばないスカーレットでさえ、
その強さは愛するタラの土地を守る為だったけど
エイダの強さは「自分を通すこと」だけに
偏っている気がして同じ女性としては
あんまり好きになれなかったです。
強さと言う点ではこの作品が最初に封切りされた当時に
聞いた話なので正確では無いかもしれませんが
エイダをぜひ演じたいと手を挙げたホリー・ハンターは
カンピオン監督から「イメージでは無い」と断られたとか。
それを粘りに粘ってこエイダ役を勝ち取ったホリーもまた
強い女だったと言うことだったのでしょうね。
映画を見直して、この逸話を思い出しました。
エイダ役を決めるときのエピソード、ありがとうございます。
なるほど、その強さは必要でしたね。
娘が可哀想におもえた母の突っ走り様…トラウマになるかと思いきや、ラストの姿はあいかわらずで安心しながら、母よりさらにたくましくなりそうな予感が😅