「19世紀半ばの物語。 エイダ(ホリー・ハンター)は6歳の頃にしゃべ...」ピアノ・レッスン(1993) りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
19世紀半ばの物語。 エイダ(ホリー・ハンター)は6歳の頃にしゃべ...
19世紀半ばの物語。
エイダ(ホリー・ハンター)は6歳の頃にしゃべることを拒否し、その後は手話やピアノを弾くことで周囲とコミュニケーションをとって来た。
結婚し、娘も生まれたが、夫とは死別。
ニュージーランドの入植者スチュアート(サム・ニール)のもとに嫁ぐことになり、娘フローラ(アンナ・パキン)とともにスコットランドから移住してきた。
当然、エイダの魂ともいえるピアノとともに。
しかし、海岸まで迎えに来たスチュアートは、屋敷までの悪路を理由にエイダのピアノを海岸に放置していった・・・
というところからはじまる物語で、今回のリバイバル上映の予告編で流れるピアノ曲は、海岸に放置されたピアノをエイダが崖の上から眺めるシーンで初めて流れる。
この演出で、ピアノがエイダの魂・心であることが象徴され、スチュアートとエイダの関係が示されることになる。
数日のち、エイダはスチュアートが留守の際に、先に入植し、現地人との通訳も兼ねている粗野な地主ベインズ(ハーヴェイ・カイテル)に頼み込んで、ピアノのある海岸までフローラとともに連れて行ってもらう。
久しぶりに自身の魂に触れたエイダは心からピアノを弾き、フローラは波打ち際で楽し気に踊る。
その様子を見ていたベインズは、エイダの人間的な表情に惹かれ、この女性を自分のものにしたいと願う。
ベインズは策を弄す。
自分の土地とピアノを交換しようとスチュアートに持ちかける。
エイダは、ピアノは自分のものだと主張するが、スチュアートは受け入れず、結果、ピアノはベインズのものになってしまう。
が、ベインズはエイダにとって、どれほどピアノが大事かを知っている。
エイダからピアノのレッスンを受けたいとスチュアートに持ち掛け、レッスンに来たエイダには、レッスンごとに鍵盤ひとつ分ずつエイダに返却すると申し出る。
しかも、自分に教えるのではなく、エイダの自由にピアノを弾いてよい、自分はそれを見るだけだ、と。
そして、奇妙なレッスンがはじまる・・・
と展開するわけだが、ここまでではエイダにとってピアノが魂・心であることは、ベインズは(たぶん)知らない。
大事なものだが、そこまでのものとは知らない。
が、観客はピアノがエイダの魂・心だと知っている。
エイダは自分の心を取り戻したいのだ。
エイダが欲しいベインズの要求は次第にエスカレートする。
弾いている腕に触らせろ、上半身のドレスを脱げ、スカートの裾をあげろ、と。
それまで禁欲的だったエイダは、ピアノを弾き、自分の魂を取り戻しつつある中で、異性に触れらることによって、性的な欲求が湧きだしてくる。
ここの描写、初公開時に観たときに、かなりエロティックと感じたわけです。
今回もエロスを感じたわけだが、こちらは歳をとった。
やや冷静に観れるようになり、ジェーン・カンピオンの演出に注目できるようになりました。
禁欲的な黒いドレスの上半身を取ったエイダの下着は白く、その対比が上手い。
ピアノを弾くエイダの腕に触れるベインズの手の描写も上手い、と。
この後の展開はドロドロの嫉妬の物語。
スチュアートもさることながら、これまでエイダを独占してきた娘フローラの疎外感は強くなり、エイダを裏切り、スチュアートに不貞を密告してしまう。
ピアノを介在してエイダの肉体を手に入れたベインズは、結果、エイダの心も手に入れる。
エイダも肉体が先だったかもしれないが、結果、閉じ込められていた心をベインズに対して解放する。
最終的には、エイダはピアノを弾く手にパッションを受けるわけだが、それを補完するものがベインズから与えられる。
これまで、エイダの閉じ込めらた魂・心の象徴だったピアノは、閉じ込められていたエイダとともに海の底に沈む。
いやぁすごい映画だった。
こんなにすごい映画だったとは、初公開時の若い自分にはわからなかった。
今年観た中では最上級の映画でした。
衝撃的な展開でしたね。
そして美しい映像と音楽がいつまでも残ります。
私も〝こちらも歳をとり〟に納得。
公開当時分には曖昧だったことについて腑に落ちるという、改めての鑑賞となりました。