春のソナタのレビュー・感想・評価
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春の優しさ、自然な優しさ
「自然な呼吸の感じられる映画を作る」と言うのは、簡単なようでいて、実は難しいのではないかと常日頃思っています。人物の微妙な表情や囁くようなセリフを、時間の流れそのままに写し取ることができる映画は、自然さをとらえることにおいて、演劇よりも、より親和性があるように思いますが、映画を時間の芸術だと言って長回しを多用したタルコフスキー作品や、同じく長回しを特徴とするアンゲロプロスの作品には、詩的創造はあっても自然な呼吸は存在しなかった様に思います。
美しい春の花がいっぱい咲いた別荘や、カントの著作を題材にした哲学談義等々、あくせく働くわが日常とは隔絶された、なかなかの異空間なのですけれど^_^、そこで波紋のように広がり、様々な表情を見せる感情の動きは、異空間でもなんでもなく、私のような平凡な日本人でも手に取るようにわかりやすく、かつ自然に呼吸できる、不思議な豊かさの感覚に溢れている様に思います。
ぎくしゃくしていたその関係が、まるで春風になびいて、花びらが地面に落ちるような偶然の出来事をきっかけに、ホッと溶解した時、画面いっぱいに、溢れ出る自然な優しさの感覚。その感覚が「春のソナタ」と言う軽妙で、素敵で、繊細な味わいを持つ一片の音楽であるということに気づくのにあまり時間はかかりませんでした。エリックロメールの「四季の物語」の中では、本作が一番好きです。
穏やかな春風に眠気を誘われて
淡々とセリフのみで展開する、あまり起伏のない心理ドラマでした。主人公の中年女性が一時的にやっかいになる家庭の環境が複雑で、離婚したあと自分の娘と同年代の恋人がいる父親と、逆に父親と同年代の彼氏がいる娘というのが、なんともフランスらしい設定です。ドラマの前半は丁寧でゆるやかな流れで眠気も来そうですが、後半は娘の言動により父親と恋人のキャラが露わになってくるのでやや盛り上がってきます。一方、春のフォンテーヌブローの美しさやパリのアパルトマンの内装など、映像が魅力的です。また、日常会話のセリフもきれいでわかりやすく、フランス語を勉強している人にはいいかも。役者では、主人公の教師役のアンヌ・ティセードルの知的な美しさが際立っていました。
肩パットとニトリの家具と
最近映画を三倍速で見る若者が多いことが気になっているけど(非難ではなく、社会・時代背景に伴う事実として興味深い)、ロメールの映画を見ているとつくづく三倍速に向かないよなあと思う。
例えば、パートナーが旅行中の部屋の汚れ方が許容範囲を超えている場合。片付け始めるけど、一人ぼっちで片付けたところで何が楽しい?、、、と早々に出て行くシーン。そこには独白もBGMも何もない。必要な秒数が割かれた映像のカットの積み重ねだけ。世紀をまたいで久々に見るシーン。変わらない、自分の中の乾いた部分に井戸水が沁みる感じというか。ところで、80ー90年代はパリのインテリ女性たちも、あんな風な肩パットの入った、体の線を拾わない白衣みたいなジャケットをまとっていたんだなあ。小気味好い小道具としての照明器具、そのディフージョン版が今ならニトリで5000以内で買えるなあ、と妙に感心した。
年は重ねたけど、音楽と哲学を堂々と語れる大人にはなれなかったな、自分。でもいいんだ、こういう映画を楽しめる環境に生きることに感謝。
首飾り見つかったぜ
30ぐらいの女性が10歳年下の同姓に懐かれるまではいいものの、自分の父親と付き合わせようと仕向けるってどうですかね。私なら気味が悪いと思う。ロメールは若い女性をよく撮るけれど、あまり願望や欲望を込めないのは、これを撮っているときもジジイだから、若い女性を眺めるという感覚なのかな?エーヴのように舐めた態度をホストに対してしたら、帰れと言うのがベターだけれどフランスではそれはタブーなのか。いくらチャラチャラした派手な仕事で自分に酔っても良いけれど、相手の仕事を見下すのはキレる。そもそも美術ライターなんて仕事と言ってはいいけど、生業ではない。そんなに文化人が偉いと私は思わない。
あと、年寄りと付き合っている女性はそもそも野心家なのかもしれない。その視点を与えてくれたので良い鑑賞体験になった。それにしたって、あなたの生き方って詩的ね。なんて言われたら悪い気はしないだろうが、第三者なら笑いだしてしまうだろう。
ロメール監督「四季の物語シリーズ」第1作目
エリック・ロメール監督の「四季の物語シリーズ」第1作目。
1人の女性教師の日常から始まり、3人の女性と1人のオヤジによる確執・疑念などを描いた映画。
日常から逸れるが、それも日常…といったことをロメールは描きたかったのかも知れないなどと思ってしまった。
高校の哲学教師の女性ジャンヌが、ある部屋に入ると、カメラはその部屋をなめるように撮るのだが、なんと汚い部屋。ジャンヌの彼氏の部屋のようだ。
そのため、ジャンヌは自分の部屋に行くが、従妹の女性に部屋を貸していて彼女の彼氏まで部屋にいる占拠状態。
居場所ないジャンヌに1本の電話がかかってきて、パーティに誘われたので、大勢の人達がいる部屋に行く。そこで、やはり1人で来ていたナターシャという若い女性と出会う。
ジャンヌがナターシャに「プラトンが論じた『ギュゲスの指環』の話をするあたり」は、哲学教師らしい。
そしてナターシャの家に2人で移動するのだが、ナターシャの父親は若い女性と付き合っていて、この4人の物語が始まる。
しかし、感情むき出しにして会話するあたりは凄いな…と思う。
ロメール映画を観ていると、フランス式恋愛のいろんなパターンを見せられて、やはり楽しい。
(CSザ・シネマ録画鑑賞)
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