巴里の女性のレビュー・感想・評価
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チャップリンの発展途上的作品ながらも、最終的に「ライムライト」という感動作を…
未鑑賞のサイレント時代の チャップリン作品だったが、 日本映画が対象となっていなかった 1924年第1回のキネマ旬報ベストテンでは、 “芸術的に最も優れた映画”部門で 堂々の第1位だった作品。 しかし、専門家には賞賛されたものの、 チャップリンらしからぬ作品として、 興行的には失敗したシリアス劇であると ネットの解説にあった。 この作品、贅沢な愛人生活よりも、 人の想いを知っての “巴里郊外の女性” となった主人公には 流石にジーンと来るものがあった。 しかし、全体的には不満が残る。 レストランのバックヤードでのエピソードや 上流社会の乱痴気パーティ等に 時間を割く割には、 主人公が富豪の愛人になる経緯や、 画家の男性の 交際に反対していた母親を連れてのパリ登場 などが唐突過ぎてはいないだろうか? また、レストランのシーンで 意味ありげに登場する富豪の女性やその息子 はそれっきりだったが、あの意味は? そして、間違いにしては あからさまに偶然過ぎる2人の再会、 更には、画家の男性が いきなり拳銃を持ち出すという これも唐突過ぎる設定、 等々のまとまりに欠けた作品と 言わざるを得ない印象を受ける。 敬愛するチャップリンの 初期サイレント作品ではあるが、 まだまだ発展途上的作品には感じた。 しかし、 その後のチャップリン映画は名作揃いで、 最終的に彼は、 我が生涯におけるベスト10映画の一つ 「ライムライト」という感動作をも 私に届けてくれたのだった。
芸術的勝利‼️
チャップリンが主演しない唯一の監督作品で、シリアスなんですが、かなり完成度は高い作品です‼️ヒロインのマリーは恋人と駆け落ちするはずが、運命のいたずらで一人でパリへ。富豪紳士の愛人となって社交界の花形になる。恋人もパリへ出て画家となるが。またも運命のいたずらから恋人は自殺。最愛の息子を失った母親と、最愛の恋人を失ったマリーは理解し合い、故郷で孤児院をはじめる・・・‼️駆け落ちを約束した駅で、マリーの体に列車の窓から漏れる明かりが右から左へ当たるシーンは名場面‼️さらに馬車と自動車がすれ違うラストシーンも超名場面‼️微妙な女ごころと愛の哀しさを、コメディ・キングのチャップリンが描いた点が、この作品の価値をさらに高めてますよね‼️
【”幸福の秘訣は、他人に尽くす事”愚かしくも愛らしい女性の、波乱の半生をチャールズ・チャップリンが監督に徹して描いた作品】
■恋人で、絵描きのジャンと駆け落ちをする約束をしたマリー(エドナ・パーヴァイアンス)。 しかし、駆け落ちの夜、父親が急逝したジャンは駅に行くことができず、何も知らないマリーは失意のなか1人汽車に乗り、巴里に行く。 巴里で富豪の紳士ピエールの愛人となっていたマリーは、彼女と別れた事を悔いて巴里に来たジャンと偶然再会する。 ◆感想<Caution!内容に触れています。> ・軽やかな音楽が流れるサイレント映画だが、内容は可なりシリアスである。 ・特に、ジャンが又会いたいとマリー宛のメモを、レストランでピエールに呼ばれ同卓に座ったジャンが見た時に、激昂し自ら拳銃自殺するシーンからの、ジャンの母親が銃を持ちマリーを殺しに行く形相や、マリーに会えずに自宅に戻った母親が、ジャンの遺骸を抱きかかえ、涙する姿を見て銃を静に置くシーンなどは、観ている方もしんみりする。 <特に、マリーがジャンの母親と孤児院を営むようになり、オンボロな馬車に乗って出かけるが、その脇を猛スピードで逆に車を飛ばすピエールと共に、お互いに相手に気付かずにすれ違うシーンなどは秀逸である。>
幸せとは何か
フランスの田舎町で暮らすマリーは、恋人ジャンとパリへ駆け落ちすることを決めたのだが、その夜、ジャンは父親が急逝したため駅へ行けず、マリーはひとりでパリに行った。1年後、マリーは富豪ピエールの愛人として不自由のない贅沢な暮らしをしていた。そんなある日、彼女はパリで画家になっていたジャンと偶然再会した。ジャンはまだマリーを好きだったが、マリーは・・・てな話。 チャップリンぽくない作品。 駅で待ってるマリーが電話をかけてきた時に、父が死んだ、と伝えて家に呼べば良かったのに、と思った。 幸せとは人のために尽くす事で得られる、何とも奥深い話だと思った。
チャップリン
冒頭で「私は出演していない。はじめての喜劇でない映画」と注釈が入る。 前半の駅のシーンがすごく良かった。窓からネックレスを落とすシーンやラストのすれ違いそのものを演出する手法。ジャンとマリーのすれ違い以上に全体を表現していました。 ジャンの暗さと未来を感じさせるエンディング。対比が上手かった。
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