バニシング・ポイントのレビュー・感想・評価
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ラストシーン
覚醒剤で眠気を誤魔化しながら猛スピードで走り続ける主人公。
そんな主人公を捕まえようとする警察、反社会的なヒーローへと祭り上げるスーパーソール、砂漠のヒッピー達、そして野次馬。それらは全て主人公が受け入れられない社会の象徴でなのだろう。だからこそ、主人公は納期に関係なく車を疾走させる、社会に取り込まれないようにと。
最後、覚醒剤のせいか薄っすらと笑みを浮かべたまま鉄の壁に突っ込む。その時、主人公は何を見ていたのだろうか。
衝撃的なシーンだが、目撃した野次馬の中には、すぐに立ち去る者もいる。そんな野次馬が今の自分と重なってしまう。まるで、お前はいつから低俗なワイドショーの視聴者に成り下がったのだ、と糾弾された気分になった。
途中から主人公と関わる女性が、ブロンズの長いストーレートヘアーの女性ばかりなのが気になった。ただの流行なのか、死んだ恋人を忘れられずにいることの現れからなのか。
まあまあだった
90年代にプライマルスクリームがこの映画に感銘を受けて同じタイトルのアルバムを作って、その時レンタルビデオで見て以来だ。そのアルバムはずっと聴いているんだけど、さっぱり結びつかない。何度聴いてもぴんと来ないアルバムだ。
当時はバイクしか運転していなかったけど、今は毎日車に乗っているのでさぞグッとくるだろうと思ったら、そうでもなくてぼんやりとした魅力しか感じない。けっこうだらだらした展開で、スリルが特にない。あんな荒れ地をFR車が走ってスタックしないのかとか、ほらパンクしたぞ、とかガソリンは2回しか給油してないけど大丈夫かとか、変なスリルは感じた。全裸でバイクに乗ってマフラーでやけどするぞとか、車体の下をこすってるとか、蛇に嚙まれないかとか。そもそも車の陸運なのに、ぶつけていいのか。
プライマルスクリームはツアーバスでドラッグをしながらこの映画を見ていると最高だみたいなことを言っていて、確かにそうかもしれないけどこっちは酒くらいしかない。ジョンレノンが『エルトポ』はLSDを決めながら見るのが最高だと言ったとか、『2001年宇宙の旅』はLSDを決めてみるのが最高だとか、そういうの本当に知るかと思う。
新車を自分で運転し目的地へ運ぶことを仕事としているコワルスキー(バ...
新車を自分で運転し目的地へ運ぶことを仕事としているコワルスキー(バリー・ニューマン)。
今回の「白のダッジ・チャレンジャーの陸送、コロラド州デンバーからサンフランシスコまでの2000キロを15時間で」という賭けを行きつけのバーの店主と行う。
出発早々、スピード違反で追いかけてきた警官を振り切ったコワルスキーだったが、警察無線を傍受していた地方ラジオ局KOWの盲目の黒人DJ・スーパー・ソウル(クリーヴォン・リトル)は、それを痛快に電波に乗せて応援する。
白のチャレンジャーで疾走するコワルスキーの脳裏に、過去の出来事がフラッシュバックのように過っていくが・・・
といった物語で、巻頭はエンディングの少し前からはじまる。2台のブルドーザーが道路をふさぎ、警官が立ち並ぶ中、やじ馬たちが三々五々やって来る。
ここが「バニシング・ポイント」、雲散霧消、すべてが消えてしまう場所というわけだ。
子どもの頃にテレビで観た記憶があるが、ここから始まっていたのね。
ラストは憶えている。
が、疾走するコワルスキーの脳裏を過る過去のエピソードは、すっかり忘れていました。
映画に登場する順ではなく、時系列順に整理すると、
1. ベトナム戦争からの帰還兵だったこと(戦闘シーンなどはない)
2. 警察官だったこと
3. 同僚警官が逮捕した少女に乱暴を働くのを阻止して失職したこと
4. カーレーサーで事故に遭ったこと
5. 恋人がいたが、死んでしまったこと
となり、現在は、ヤク中といってもいいほど荒れている。
初期のベトナム帰還兵物語だったわけですね。
翌1972年に同じく二十世紀FOXで製作された『ソルジャー・ボーイ』(リチャード・コンプトン監督、ジョー・ドン・ベイカー主演)に雰囲気は似ています。
さて、コワルスキーは、自己の存在証明を賭けてチャレンジャーで疾走しているわけにすぎないが、いつしかスーパー・ソウルの放送によって民衆から英雄視されてくる。
しかし・・・
自分は英雄でもなんでもない。
英雄だというのなら、ベトナムから帰還した際に、そういって讃えてほしかった。
讃えてくれたかもしれないが、あれは見せかけだった。
その上、国に殉じようと警官に転じ、正義を貫こうとしたが石持って追われてしまった・・・
俺はただのくたばり損ないだ。
こんなことならベトナムで死んだ方がましだった。
事故で死んだほうがましだった。
警察に盾突いてんじゃないんだよ、権力に盾突いてるわけじゃないんだよ。
そうだよ。
みんなは何が見たいんだ。
ほんとに見たいのは何なんだ。
権力に盾突く姿じゃないだろ。
戦争で戦う姿か?
レースで突っ走る姿か?
違うだろ。違うだろ。
見たいのは、英雄が戦って死ぬところだろ。
レースで爆走する車がクラッシュするところだろ。
見せてやろうじゃないか、見たいものを・・・
それが、バニシング・ポイントへ突っ込むコワルスキーの胸の内だったのではありますまいか。
だから、最後にニヤリと笑うのでしょう。
監督はリチャード・C・サラフィアン。
原案のマルコム・ハート、脚本のギレルモ・ケインともに、本作ぐらいしか作品がありません。
<追記>
「疾走だけが存在証明」というのは、後に『激走! 5000キロ』などのカーアクション映画に能天気な形で引き継がれます。
当時の雰囲気なのかな
・販売した車を移動する仕事をしていて途中に何故、なにかも嫌になったように警察を無視して突っ走たったのかがわからなかったけど、それが当時の感覚なのかなと思ったのと、目的が絶対に必要なの?と問われている気になり考えさせられた。
・全裸でバイクに乗って遊んでいるシーンが面白かった。
・盲目の黒人のラジオが楽しそうで良かった。すぐに考え込んだり、白人にぶっ壊されたりして暗くなってって可哀そうだった。
3つの視点を切り替えながら進む展開がカッコいい!
最初にクライマックスを見せてから、それまでの経緯を描く作品を見たのが初めてでとても面白かった!
カーチェイスと共に主人公サイド、警察サイド、ラジオ局サイドの3つの視点で物語を展開させていくのもハラハラして飽きずに観れた。個人的には警察を撒く為の作戦には驚いたなぁ…。
ただ、最後までハッピーエンドで終わるんじゃないかって期待してただけに、あの終わり方は哀しかった…。
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