「白いダッチチャレンジャー それはヒッピー文化の象徴であったのです」バニシング・ポイント あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
白いダッチチャレンジャー それはヒッピー文化の象徴であったのです
デンバーからシスコまで車を運ぶ仕事
シスコから持ってきた車をデンバーで引き渡して、とんぼ帰りでまたデンバーからシスコに違う車を運転して帰る
デンバーとサンフランシスコ間はインターステート80号線をずっーーと走りつづけて2000キロ
調べてみると高速で所要19時間とでました
これを主人公コワルスキーは15時間で走ると豪語します
平均速度133キロ
瞬間的にはこれくらいでることはたまにあることですが、平均速度でこれはクレージーです
もう時効ですが大昔、知人の車に同乗してこれくらいの勢いで湾岸線を千葉までとばしたことがあります
死ぬほど怖かったです
日本でいうと青森鹿児島間とおなじ
日本は山や峠が多く高速でも制限速度が80キロの道が結構ありますから所要25時間
シスコはもちろんサンフランシスコのことだと、誰でもそう思います
ところが、終盤でカリフォルニア州警察本部とおぼしきハイウェイパトロールの表示盤に二つの矢印で図示されていたのは、サンフランシスコではなかったのです
本当にただの「シスコ」
そこは表示盤の地図から推測するとインターステート80号線から南に160キロも下がった辺り
スーパーソウルが「ソノラへ通じるドアだけは汚い花が咲いてねえ」といった田舎町ソノラの次の町くらいの設定
田舎の街道がそのままサンフランシスコに通じています
本当のシスコの町はデンバーからサンフランシスコにむかうインターステート80号線の途中、ネバダ州からカリフォルニア州に入ってすぐ、サンフランシスコへは残り300キロの地点にある小さな田舎町
ですから劇中のシスコは、その名前を借りた一応架空の町です
そんな小さな町にデンバーと車をひんぱんにやりとりするような仕事なんかあるわけありません
本当の目的地はやっぱりサンフランシスコのはずです
素直にサンフランシスコと思わずに、警察はデンバーの車屋が「シスコ」とだけ言ったことを四角四面に受け取っただけに過ぎないのかも知れません
しかし、なぜ監督はそんなややこしい設定をしてのでしょうか?
普通に考えたらすぐわかりそうなことも、他人には謎に思えるものだということなのだと、言いたかったのだと思います
バニシングポイントとは遠近法の消失点のこと
砂漠の中を真っ直ぐに伸びるインターステート80号線
消失点から豆粒のように現れ、消失点の彼方に猛烈な速度で矢の様に去っていく白いアメ車
ダッチチャレンジャーのスーパーチャージ
タランティーノ監督の「デス・プルーフ in グラインドハウス」でリスペクトされていました
本作は60年代から70年代初頭のヒッピー文化の盛衰をその白いチャレンジャーのように超高速度で振り返って総括していくのです
60年代
キザな走り屋をクラッシュ
資本家連中なんかクラッシュだ
センターラインを歪ませる
ルールなんか糞食らえ
俺達はやりたいようにやるんだ
砂漠の干上がった塩湖の湖底
誰もやったことのない新しい道を進むんだ
俺達はパイオニアだ
ここから70年代
蛇獲りの爺さん
ちょっと待て、俺達とどこがちがうというんだ?
俺達の行く末かも?
ヒッピーコミューン
俺の目指していた世界とはなんか違う
こんなこといつまでも続くわけがない
ゲイカップル
目的地は同じなのかもしれんが、こいつらとは分かりあえない
ゲイだからいい奴だとは限らない
ヒッピーカップル
ここも俺は居心地が悪い
フリーセックスは良いが、俺には忘れられない女がいるんだ
俺の居場所はどこだ?どこにあるんだ?
だから彼はバニシングポイントに向けてまっしぐらに走るしかなかったのです
盲目のDJスーパーソウルは主人公をヒーローに祭り上げます
それは退屈しのぎの面白半分であり、彼自身の為のラジオを使った反体制な扇動に彼を利用してみようとしただけに過ぎません
だから簡単に暴力に屈して警察に協力します
しかし最後の最後で彼を「もうダメだ」と止めようとしたのは何故でしょう?
かれの目的が分かったからです
自分が暴力に屈して辛い思いをして初めて分かったのです
デンバーの黒人のチンピラも新聞で彼の過去を知って目的が分かったようです
彼からの電話に「バカなマネはするなよ」と言い、電話が切れたあと不安な表情をみせます
目的が分からない?
それは序盤からもう説明されています
途中で挿入されるコワルスキーの過去で、動機もわかるはずです
目的は明確なのです
なのに目的が分からないと警察は悩みます
目的地はサンフランシスコなのは自明の事なのに、カリフォルニア州警は小さな町「シスコ」だと頭から思いこんむのです
そんなことは始めから明白なことなのに
チョッパーバイクの気の良いあんちゃんから貰うドラッグはスピード(覚醒剤)
やるよ、すごくあるんだ
そんなに要らねえよ
じゃ要るだけ
どうも
一睡もせず砂漠の一本道を猛スピードで走り続けていたのですから必要だったのでしょう
前日も日中走りつづけてデンバーに着いたのです
2日は寝てないことになります
でもそんなことの説明にこのシーンはあるのでしょうか?
死に急いでいたのです
だからあれほどの走行速度(スピード)が必要だったのです
でも死ぬだけのスピードで十分なのです
人生の消失点に向かって彼はアクセルをベタ踏みします
ヒッピー文化を猛スピードで回顧するかのように西部を走り抜けていく白いダッチチャレンジャー
つまりその白いアメ車は、ヒッピー文化の盛衰そのものを象徴していたのです
そして未来へのバニシングポイントの手前で二つの鋼鉄の壁に阻まれ粉々になってしまうのです
ひとつは普通の一般社会の壁
もうひとつはヒッピー自身が野放図すぎた壁
そんなところだと思えます
カルフォルニアの美しい浜辺での記憶
冬のサーフィンで水死した恋人の思い出
それはヒッピー文化の終焉を意味していたのです
美しい甘美な思い出
今はもう取り戻すことのできない
もはや過去になりつつある記憶
ヒッピー文化の総括を本作は1971年に撮ってみせたのです
それ故に名作なのです