波止場(1954)のレビュー・感想・評価
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『仁義なき戦い』や日本の任侠映画はこの映画をリスペクトしている。
まぁ、言うまでもなく、搾取される側はそのままで、搾取する側の手先が変わっただけの話。
つまり、アメリカの資本主義経済は、姿を変えて温存されたと言いたいのだろう。
さて、この映画公開の数年前にカザンは赤狩りの公聴会に出ている。その彼が公聴会に出る男の話を、正義感あふれる姿で描いている。
我が親父はこの映画が好きだった。さて、親父も戦後まもなく国鉄時代にレッドパージの渦に巻き込まれたそうだ。その時、我が親父はどんな行動を取ったか?真実は分からない。しかし、親父は国鉄に残った。さて、だから、この映画が好きだったのか?と僕は思った。しかし、その二代目に当たる僕は、この主人公を好きにはなれない。所詮、ゴロツキはゴロツキ。暴力には暴力。つまり『仁義なき戦い』って訳だ。殺された兄チャリーもそれを分かっていたら、殺されずに済んだはずだ。勢力争いなのだから、てっぺん(頂上)取れば良いだけである。この映画はそう語っている。そして、今でも資本主義は姿を変え続け終焉を迎えていない。アメリカの地位はいずれこのボスの様になるだろうが。
エリア・カザンも恥ずかしげもなく、よくぞこんな映画を作ったものだ。
しかも
ペペ・ル・モコの『望郷』をパクってる。
自分なりのリベンジ
若かりし頃のマーロン・ブランド、今風のイケメンではない。ゴッドファーザーのドンがどうしても印象が強い。ストーリーは単純明快。少し間延びする。ゴロツキの悪が暴力でなく、証言して悪を追い詰めるが、ラストは自分なりのリベンジの仕方で、波止場に職を求めて乗り込んでいく。周囲も冷ややかな目で、組織にやられても助けないが、神父やヒロインに煽られ、遂に動く。もっと華々しく、悪をやっつけてほしいと思った。
ギャングの中のいい奴
波止場を牛耳るギャングのボスに立ち向かう話。結局あそこまで腐敗しきって危険を脅かされる状況では自分だけ立ち向かっても多くは助けてくれず、むしろ白い目で見られ迫害されていく、という描写にリアルさ感じた。
しかしその状況で、普通だったら証言を終えた後、迫害されるのを恐れ地元を去ってしまうであろう所を最後まで1人で戦い続けるところに主人公の強さを感じた。その反面そこまで行って初めてその他大勢が動き出すというのは大衆のダメっぷりを感じさせてくれた。
神父の主張が強烈なのが新鮮だった。
若い頃のマーロンブランドも見れて良かったが、リー・J・コッブという「十二人の怒れる男」にも出ている役者がいい味を出していた。
勇気が出た
勇気をきちんと正面から描いていて感動した。波止場の労働者どもは最初、主人公を冷ややかに見ていて、余計なことするなみたいな感じだったのに、主人公の頑張りに感化されてヤクザに立ち上がる。それは主人公の行動に感動したのだろうが、結局大勢につくようないやらしい感じもした。主人公がそのまま放置されたら、それはそれで悲惨なのだが、お前らのは本当の勇気なのかと問いたい。
神父が勝手に煽って、それで人が死んでも自分はそれほど痛い目に会わず、そこもいやらしい感じがした。お前は主人公や死んだ人ほど泥をなめているのか、と言いたい気分だった。
波止場を仕切っているギャング連中が、非常にふてぶてしく、悪者らしい素晴らしい存在感だった。
ヒロインもきゃんきゃん騒ぐだけで特になんの役にも立っていなかった。
ヒロインと神父の勝手な主張に振り回されて、お兄さんまで殺された主人公が気の毒だった。
勇気を持つことは素晴らしいのだが、それが果たしていい結果をもたらすのかどうか非常に疑問であり、そんなところもリアルでいい映画だった。
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