「繊細・真面目なご婦人にはオススメ出来ない」バッド・ルーテナント 刑事とドラッグとキリスト kokobatさんの映画レビュー(感想・評価)
繊細・真面目なご婦人にはオススメ出来ない
裏通りのスコセッシとも言うべきか、この作品の罪と贖罪のテーマは決して不真面目なものではないどころか大変真摯なものではあるのだ。
しかしいかんせん都会の悪徳という舞台と人物と描写が、俗物を極限まで追求したものとなって不快極まる舌触りへと仕上がっている。
それもまた取り上げたテーマである、罪を贖うべき現実への真摯な取り組み故だ。
作り手が定めた、その聖なる題目を真面目に追究する為の手つきであるゆえ、不快さは逃れられないものであるのだから、こちらもしかとまなこを開いて目撃する覚悟が必要である。
それが叶わぬ鑑賞者なら回れ右だ。
さてもそれは男の私でも思わず眉を顰めてスクリーンから顔を逸らす有様であった。
私が当時この映画を観劇した有楽町マリオン横の今はない小屋はいつになく活況を示していた。
直前に話題作となって御婦人方が多く駆けつけた『ピアノレッスン』。
そこにおける、かつてのC.ブロンソンを継ぐような「心優しき野獣」の優れた演技によって奇跡的に(失礼!)ファンが増えた我等が兄貴ハーヴェイ・カイテル。
彼を目当てに本作をよくわからず観に来たと思われるマダム方が劇場の狭い客席を多く占めていた。
本作上映早々に次々と繰り出される、カイテル演じる刑事の想定以上の不快極まる無様な自堕落無軌道描写。
その確信的毒針が放たれる度に、ご婦人方はシートから頭がのけぞるほど拒否反応を示した。
そののち、こんなモノを観る為に来た訳じゃないわとばかりに次々と退場する始末。
それはある意味この作品のあるべき姿としての監督の企みは大成功したわけだ。
しかしながら哀しくも麗しいものを観にきたつもりの御婦人方には大変気の毒ではある。
映画後半の刑事の戸惑いと葛藤と慟哭は、彼の俗物を極めた成れの果てだ。
それは図々しく高みから見届ける我々観客の人生態度を示唆し懺悔を促すようでもある。
これは優れた映画に度々みられる原型である。
終幕は巧妙に無慈悲に、観客の唯物自我廃液で肥大した右脇腹の肝臓をゆっくりと槍で突き刺す。
イエスからの戒めによったそのスティグマをして、観客自身を自己救済の懺悔の入り口へ誘なう事に成功している。
我等黄昏れに至って「彼」は現すのみにて「我」はすでに彼の示しを予め得ていた事を漸く思い出すのだ。