「絶妙なストレートボール」灰とダイヤモンド 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
絶妙なストレートボール
自由を謳う革命戦士が愛の軛に捉えられたことで自らを死へと追いやってしまう、という物語展開そのものはけっこう単純な気もするが、本作が当時の不安定な政治情勢のもとで制作されたことを勘案するとかなり緻密で複雑なつくりになっていることがわかる。
1950年代のポーランドといえばガチガチの社会主義国家であり、したがって文芸をはじめとする諸文化にも厳しい検閲があった。
イランあたりのイスラム圏では、検閲逃れのメソッドとして子供が起用される。政治的・宗教的にセンシティブなものごとを、子供というイノセンスでラッピングすることで検閲を通過するわけだ。『友だちの家はどこ?』『運動靴と赤い金魚』あたりがその好例だろう。
一方本作はそういったアレゴリカルな方法をまったく用いない。本作は作品そのものに比喩的装置を導入するのではなく、それを受け取る側の知性・感性の差異を巧みに読んだ絶妙なストレートボールを打ち込む。
政治活動家の主人公マチェクが誤認殺人を犯した果てに、それとは全く無関係の場所で無関係の警官に殺害されるという本作のプロットは、検閲側(=体制)の視点からすれば、政治活動の無意味さを冷笑した翼賛映画のように見える。一方で反体制側の視点からは、どれほど必死に逃れようとしてもなお主人公の眼前を覆い尽くす体制の横暴を剔抉した反体制映画に映る。
知性・感性の仕組みが異なる体制と反体制では「見え方」も異なるよう意図して作られた、きわめて緻密で複雑な映画だと思った。
とはいえ正直に言えば、本当に胸を強く打たれたのは物語というよりショット一つ一つの美しさだった。水面に逆さまに映り込む花火とか、真っ白なシーツの林で繰り広げられる逃走劇とか、モノクロにもかかわらず鮮やかな色彩がある作品だった。